Piggy



 その孤児院は国教会系の教会が、寄付金と政府からの補助金で維持していた。

「もっと。すくねぇよ、死んじまう。俺はお前より年上なんだ、その分燃料が必要なんだよ」
「これ以上てめぇひとりのためにいれられるか。足んなくなるっつーの。あとでどっかでキャンディバーでもくすねこいよ。クリスマスの残りをためてたやつがまだ部屋にあっただろ」

 食事当番のアーサーは、不服そうなギルベルトに目も合わせず次に並ぶ少年のスープボウルにキャベツのみが入ったスープをよそった。同室のギルベルトは舌うちしたが、それ以上文句は言わなかった。食事は、この場所で唯一の楽しみというわけでもなかった。嫌いなものがでても、残さず食べなくてはならないし、教会系の孤児院だったから、食事の前には面倒くさいお祈りの言葉があった。量は足りなかったが、私立のパブリックスクールから何を思ったがこの道に入った神父が、そこでも給食の量も粗末さも同じくらいで、育ち盛りには「死ぬ」と思えるほどだったらしいから、諦めている。この国は、食事に興味がないのだ。その代わりにビールが愛されている。そうしてアルコール依存症と虐待依存症の哀れな親から子供が取り上げられてここに放りこまれるのだ。
殆どの子供たちは善良とはいえなかったし、性格のわるいシスターや神父もいる。年齢もバラバラの子供たちが狭い空間で「外の人達」――この場合、孤児院にいる以外の人間全て――によく知らないまま恨み事を吐きながら過ごしている。だが、全く悪いというわけでもなく、当たり前に、良心、というよりも良心の呵責はそう簡単には立ちきれるものではないし、本当に優しい人がいるのもまたこの世だったから、ここから出て負い目を武器に街のチンピラになるか娼婦になるか、それとも心の傷を時にいいわけにしながらも普通の生活を送るかは半々か、後者の方が多いくらいだった。
 当番を終えて、指定の席に着く。ギルベルトが、彼の分まで食事をとっておいてくれている。それこそ量は、かとなく少ない気がしたが、アーサーはちらりと彼の方をみただけで、何も言わなかった。
 食事の前の祈りの時間が始まる。大昔の、それこそ私立の学校みたいに、鞭で叩かれたりということはないが、ここでなにかやらかすと、必然的に食事抜きになってしまう。ごくたまに、新入り苛めや気にいらないものの皿に虫や、鉛筆の折れ芯を入れて騒ぎになることがあるが、基本的には皆心得たものでここでは騒ぎを起こしたりはしない。それに、院長の神父がそう言う事には目を光らせている。
 アーサーは眼を横にして「腹減った」と呟いた。やはり同室で、同じテーブルのイヴァンが「我慢しなよ」と言った。部屋は4人部屋でもう一人は外の叔母に面会に行っていて、今日はいない。
 院長の話の祈りがおわってようやく、食事にありつける。3人は仲がいい、というわけではなかった。どちらかというと、イヴァンがこの院の、12,13歳のクラスの中では少し浮いている。年齢と、体の大きさのわりに、少しこどもっぽい雰囲気があるからかもしれない。イヴァンはロシア人だ。冷戦中に逮捕されたソ連スパイの子供、という噂がある。本当かどうかは知らない。所詮子供の想像することかもしれないし、本当かも知れない。彼には姉と妹がいて、外出許可が出た日には3人で外に出るのをみかける。
部屋が一緒だから、同じ年の中で親しくしているかもしれない。アーサーが嫌いなインゲンマメが彼はおかしなことに大好きで、それをわけると、翌日にジャガイモの水煮をわけてくれたりもする。だが、殴りあいの喧嘩もしょっちゅうだ。だいたい、一週間前に殴られて鼻血をだしたばかりで、思い切り蹴られた向こうずねにはまだ痣がうっすらと黄色く残っている。もっともイヴァンの頬にも絆創膏が張られている。喧嘩の原因は色々だ。お互い、隠れて悪口をいうタイプではないから、衝突するときはその場でぶつかる。同室なのに、3か月会話をせずに過ごしたこともある。部屋を変えてくれとシスターに頼んだこともあるが、それは駄目だといわれて、この2年間はずっと同じ面子だ。もしかしたら、アーサーとイヴァンが割と頻繁に喧嘩するから、学年は一緒でも年齢は一つ上のギルベルトを仲裁役として同室にしたのかもしれない。
 ギルベルトは、アーサーの眼からして見ると、少し変わっている。考え方がおかしいのだ。彼はイギリス人ではない。本来ならばドイツ人だ。最初、それを知る前は、名前のスペルだけをみて、ギルバートと読むのだと思った。とはいえ、彼の英語にはなまりがない。本人いわく、ドイツ語はもうあまりできないらしい。彼は正真正銘、東ドイツの諜報員の子供だった。知ったのは、3年前だ。いつも嫌味や弱みを嗅ぎまわっている奴が冗談半分にそう言った。別にいじめるだけならば、理由はなんでもよかった。間違っていたって問題はないのだ。しかし彼はこう言った。
「ああそうだよ。俺は3つの時にこっちに来た。5つのとき、おっかねぇなんかがやってきてよ、俺の父親と母親は逮捕された。そっから何年かして、ドイツは統一されたよ。いまでもどっかにいるんじゃねーか。しんねぇけど。手紙は来るぜ、そう書いてあったから知ってるよ。なんだ、お前、だからってイギリス人を俺が恨んでるとか心配してんのか?俺にどうしろっていうんだよ、そのことで俺が得意になってるとおもってんのか?それとも俺をうらやましがってんのか?」
 相手はそれ以上、もう何も言わなかった。彼は思ったことを、全部でなくてもすぐ口にする。いやがらせはあったようだが、彼は喧嘩が強い。上級生相手でも向うの方を骨折させたこともある。だから、今ではあまり彼にちょっかいをかけようとするのもいない。けれど、もともとギルベルトは気のいい男子で、下級生の面倒身もよければ、周囲にも人気がある。たまにアーサーと同じで、外で万引きしてつかまったりもするが先生からも気にいられている。
 食事が終わると、手紙や小包が送付される。今日はイヴァンが、誰かからの手紙が来ていた。彼は宛名を確認すると、大事そうに、なでた。それを横目で見て、羨ましいと思う。彼には家族がいるからだ。
 アーサーは、親の顔をしらない。物心ついたときにはここにいた。コインロッカーベイビーだ。もっとも、さらに小さい時は、幼児用のホームにいたけれど。ここにいる連中は様々で、親に捨てられたにしても、その年齢も色々だ。だから自分だけではないのは知っている。本当を言うと、兄らしき人がいる。なぜわかったかというと、彼はアーサーがコインロッカーにいれられる前に、同じ駅の同じコインロッカーに入れられていたからだ。二人の顔は似ていた。だから、調べた。その結果だ。もっとも完全に信用に値するものなのかはしらない。ただ、お互いよく死ななかったものだ、と思う。兄とされる年上とはあまり仲が良くはない。もしかしたら、誰か、何か知っているのかもしれないが、聞かないことにしている。必要があることなら、ここの先生が言うはずだ。気にならないと言うのは嘘だが、聞いても答えてくれないのであればどうしようもなかった。それに、恨みの対象がない方が、もしかしたら幸せかもしれない、とも思える。外の連中、と恨む気持ちもある。ここでの生活は楽ばかりではない。もしかしたら、上に述べた奴らがそうだと呼べるのかもしれないが、友人がいるとも思っていない。喧嘩ばかりしえるから、体には傷だらけだ。骨折も何度もした。ただ、辛酸をなめるために思うのは、生き延びてやる、ということだった。何があっても生き延びてやる。
 彼に手紙はなかったが、代わりに神父の一人のマシューから肩を叩かれた。話があるから、食事当番の片づけが終わった後、に来いとのことだった。あたまのなかで、何か外でやらかしたのがばれたかと少し不安に思いながら、慇懃無礼に質問した。
「話って、なんの話しですか?先生」
 マシューは、少し戸惑った顔をして、それから困ったような笑顔のまま言った。
「外に、外に行ってみないかという話だよ」