The German in North England 後ろ姿をみかけて、ドイツはこっそり追いかけようとした。ちょっと驚かせたかったのだ。しかし、驚くのは自分の方だった。電話が鳴って、前を歩くイギリスはiPhoneを胸からとりだしこういった。 “Hello, oh my darling……back? I have missed you so much and I’ve got so much to tell you. Of course... I love you.” 珍しく彼は嬉しそうに笑っていた。電話を切ると、眼の前の男はまたすたすたと歩き出した。”I love you.” イギリスはドイツのしらない誰かにそういった。冬のイングランドの空気が、途端にドイツの心をさした。厚い黒のコートと黒のマフラーにくるまれて、しばらく動けなかった。イギリスはそそくさと街にでてしまった、ドイツの存在に未だ気づかない。 ……俺たちはつきあってはいなかったのか?俺はまた、とんでもない勘違いをしてしまったのか? その思考に怒りのような、失望のような、暗い感情を覚えてドイツは俯いた。 ドイツが、イギリスに越してきたのは三カ月前に遡る。仕事の都合上、しばらく英国の北部の田舎にある大学に研究員として通う事になった。その時に相談をしたら「俺の部屋は物(含エロ本各時代コレクション)が多すぎてちょっと無理だが近くに空き家がある。なんなら安く借りられるように頼んでやろうか?」と斡旋してくれた。 英国での生活、というのはドイツとはいくつか違う点がある。郵便物が届かない、定刻通りの電車など存在しないというのは欧州共通の悪事であるかして気に病むことはないが、気質の違いというのにはとまどう。英国人はジョークとゴシップを愛し、自分の醜聞の一つや二つは己で笑い、むしろ開き直って売りにしてしまうようなことを美徳とする。王族ですら自分で自分をこき下ろす。その気質はドイツには少し苦手だ。すぐにからかわれる対象になってしまう。フランスやイタリアほどパーソナルスペースが狭くないのは唯一心地よいといえたが、それでも異国の地とは辛いものがある。だから、見知った顔は、例えそれまでそれほど特別仲が良いとはいえなくとも気安くて、イギリスも年上ぶりたいのか、たまに食事も奢ってもらった。フランスにしてみれば、きっと「野菜がねェ」のひとことで一周されるのだろうが、熱いフィッシュアンドチップスも店を選べば美味しいし、パブでつまむローストビーフに好みの加減で塩をかけるのも嫌いではない。甘いものは、ドイツも好きだったから、チョコレートバーがどこにいっても出てくるのも問題なかった。イギリスの気に入りの店に連れまわされるうちに、紅茶というものが自分が思っていた程なにか高級な嗜好品ではなく(イギリス以外の欧州人にとって紅茶は高価なイメージが付きまとっている)オフィスワークの間に安くパックで飲むものだと実感すると、コーヒーを飲むには少し疲れ過ぎているときに飲むのも悪くない。それにイギリスはコーヒーも好んだ。安い居酒屋で、時にドイツビールとイギリスビールの話で喧嘩もしたが、概ねそれなりに楽しくすごした。休みの日には、地元のフットサルの対抗戦に誘ってくれたりもした。 そうこうしていると、段々情が湧いてくる。が、湧いて来たのは友情ではなく恋情だった。でもそれは、ドイツのせいではなく、イギリスのせいなのだ。 イギリスは生活費を稼ぐために、語学学校の講師として働いている。英文学をこよなくあいする彼の家にはジャンルを問わず大量の本が溢れていて、その中にはジェーン・オースティンの著作あった。ある日、「高慢と偏見」と「エマ」のペーパーブックを取り出して「お前、案外こういうの好きかもしんねぇぞ」と言ってドイツに貸した。読んだ。そしてボロ泣きした。ドイツはまるで「イギリス紳士もの」にはまるアメリカ人の奥様方のように次々と、英国ヒストリカルロマンスをイギリスから借りては読み漁った。「エマ」。エリザベス・ギャスレイの「North and South」。この二つにいたってはしっかりDVDを購入して見た。今はちなみにジェーン・オースティンの各時代映画のドラマおよび映画をレンタルビデオ屋で漁っている。 あまりにはまったのでイギリスが驚いて「お前、そのうちハーレークイーンも読みだすんじゃねぇか?」と苦笑したほどである。ドイツの心は文と文の間に書かれた恋の機微に動かされた。それはウィットに、教訓に富む。自分の心をだましながら、しかしいかに誠実に生きようとするか。思わず「俺もこんな恋がしたい」と口づさむにいたる。 しかし、その感情移入の仕方がどこか違っていた。 ヒストリカルロマンスの主人公は大概が女性だが、夏目漱石が「高慢と偏見」の書き出しを絶賛したと言われるように、男性も心動くものがある。男でも女も傲慢で偏見がある。その上でなお誠実に生きて、恋をしていこうという姿勢――そこに男女ともに共感する余地がある。そこから女性であればこのような紳士な殿方と、男性であればこのように心が強くしかし心やさしい女性と、となる。 だがドイツは違った。彼は英国で放送されるゲイのドラマのDVDをレンタルする人種ではなかった。が、彼の本への感情移入の仕方は、リージェンシーもので振られ男が「もういい。俺はウェリントン将軍の元へ赴きナポレオンと戦う!」といって志願兵になろうとすれば、その手をとって「俺も一緒についてやる」という気分になった。また、ヴィクトリア期でアメリカの台頭により経営悪化と身分違いの思い人になやむ工場長がいれば「ならばドイツにこい、この俺が全てをひきうけてやる」と思った――ちなみにヴィクトリア期はドイツがイギリスにように、イギリスたらんとその遅れを取り戻そうとあがいた時代である。 どこの国の男もそうであるように、イギリス男といってひとつにはくくれない。本に登場する男たちは時に生粋の紳士である。時にスラム育ちの父なし子のである。時に労働者階級からのなりあがりである。時にまた軍人である。 しかしそこに共通した、どうとも説明できない「イギリスらしさ」が含まれていて、ドイツは身もだえした。そして、ある日の安い酒場で気づいた。 いるではないか。眼の前に、その全てを孕んだ男が。 途端に、ドイツの目に、それまでちんちくりんの酔っ払いがキラキラして見え始めた。 ドイツは考えた。苦しんだ。猛烈に苦しんだ。小説で読んだ時はその約胸囲45インチはドキドキと膨らんだと言うのに現実の――この時はまだ、完全なる恋とはよべなかったが――その予感はなんど過呼吸をおこしかけたかわからない。肋骨が沈んでわれていくのではないかと思ってしまう。一度、意識すると眼をはなすのは困難だった。薄い唇。仕事帰りの、ボサボサの髪。ほんの少し高めの鼻。よくみると、たしかにがっちりとは言わないが、決して華奢と言うほどではなく腕の当たりにはきちんと筋肉がついている。そしてそれだけは文句のつけられない、やたら意志の強い眼。それが見れば見る程ジョンブルなのだ。 イギリスは語学学校でもどちらかというとビジネス英語を担当していたかが、スーツの日もあれば襟付きのシャツにジーンズというカジュアルな格好のときもあって、フランスやイタリア程ファッションそのものに頓着しているわけではないが、色合いや清潔感に関してはそれなりに気を使っている。それはドイツも同じようなものだったから結構な好感が持てた。気になると、会いたくなるもので、ドイツは何かにつけて理由を探して、自室から、その本とCDと、最近はDVDの山(むろん三分の一はAV)も浸食してきたイギリスの家に足を運んだ。彼はドイツ人でありドイツ語ならよくわかる。英語もそれなりにわかるが、今大学でやっているのは専門のことだから、たまにわからない表現なども出くわす。その時、知り合いが語学教師とは大変都合が良かったのだった。イギリスは頼られるのが好きな性質だから、「仕方がねェな、どうしてもって言うなら教えてやるよ!」と言いながら、ドイツの世話をやく。ドイツが据わって、彼が後ろに立つ。その時、ドイツの首の後ろに、イギリスの胸のあたりが近くなるのがわかって、彼は耳が赤くなっていやしないかと、いつも心配した。 ドイツは誰にも相談はしなかった。したらややこしいことが分かっていたからだ。なので、もうここは何も考えずストレートに行くしかなかった。 なんとなく、の直感だが、イギリスはそうドイツに悪い印象を抱いているようには思えなかった。寧ろ、過ごす時間が長くなるほどそれは逆のように思えた。最初は、ドイツがイギリスを訪ねることが多かったが、だんだんとイギリスがドイツの顔を見に来るようになると余計にそう思った。イギリスは、あまり自分から人を訪ねることはしない性質だからだ。時折、二人は黙って見つめあうようになった。何も言わない。片方が、片方の肩に手を置こうとする。そしてどちらともなく、すっと離れる。言葉はなく、ただ息が苦しい。その日々を打開しようとドイツは勇気を出して、ある日こう言った。 「世話になっているからな。今度夕食を奢りたいんだ」 酒を、とは言わなかった。それならいつのいきつけの安酒場にいけばよい。翌週二人がいった店は、高級店と言うほどではないが、それなりのフランス料理店だった。 イギリスのグラスに赤ワインを注ぎながら、ドイツは他愛もないことを聞いた。イギリスも他愛のない答えを返した。しかし、お互いが挙動不審なのは明白だった。それでもシェフの腕はよくて、メインでだされた牛肉の味はしっかりと覚えている。この食事は成功だった。美味しい食べ物は心を豊かにする、という典型だった。ああそうだ、これは最早明確にこれまで二人がただでかけるのとは違った。そうであれば今ごろ、近所の連中に囲まれてサッカーでも観戦している。これは、明確な「初デート」であった。 クリスマスが近づいていて、息を吐くと白かった。厚手のコートに包まれながら、冬のイングランドの夜を、空を見上げながら歩いた。大切な言葉はまだ互いに言ってはいない。口にしてはいない。けれど寒かったからだ。イギリスの方が少しだけ大人だった。黙って手を泳がせた。ドイツも黙ってそれを握って歩いた。人の目はそこまで気にはしない。英国は比較的、ではあるがゲイに寛容な国で、雑誌の恋人募集掲示板には男女にまじってレズビアンやバイセクシャルからの声がある。今度二人でゲイバーにいくか?とイギリスは漸く言った。 イギリスを家まで送ったが、玄関先で帰りがたく、ヘリに手をのせてコートを脱いでさよならを言おうとするイギリスを見やった。余程切羽詰まった顔をしていたのかもしれない。彼は少し困った顔で言った。最初のデートでキスはするもんじゃないぜ、と。 ではどうしたらキスをする資格を得られるのか?とドイツは玄関の梁にもたれながらたずねた。イギリスはしばし考えるポーズをしてそれからその薄い唇を開いた。 “First date is definitely no, second date probably no. Third date’s definitely YES” イギリスの眼がドイツをしっかりとらえて続きを言った。 “With tongues” 一回目は絶対に駄目だ。二回目も多分駄目。三回目は絶対にそうしてくれ。 舌を入れて。 ドイツは泣きそうになった。彼が今日は唇のキスは駄目だと言うから――玄関先にたって、その手の甲にキスをしてその日は返った。 そうして二人は結ばれたのだ。 そう、そう思っていた。 ドイツは先ほどのイギリスが電話口で言った言葉を反芻する。 俺以外の誰に「愛してる」といった? それは神がもたらした偶然で、ドイツは今日はこの後図書館で資料を漁ることが予定だった。彼はそれをすぐさま変更し、彼はイギリスを追いかけることにしたのだった。 |