イギリスの学校に野球用グローブなどある筈もなく、一度アルフレッドの家にまでとりにいく羽目になった。それでもアルフレッドは、胸を躍らせた。あんまりウキウキしていたのが伝わったのか、途中、アーサーは怪訝そんなに「そんなにボール投げが楽しいか……?」と訊いた。アルフレッドは、彼が喧嘩最強番長生徒会長であることも忘れて、一生懸命に話をした。子供の頃、初めて球場で大リーグ選手を見た時にどれだけ大きく見えたか。ベーブ・ルースの伝説。負けていた筈のチームが9回裏で逆転した時の興奮。きわめつけに「私を野球につれてって」まで歌ってしまった。
 アーサーは、今迄、彼を不審がるばかりで、出来る限り近寄りたくないといった風情すら見せていたアルフレッドが急に嬉しそうに野球の話ばかりするので、少し心配になった。端的に言うと、少し、野球に妬いた。

「お前……そんだけ野球が好きなら、俺なんかとキャッチボールしても楽しくないんじゃねぇ?俺、野球ボール投げたことすらねぇぞ」

 プイ、と横を向きながら言う様子がおかしくて、アルフレッドは思わず吹きだしてしまった。
「……おい」

 途端にアーサーは機嫌を悪化させたようで、三白眼で睨まれてしまう。アルフレッドは、ぶんぶんと頭を振って「いや、君とキャッチボールができるだけでも、その」とごまかした。そう言うと、なぜかアーサーは顔を真っ赤にして、「馬鹿、お前のためじゃなくて俺のためなんだからな!セックスフレンドへの第一歩なんだからな!」と往来でのたまわったので、アルフレッドは一瞬気が遠くなった。睨んだり、赤くなったり、忙しい人だなと思う。でもそう言えば笑った顔は見たことがないような気がする。 (惚れたぜ、とかセフレがどうのっていうのは、あれは、うん、笑った、とは違うし)  笑顔も見て見たいんだけど。

 そう思ってから、アルフレッドは首を振った。違う違う、今俺が欲しいのは、キャッチボールをする仲間で会って、これから早急に目指すべき俺の課題はキャッチボールをするこによって彼を野球にはめて野球仲間をゲットして、エロとかセフレとかセックスでずっこんばっこんとかそういう思考から遠ざけることだよ。なんかいいながら想像しちゃってる気がするけど、気にしたら負けなんだぞうん!!


 芝生が広がっている近所の公園には、とうに学校を終えた、まだ小学生だろう少年たちが集まって、サッカーをしていた。そのなかで、制服姿の図体の大きい二人組がグローブをつけている姿はかなり浮いていて、アルフレッド無駄に緊張した。


(俺って、こう、もっと、明るくて爽やかな、ゴーイングマイウェイなヒーロータイプの男だと思ってたんだけど)


 ゴーイングマイウェイなヒーローというのは、あまりヒーローとは呼ばないのではないんじゃないかなと過去にカナダ人の従兄弟がした突っ込みを無視して、アルフレッドは似合わぬ溜息をついた。
「おい、アルフレッド、これどうやって投げりゃいいんだ」
 アーサーは、ブレザーもベストも脱いで、白いシャツの袖をまくっている。どうにもほそっこい気がしてならない。が、筋肉が付いてないわけでは決してないようだ。

(なんでもルートヴィヒ曰く、あの拳はコンクリートのアバラをくだき、足はコンクリートに穴をかえるというし)

 半分、正しく半分間違った知識を思い出しながら、アルフレッドは身構えた。
「どんな投げ方でも大丈夫だよ!多分ちゃんととれると思うから!」
 アルフレッドの言を信用したか、否か、アーサーは一度野球ボールをまじまじと見つめると、それをアルフレッドの方に向かって投げた。
「あ、わり、すっぽぬけた!」
 なれないボールにそう言ったが、アルフレッドは平気でそれをキャッチすると「これくらいなら大丈夫!」と笑った。気分がのってきた。

「じゃぁ、俺も投げるよ!」

 とはいえ、目の怪我で諦めたとはいえ、つい3カ月程前まで、プロを目指して野球をやってきた自分が本気でなげるわけにはいかない。そう思って、初めは弱めのボールを投げた。アーサーはそれを簡単に受け止める。今度、返されたボールはそれなりのフォームで投げられた。アルフレッドは、先ほどよりも少し強めに投げ返す。それを何回か繰り返した。アーサーは、思ったよりも早く投げるのもミットの扱いも上達した。喧嘩で鍛えた動体視力と筋肉はだてではないようだ。何よりもリズムがいい。アルフレッドは、相手が初心者だということを忘れ始めていた。

(もっと思い切り投げたいなぁ)

 そんな考えた頭をよぎった瞬間。
 ゴオッ、と音を立てて、白いボールはアーサーの耳元を掠めていった。
「ごっめーん、つい癖で強いの投げちゃって、しかもすっぽ抜けちゃったよ!ねぇアーサーだいじょ」
 「う」と「ぶ」の間にアーサーはツカツカとアルフレッドに歩みよって、その胸倉をつかみ、彼を睨みあげた。
「ごっめーんじゃねぇよばかぁ!球見えなかったじゃねぇか!!」
「うわ、本当ごめんってばだから!最初手加減してたんだけど、君が思ったよりも上手いから、つい、強いのなげちゃって……」
 眼鏡ごしにそう彼を見下ろすと、彼は服を放して、不意にそっぽを向いた。また、耳が赤い。
「……手加減とか、畜生……」
 また赤い耳。肩が細いというよりも薄いのに、へんに強かったりして。
 アルフレッドは、殆ど無意識にグローブをしていない方の手を、アーサーの頭にのばして、ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回した。
 アーサーは、ビクッとして目をつぶり、真っ赤になって叫んだ。

「な、なんなんだよ、急に触んなよバカぁ!」

 触った?触る?何を。
 アルフレッドは、自分も、イギリスに来て以来初めてと言っていいほどに、喉まで真っ赤にしながら、手を引っ込めた。

「え、あ、いやそのさ、かかかか、君の髪の毛に、は、は、葉っぱがちょっとね!!もうとれたよ」

 嫌もうなにがなんだかどうなって。
「……舐めやがって」  アーサーは、すねたようにプイと横を向いた。

 おもしろい×  可愛いい◎
 いや、舐めてるっていうか、むしろ君のその真っ赤な首筋から耳の裏にかけてを舐めたいみたいなAre You Okay?って、

「違うだろおおおおおお俺えええええええええええ」

 突然頭を抱えて叫び出したアルフレッドをアーサーは呆然と見やった。サッカーをしている子供たちや、散歩をしている老夫婦が何事かと見物している。

「……ふふふ、気にしないでくれよアーサー、今俺は正義の心でもってダークサイド戦ってるだけだから……」

 アーサーは、「コイツ実は結構変な奴なんじゃないか」と自分を棚にあげてそう思った。
「まぁ、でも、ボールさがさねぇとな」

  そういう口調は、どこか真面目くさっていて、彼が生徒会長だったということをアルフレッドに思い出させた。
「ああ、そうだね」
 アルフレッドが脳みそビジー状態から脱し、漸く笑うと、アーサーはその顔面に、ピシッと指を一本突き付けた。

「あ、あんなんで俺に勝ったと思うなよ!!つ、次はどんなに早く立って絶対とってやるんだからな!!!!」

 むしろ問題は、アルフレッドが先ほどの球をアーサーに向かってもう一度なげられるかどうかだということに、アーサーは気づいてなかった。




 そして。

 ベッドの上では、アーサーがあのいつも綺麗にしめているネクタイを、擦り傷だらけの指で解き、ボタンをはずす。しかし、全部を脱ぐのを待っていられないとばかりに、ベルトをとり、下着ごと制服のズボンを自ら脱ぎ去った。彼は、アルフレッドの又にまたいで、そっと腰を下ろす。そしてニヤリと笑って言った。
「俺より強い男の奴なんてサイコー」

 ちゅんちゅんちゅん、ピピピ。キャッチボール事変の翌日の、さわやかな朝。
「……」
 アルフレッドはむっくりと起き上がった。そして顔を覆い、絶望的な溜息をついた。
「また朝からパンツ洗わなきゃならないのかい……!」

 少年の受難は続く。











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