テントには他にホーガン、ウェルズリー将軍の他に何人かの将校、それからここに居るにはあまりに年若い少年がいた。白い肌をしていて、年の頃は見た目にパーキンスと大して変わらない。
シャープは“Death to France!” と言ってこの場を仕切る、年に似合わない瞳をしたこの少年が苦手だった。
「陛下に言われなかったのですか?ロンドンにいろと」
ウェルズリー将軍もまた、苦い顔をしていた。だが彼はどこ吹く風と言わん限りに杯を仰いだ。
「数十年まえは大西洋を渡ることもあったよ、ウェルズリー。向こうの大陸でインディアンどもやアメリカの阿呆どうもとも戦ったさ。それを思えばスペインに来る程度なんでもない」
そして、独立戦争以外は確かに勝った、と彼はつづけた。
「みな驚いたでしょうに。何せ15の少年が最前を歩いて命令を飛ばしている」
ホーガンだけは茶化すように笑ったが、彼は「俺だけじゃないさ」と言いながら肉を食いちぎるだけだった。
「プロイセン、スペイン、スウェーデン……、俺たち国は皆戦闘に立って戦っている。民が戦っている間に高みの見物など出来るものか」
それに、と彼はつづけた。
「奴が高笑いしていると思うと単純に胃が焼けそうになる」
今度は彼が苦虫をつぶしたような顔をした。
「奴、とは?」
フランスという国のことさ、とシャープの質問に代わりに答えたのはホーガンだった。
「どの国にも、不思議なことに国を具現化した存在がある。いまカークランド卿がいったのはそれのことだ」
 少年は首肯した。その表情はひどく歪んで見えた。「そいつは、どんな奴なんです」と聞くと、アルコールが入って少し赤くなった顔で彼はゆっくりとシャープを見ていった。
「どんな奴もなにもただの素敵なワイン野郎さ。女と飯に見境がないし、それから節操もない。大昔に、アイツの城に連行されたことがあるが、召使まがいをやらされた。そんな奴との付き合いも軽く500年を超えるがな。まったく嬉しい限りだ」
 そういってまた彼は杯を仰いだ。
「シャープ、ホーガン、ウェルズリー。ロンドンでも活躍の声は名高い。お前たちなら必ずフランスの奴らにとどめをさせると俺は信じている。だからこそ、俺もまた戦う。俺はそうして1000年を生きてきた。これで宮殿の中に籠ってみろ。あのムカつく素敵なワイン野郎に女の腐った奴として笑われる。そんなの我慢できるか。俺はな、俺の手で確かにフランスに死をプレゼントしてやりたいのさ。それだけだ」

 夜も更け、みなが眠るその前。ハーパー軍曹等「Chosen Men」と共に焚火の前で談笑していたシャープの前にまた「彼」は現れた。
「夜分に失礼する。個人的に話がしたい。シャープ、座っても構わないか?」
貴族の英語にライフル部隊は少しいやそうな顔をした。シャープもいい気分ではなかったが、しかたなしに、どうぞ、と勧めると彼はシャープの前に腰をおろした。いぶかしげなライフル隊に向かって、シャープはぶっきらぼうに「彼は今日、こちらに到着したアーサー・カークランド公爵だ。准将でこの度はサウスエセックス隊の視察でこちらに来られた。失礼がないようにしろ」とだけ言った。彼は、かぶりを振って、何もそう気にするなと言いい、手土産だ、といってまたシャープに酒のはいった瓶を寄こした。今度は、ラム酒だった。
「開けて皆で飲めよ。うまいぞ。酒と女はこの世界で数少ない楽しみの一つだ」
 そう言う声は綺麗な顔に似合わず存外に低かった。それから、クク、と笑って彼はライフル部隊を見渡した。
「若すぎる、という顔をしてるな、お前たち。だがこういう話を聞いたことはないか」
暗がりだが、彼は意地悪く笑っているように見えた。そして彼はつづけた。
「国というものを具現化したものが、人間の形として、どこの国でも存在している。ソイツはたまに戦場に現れて前線で兵となり将となり戦い、また政治に経済にも関与し、その生のほとんどを城で過ごしながら、時に平民としてふるまう」
彼は歌うように言った。
「聞いたことはあります。が、ただの噂かと」
パーキンスが口を開くとハーパーがそれを諌めたが、彼は気にはしなかった。
「ああ確かに噂だ。でも噂と言うのは時に真実を含んでいる。戦場に居て、情報将校とも親しければわかるだろう」
シャープが、待ってくれ、というような表情をしたが彼はやめなかった。
「俺がその国だよ。俺は人間じゃない。United Kingdomそのものであり、Englandそのものだ。だから若造のなりでも一応は准将なのさ。位は公爵と言っても後にも先にも継ぐものもいなければ継いだものもいない。形だけだ。信じる信じないは、お前たちの自由だがな」
 場がざわつき、シャープは思わず彼を睨んだ。
「俺の部下を混乱させないでいただきたい。ホーガンや、ウェルズリー将軍が聞いたら何と言うか」
 そういうと彼は初めて気まずそうな表情をした。
「……俺が口を割ったというのはホーガンには言わないでくれ。あんまりあいつに叱られるのは好きじゃないんだ。ロンドンにいた頃も何かと口うるさかった。ユーモアがあるし頭も切れるから嫌いじゃないんだが、説教されるのはかなわん」
 彼は深いため息をつくと、他意はないんだ、と言った。
「俺にとっては貴族も平民も愛しい国民であることに変わりない。それだけだ。俺はただ無意味に自分が国だと触れまわったりはしないが、それでも知ってほしい時もある。お前たちには知っていて欲しかった。それだけだ」
 彼は銀ボトルにはいったウィスキーを一口飲むと、「飲むか」と言って隣に座っていたバグマンにそれを渡した。バグマンはそれを受取って、口をつけた。
「ハーパー軍曹。君はアイルランド人だそうだな」
「そうです」
「なれば俺は君に礼を言わなければならない。アイルランド人ならイングランドが憎いだろう。実際、俺もアイルランド兄さんには好かれていない。それでも君はシャープとともに勇敢に戦ってくれていると聞く。ありがとう」
 シャープは、もしかして彼は今、酔っていて少し饒舌になっているのかもしれないな、と思った。
「別に俺はあなた、イングランドのために戦っているわけじゃない。フランスと祖国アイルランドのために戦っている。それだけだ」
それでも、俺は感謝している。そう彼は言った。
「あなたが本当にイングランドだというなら是非ともお聞きしたい。わが祖国、アイルランドはどんな人ですか?」
 彼は薄く笑って、それにはあまり答えたくないな、と言った。
「悪い人じゃないが、俺のことが死ぬほどきらいだ、昔からな。たまにスコットランド兄さんと一緒に呪いの手紙を送ってくるよ」
 自嘲気味に彼は言った。ハーパーはそれ以上、何も言わなかった。
「シャープ大尉。君には子供がいるそうだな。もし嫌でなければ、今度抱かせてくれないか」
「喜んで。あなたに抱かれればきっと娘にも幸運がやどる」
 奇妙なことに、この場にいる全員がなぜか、もうこの若造が国であるということを確信し、それに対して厳かな気持ちになったのだった。