それから2週間。イギリスは、携帯電話はフランスからのメールも電話もとうの昔に着信拒否を設定していたが、変わりに手紙が来るようになっていた。最初、髪の毛でも入ってはしないかと恐怖したが、一応封を開けた。髪の毛も剃刀も入ってはいなかった。紙が3枚入っていた。好きだ、と延々彼の母国語と英語で書き連ねた2枚の紙を見て思わずイギリスは吐き気を覚えた。それから最後の一枚に串刺しにしたい。されたい、と書かれた後、謝罪の一文があった。愛するアーサーへ。お前が憎むフランスより。 本気なのかどうかが分からずに、怖い、と思った。それから、ふざけるなという怒りがわいた。ただ、ストーカーのように、ずっと俺を見てるわけじゃないんだ、ととりあえずイギリスは自分に言い聞かせた。フランスは自分が異常だということくらいは分かっているはずだ。分かっていてやっているんだとしたら犯罪だと思った。 そう言った手紙が、時には仕事に必要な書類に挟まれて、そうでないときは便せんや、個人のはがきとなって毎日欠かさずに来た。内容は、メールで「犯したい」だの「犯されたい」だのといった時よりもましにな気がした。 彼のアメリカと日本が、仕事でも出来るだけ会わない方がいいと言ったので、その忠告通り、自分が会った方が早いが、会わずとも済む案件は人に任せてしまっている。それでも会わなくてはならない時は、仕事だ、仕事だと、言い聞かせてなんとか体を動かした。ストレスでどうにかなりそうだったが、仕事は待ってくれないのが救いとも言えた。幸い、フランスはフランスで仕事中は仕事の話しかしなかった。イギリスは、奴が仕事にも手をつけずに追いかけてきたなら本当に訴えてやれるのに、と思った自分が、ノイローゼ気味になっているのを自覚して酷く気分が憂鬱になった。 とかく酷いのは、仕事が終わって、少しでも前と同じような調子で「ワイン野郎」とか言おうものなら「もっと言えよ。すごく来る、勃つ」と言いだすのだ。 今日もそこが、昼間のレストランでなければ、迷いなくイギリスはフランスを殴っていた。が、それでも思わず、テーブルの下で脛を蹴りあげた。イギリスは顔を真っ赤にしてフランスを睨みつけ、フランスはその視線を正面から受け止めた。 「……少しはマシになったと思ったのに、全然変わんねぇじぇねぇか!」 「そう直ぐに変われるかよ。変わる気もねぇし、俺」 「メールから手紙に変わった。気持ち悪ぃことにはかわらねぇけど、それでも謝罪文がつくようになったじぇねぇか」 「ああ、あれね。メールも電話もお前お兄さんからの着信拒否に設定しただろ?そしたら手紙しかねぇから。仕事用のにメールしようかとも思ったんだが、俺メールより手紙の方が好きだし。謝罪文はドイツにせめて変態行為をするなら相手に謝れって言われたからそれで」 「……てめぇには罪悪感つーものがねぇのかゴミ」 「別に人を好きになるのに罪悪感はいらない」 そういう話をしてるんじゃねぇ、とイギリスは声を荒げた。フランスは、帰られるかなと思ったが、イギリスはそうすることはなく、サラダを口に運んでから、言った。 「ここ最近、書庫の掃除をしたついでにマゾッホとマルキド・サドの小説を読み返した。オスカー・ワイルドに、ランボー、ボーヴォワールとかな。それから日本のオオエとタニザキの本。お陰で俺は最近寝不足だ」 イギリスが口にした小説家たちは、パリの街角のカフェの、明るいテラス席で話すには酷く似合わなかった。話し出したイギリスは、もうフランスを睨もうとも見ようともしなかったが、フランスはイギリスの顔をじっと見た。 「なに、やっと自分が最高のサディストだって自覚してくれたの?俺のこと飼う気にでもなった?それとも飼われ」 「黙れ蛆虫。勘違いするな。それ以上お前の中で勝手に俺を汚すんじゃねぇ」 イギリスは外の風景に目をやりながらそういい、フランスの足を靴の上から踏みつけた。しかし、フランスはその痛みに顔をゆがめながらも嬉しそうに言った。 「でもお前、絶対そっちの気あるだろ。ドイツだってそうなんだ。お前だって以上レベルの変態だよ、違うっていうなよ。俺がどういう本とVIDEO持ってるか知ってるぜ」 「それでも、俺やドイツの変態とお前の変態は別物だ」 イギリスは一音一語、はっきりと発音した。フランスは少し虚を突かれたような顔をした。それを、目を横に流すだけで、一瞥したイギリスは苦い顔のまま、話を続けた。フォークを動かす手は止まり、イギリスのランチであるそば粉のクレープはすっかり冷めていた。 「俺のコレクションからその手のビデオも見たよ。本も読んだ。小説は話としていいと思ったし、AVも自分の趣味だから多少は興奮した。でもお前が何考えてるのかはさっぱりわかんねぇ。理解不能だ」 フランスのフォークを動かす手が止まり、呆然イギリスの顔を見つめた。 「え、何。もしかして、お前も俺のこと理解しようと思ったのか?」 「思ったよ」と長い吐息に乗せてイギリスは言った。やはり汚いものでも見るかのような目線だったが、それでも今度はきちんとフランスの顔を見て唇を動かした。 「何せ、お前も知っての通り、俺はこの性格だからな。つい、罵倒して殴り倒してはお前を悦ばせて……って悦に浸るな目を輝かせるな気色悪ぃ!」 イギリスは額に手をやって今度は、憐れむような眼でフランスをみた。 「だから、お前はいいサディストなんだって、じゃなきゃ、それでも俺に付き合ってくれるなんてとんだマゾヒストだ」 「やめろ。この皿と紅茶をひっくりかえしてお前にぶっかけたくなる。堂々巡りはもううんざりだ。いいか。SMプレイをしたことないとは言わねぇよ。もういっそ。けどな、そんなのお互いの……合意があった上だ。終わればいつも通りだ。フツ―のカップルだ。じゃなきゃ、相手はプロの商売女だ。串刺しだの家畜だのなんてものにはならない、そんなのは本と映像と……せいぜいお前の脳みその妄想のなかだけだ。何度理解しようとしたって俺にはそれしか思わなかった。SMやってる連中、知ってるけどな。飼うだのなんだのだってあくまでプレイでの一環だ。こんな相手が本気で嫌がってる上で持ち出したりはしねぇよ。お前だって知ってるだろ。お前が俺に対するのはそれとは違う、異常だ」 言ってから、ようやくイギリスは再び食事に口をつけ始めた。フランスはしばらく黙っていた。イギリスは何も催促はしなかった。 「……好きだよ。お前が」 イギリスは少し皿の方に向いていた顔をあげ、「本当かよ、こんだけストーカーじみた相手に好きだと言われても納得できねぇな」と言った。フランスは、急に周りの客の声や、店内の音楽を煩く感じながら、それでも続けた。 「異常、異常って、他の奴らも医者に診てもらえとか、少し休みもらえとか言うけどな。違うんだ。俺はいたって冷静だ」 「逆にタチが悪い」 フォークを動かさずに、皿を見つめるだけのフランスを放って、イギリスはせっせとクレープを切って自分の口に運んだ。酷く腹が減っていた。 「俺だってフツーに女の子と手つないで歩いてたし、ただ優しくするだけのsexもしたんだけどな。お前見てると、うん、なんか違うんだよ。足りないんだ。お前、ゲイじゃないし、バイでもねぇし、だからかも。あと暴力的なお前が」 「……俺がゲイじゃねぇとかお前がバイだとか関係ねぇだろ」 は?とフランスが問う間にイギリスは紅茶を飲んで、疲れた声で言った。 「俺の口が悪いとかだけじゃなくてお前も、つーか何もかもお前の責任だけどな」 目線だけをあげて、イギリスはフランスの顔を見た。酷くフランスは間抜けな顔をしていると、イギリスは思った。 「お前がやらたと、家畜だの踏まれるだの言わなけりゃ、俺だって少しは真面目に考えられたのにな」 その眼だと、フランスは心の中で感嘆をもらした。まるで支配者の目。覇者の瞳。視線。ああ、と溜息をつきそうになる。しかし、それでは終わらなかった。イギリスが言った言葉の意味を咀嚼し、酷く驚いた。狼狽した。イギリスは何も言わないフランスから目線を外さなかった。 「え、お前それどういう意味だ」 「お前がどうしようもないドMの変態で異常者なせいで、むしろ俺の方がそろそろ精神科医の厄介になりそうだって意味だノイローゼで」 俺のせい……、と呟くフランスに、ときめくな!とイギリスは怒鳴った。 「俺は、お前が好きだよ」 イギリスは黙って、フランスが続きを言うのを待った。 「よくあるじゃん。好きな相手に、食べてしまいたいとか。閉じ籠めたいとか。一部を持って帰りたいとかさ。片思いの相手に、もう何でもいからこっち振り向いて欲しいとか、そう思ったことないか?」 「思うのと、本気にするのは別物だ。相手に一方的にそれをぶつけるのも別物だ」 「本当に純真に好きなのに、酷くされると欲情する。酷くしても欲情する。あるだろ?好きな子ほど苛めたい、苛められたい。もっともっと酷いのがいいのと思うんだ。まるで心に生えた黒い羽根だよ」 そういって、両手を合わせて翼を形作るフランスを、詩人気取りかと、イギリスは嘲った。俺は詩が好きだからね、とフランスはふざけたように笑った。 「馬鹿だった。こんな変態を少しでも理解しようとした俺が馬鹿だった。……疲れる」 「わざわざ俺のために本まで読んでくれたのに、悪いね」 「馬鹿野郎。あくまで掃除のついでだ。ついで」 そうして少し顔が赤くなるイギリスは前と変わらないなとフランスは思った。 「悪いついでに、飯代くらいは奢ってやるよ。代わりに、お前のこと駅まで送らせろ。俺を犬みたいに罵りながら首輪つけた状態で構わねぇから」 イギリスはその言葉にげっそりして、フランスを見やったが、フランスは花が咲きそうな笑顔だった。「構わないつーか、お前はその方がいいんだろうが……」と嘆き「いいぜ。飯代にのために送られてやる。あえてフツーに仕事の話題しながら帰ってやる」と言った。フランスが、「あ……それはそれで放置的な」と喜んだので、イギリスは、「何でお前ポジティブなんだよ」と現状を悲しんだ。フランスは、随分前に、自分の足を踏む重さがなくなっていたのに気づいて、「お前は変に優しいよな」と言った。イギリスは、かなりいやそうな顔をした。 それでも飯代ひとつで見送らせてくれる彼は優しいのだとフランスは思った。 ――サディストのSはサービスのSらしいぜ。 フランスはそれを口には出さなかった。二人の皿は、まだ片付いてはいなかった。 |