クリスマスのイルミネーションも地味な不景気の冬、ドイツの心は不景気ではなく、恐慌が訪れていた。心の中では、普段全く聞かない東独のアンチ資本主義メタルバンドがまるで軍歌のごとく、世界への恨みつらみのカオスを謳っている。
 「兄貴の恋人腰を抱いて歩いていた事件」の翌日、北イングランドの寒村の大学に通う道すがら、ドイツは口からエクトプラズマをだし、背後に鬼火を背負っていく有様であった。通りの人々は目をあわさないように注意している。しかもその日は最悪だった。行く途中で、ドイツは、また互いに横を歩くイギリスとプロイセンとすれちがったのだ。
 最初にドイツに挨拶をしたのは、プロイセンの方だった。
「よ、ヴェスト!なんだ不景気な面してんな。イングランドでの生活は楽しくやってんだろ?メールでもそう書いてあったじゃないか」
 メールでもそう書いたのにどうどうと兄に取られるまでは楽しかったが。
 ぐぅっ、ドイツは言いたいことを堪えて、「少し、疲れているんだ」とだけいった。
「マジか?あんま無理すんなよ?」
 言ったのはイギリスで、ご丁寧に分厚いコートのポケットから手をとりだし手袋まで脱いで、ドイツの額に手をあてた。背のびの必要もなければ、彼はこの日寒いせいかブーツをはいていたので、殆ど同じ目線だった。が、そのちょっとだけ、延びるような視線に、心臓と胃をつなぐ奥の当たりがざわつくのに、ドイツは未だ俺はコイツに未練を抱いているのか……と悲しい気持ちになった。しつこいようだが、ドイツは恋人が兄と歩いているのを目撃したのは昨日のことであり、実際彼らは(イチャイチャはしていたが)真相は不明であると言う事を彼はすっかり失念している。
「熱はなさそうだな、うん、よかった」
 イギリスは素直に手を引っ込めて、また手袋をした。その仕草すらもまさにジョンブル、いとおしい。だが彼は悪名高い英国男らしくそちらの方面にだらしないのだ……。  ドイツの頭が変わらずマーブル模様を描き、ちっとも処理能力が回復しないまま、プロイセンは容赦なくはなしかける。
「コイツからお前のことは随分聞いたぜ。仲良くやってるみたいで、よかったじゃねぇか。俺も安心だよ。イギリス、俺の大事な出来のいい弟だ、ちゃんと世話してやってくれよな」
 イギリスが俯いて唇の端を吊りあげた気がした。なるほど、少しはこの男にも罪悪感があるというのか……。
 ドイツは、似合わない、スイスの笑顔なみに似合わない、ビールを3パイントは飲まないと滅多にうかべない満面の笑顔という奴をうかべた。
「ああそうだとも!俺は上手くやっている。質問紙調査のコーディングもロラン・バルトの意味論とにらめっこするのも凄く楽しいぞ。全てはこいつのおかげだ」
 そういって小突くかのように、拳をにぎってイギリスの胸のあたりをなぐった。若干なぐった拳が痛いがきにしない。イギリスは笑いながら「いってぁな!おい、おまえ、兄貴にあえて嬉しいからって、ちょっとは手加減しろよ」と太い眉を跳ね上げた。
「悪い、すまん」
 本当は肋骨の一本二本折ってやりたかったが、ロマンス小説の愛好者ドイツは紳士的にそれを我慢した。
「じゃぁな、プロイセン、俺は仕事だ。小さいけど悪い村じゃねェ、散歩しとけ」
「おう、昨日言った教会に”お祈り”にでもて行ってくるさ。仕事頑張れよ。ヴェストもも研究頑張れよ!」
「ああ」
 そして三者三様に道は分かれる。

 冬の孤独な道すがら、ドイツはほぼ無意識にフランスに電話していた。一度はとられなかった。またかけた。6コールめで今度は切られた。リダイアル。それは電源ごと切られることなく代わりに「なんだナチ野郎おれは今絶賛きげん悪いの超悪いのつーか眠いしマジ疲れてるから寝かせろ」という本気でだるそうな声が聞こえた。受話器越しからフランスが「重いどけ!」とか、みしった「コルコル大魔神」または「お花の妖精ピンクさん」が「ふらんすくーん、ふらんすくーん。さむいー。おなかすいたよー」と言うのが聞こえるような気がするが、なかったことにする。深く追求すると面倒そうだ。っていうかあっちも大変そうだ。
 なので、ドイツはフランスの疲労を無視して単刀直入に切り出した。
「フランス貴様に色恋ごとについて聞きたい事がある。これは今後の俺の社会学の研究において、この恋愛が宗教となるおそろしい現代においてとてもとても重要なことだ。故に貴様に回答の拒否権はない」
 お前、よってんのか?とフランスがいったが、それはドイツの耳にはとどかなかった。ドイツは、本人いわく「愛の伝道師」フランスに、彼なりに、そう彼なりに大変真剣に助言を求めた。
「好きな相手がいたとする。そいつと、幸福にも付き合っていたとする。もちろん、これは確認のない事項などではなく、愛を語り、体にも触れている。だがある日、そいつは他の誰かと手をつないで歩いていた。しかも、別れたとも言っていないのにも関わらず、平然とその誰かと手をつないで、まるでなごやかにその相手を紹介する。この場合、付き合いを続けるのは正解か?それとも全てが終わっているのか?」
 ――ベッドの住人のフランスは、何言ってんだコイツと思った。最もだった。が、彼は疲れていて頭が働かなかったので、珍しくからかうこともなくめんどく臭そうに若造にこたえてやったのであった。
「よくわかんねぇけどな。相手を思えないならやめておけ。相手を大切にしないような奴なら答えは常にNOだ。そいつは間違った相手だ。間違ったこ恋人だ。一緒にいるべきじゃない。間違った恋人と一緒に居たって幸せにゃぁなれねえ。幸せの代わりに、全ての明日を引き換えにたった一日の昨日が欲しいっつーなら別だが、止めもしねけどあんまおすすめはしねぇよ」
 息を小さく止めた。喉の奥が、やはり小さくいたかった。少しだけ歯を食いしばって、胸に息をためたまま「そうか」と言った。フランスは何も言わなかった。ドイツは、もう一度だけ、
「そうか」
といった。
「わかった。ありがとう。邪魔をして悪かったな、参考にする。いいクリスマスを」
「おう、いいクリスマスを」
 電話を切る小さな音と一緒に、自分の胸の真ん中にある小さな塊が粉になって砕けた。好きかと言われたらまだ好きだ。諦めたかと言われればまだNOだ。けれども、けれども少しずつでも落ちついて行かなくは。
 溜息をつく。息はそう、そうとても白い。
 幸いこの日ドイツは、研究室で議論を交わしたり、発表前の資料をあさったり、論文の検索をしたりと忙しかった。その忙しい、隙間と隙間に、ふっとあの緑目の顔を思い出す。
ビールを飲む時の傲岸不遜。ユーモアという名のただの根性悪。彼が、恋愛小説を愛好すると知った時の、馬鹿にする前に吹きだしてしまったあの口元。地元の連中とフットサルをする時の掛け声。始めて二人で手をつないだ時の、慣れていそうで慣れてなさそうな温度。
 思い出して、図体もでかくなったのに泣きそうになった。
 いかん、ここは図書館だ。落ちつけ。落ちつけ俺。
 目をこすり、顔をあげ、外をみる。窓硝子に結露がはりついていて、その先はよく見えない。けれど、午後の2時にはもうだいぶ日が傾きオレンジ色だ。もう少しすれば、空気はすぐに灰色になるだろう。
 雪が降ればいい。つもればいい。イングランドはロンドンではそこまで雪は降らないが、この北の村は比較的に降るのだと、あの意地汚いジョンブルが言っていた。積って、積って、積って、溶ける頃にはきっとうまく忘れている。そうだ、忘れているだろう。  その日、ドイツはミヒャエル・フーコーの「性の歴史」全三巻とバラ戦争時代をモチーフにしたヒストリカルロマンスを一冊、計4冊を借りて図書館を後にした。
 空を見る。どんどんと暗くなる空からは雪は降らない。ただ、しんと、埃が落ちて澄んだ空気から星が見える。北イングランドの田舎村。NYより、パリより、ベルリンより、ロンドンより、それははっきりと見える。その空気が頬を冷やして赤く染め、吐く息がくちもとを温めた。回りを歩く恋人たちや親子連れはクリスマスプレゼントの話をしている。その道をドイツは歩く。体重を沈めるようにして。
 どんなことになっても、クリスマスプレゼントは買ってやろう。それで、殴って、喧嘩して、終わりにしてやろう。
 それだけ決めた。
 夜道を歩く。車のランプがたまにドイツの顔を照らす。寒い。こんな日は、一人でタバーンでビールを飲んでもいい。それもわざとらしくポーターだ。不買運動なら後でたっぷりやってやる。が、ドイツはそれをしなかった。空を見た後、今度は道路を見つめながら、真っすぐと家へと帰った。玄関を開ける。部屋は冷え切っていた。
 電気をつけ、薪ストーブに火をくべる。厚手のカーテンが、そこから出る熱を逃がさずに閉じ込めた。動く気がしない。ただ疲れている。ドイツは大きな図体をソファに投げ出した。呼吸をするの面倒くさい。食欲もあるのかないのかわからない。口さみしくはあるが、起きだしてキッチンで何かを作る気になれない。仕方ないので、ドイツはリヴィングテーブルに無理やり腕をのばして、まだ手をつけていないハリボーの金色の袋を掴んであけた。中には、色とりどりのクマの形をした、小さなグミが入っている。それを、ひとつ摘む。口の中に入れる。噛む。全てが緩慢な動作だ。飲み込むのも面倒くさい。そしていつのまにがグミは小さくなる。またひとつを摘んで口に放る。その繰り返しだ。彼をよく知る眼鏡とほくろの人がみたら憤死のあまりベートヴェンで怒りを表現しかねない姿だった。
 そうして、ドイツが暗黒ぐるぐるグミ破砕機と化していたとき、ぴんぽーん、と音がした。しかし、ドイツにその呼び鈴に答えるだけのエネルギーはなかった。しかし、またぴんぽんとなった。起きる気はしない。だが、呼び鈴の主は諦めなかった。何度もドアをノックする音が聞こえる。ドイツはらしくなく、思い切り頭をがしゃがしゃと掻きまわしてから、立ちあがった。
 玄関を開けると、そこに居たのはイギリスだった。北風の吹く中でたっていたせいか、頬骨と鼻の頭が少し痛そうだった。今は、一番会いたくない相手だった。彼の顔は、少し緊張した面持ちだ。ああ、来たか、と思った。正しく、イギリスはドイツに告げに来たのだ。きっと。ドイツが、聞きたくはないことを。聞いて確かめたい事を。そして、確かめてしまえば終わりになることを。彼は、ドイツの眼をみた。いつものあの瞳だ。緑が濃く白眼は少し青いくらいの、あの眼だ。
 表情と同じく、かれはやはり少し緊張した声で言った。
「寝ていたなら悪いんだが、今、すこし時間いいか?」
 ドイツは一瞬目を閉じた。それは、瞬きと同じ時間だった。その気付かれない刹那に息を整え、心を圧し沈めた。
「ああ、かまわん」
 言えた。ドイツは首を動かして、中に入るように示した。でも、彼と違って、上手く目を合わせる事は出来なかった。
 廊下には二人の男が歩く足音。リヴィングからは薪の匂い。ぱちぱちと爆ぜる火。 「紅茶を入れるから今待ってくれ」
 ソファの手すりに腰をかけるイギリスは、電気ポットの湯を再沸騰させようとしているドイツの背中に向かって「イヤ」と言った。
「落ちつかなくて悪いとおもう。だが、今言わせてくれ。でないと、決心が鈍りそうだ」  背中が冷えた。唾を飲んで、奥歯を噛んだ。畜生!と思った。こんな早く。こんな残酷なことってあるか。
 しばらく振り向けなかった。電気ポットからは間抜けな音がしている。言わせてくれ、大事なことなんだ。イギリスはまた云った。
 ドイツは皮が鈍磨に痛むのを感じながら、喉が絞られていくのをかんじながら降りみういた。
 目を反らしたいと思った。緊張しているのも、決心が鈍りそう何も本当の様で、イギリスはジャケットを着てマフラーを巻いたままだった。でも、しっかりとドイツの眼をみていた。残酷だ。でも、強いな、と思った。よっぱらってドロドロの時は本当なさけないのに。そんなところが好きだったじゃない。好きだ。けどその口から、残光な話は聞きたくはない。
イギリスはドイツの眼をみたまま、ポケットに手を突っ込んだまま静かに口をひらいた。

“Will you consider marrying me?”

 沈黙はどれほどか。わからない。何も分からない。イギリスは口と目を、またあのロマンス小説ドイツがはまった時とまるで似たように、笑いをこらえるように本の1ミリ緩めてもう一度言った。
“Will you consider marrying me?”
結婚を考えてくれないか?
英国野郎は、ライミーは、少し照れながらそう言った。
 ドイツ人の絶叫に、イギリス人は口元を押さえて笑うのを堪えたのだった。


※ドイツの回復までしばらくお待ちください。