Call Me 彼(か)は黒を広めた国である。あるいは灰色を、灰青を、鼠の色を広めた、世界を黒にて染めた。 例えば、フランスなどは青と白と、はたまた赤など、例のトリコロールの如く、派手である。世界がその覇権にひれ伏した時、赤の地図の内情は黒に染まった。 シルクハットの黒きよ。杖の古き焦げた茶色、あるいはフロックコートの灰よ。工場は煙を吐きつつづけ、雲は埃を飲み込む。白いものといえば、北の工場でまるあのしろい「わた」と、肺をやんだ子供たちの顔くらいのものである。19世紀、その赤の地図は、しかと、そうしかと世界を支配した――その統治は植民地という意味ではない。彼(か)が支配したのは価値というものである。考え方と言う物である。 その黒と赤は、時を経て20世紀の初めを過ぎた頃、同じく黒に復讐されようとしている。 米国が一心不乱の代自由化を望み、ソ連が一心不乱の大粛清をひき、世界民が一心不乱の大戦争を望むより前、英国は一心不乱の大侵略を望んだ。 3の十字を重ねた旗を掲げ、アポカリプスの日を否定し、郵便から放送制度にいたるまでしっかりと錆びた剣でもって今年月の膿をなし、名を刻んだ。 しかして、かくして、そうであろうとも、当の、ミレニアムよもその前に袂をわかち、違う枝葉を伸ばした同じだけの黒が、狂気から、その剣の切先、火花を向けられたとして、そうだとも何を驚くことがあると言うか? ―― 1939年9月 英仏、ドイツのポーランド侵攻に際し、ドイツに対し宣戦布告。 1940年6月 マジノ線崩壊後、パリ陥落。ドイツ、アシカ作戦を計画。 同年 8月 バトルオブブリテン開始。ドイツ、英国本土上陸を目指す。 しかし英独における空戦は英国側の勝利におわり、アシカ作戦は無期延期 となる。なおこの空戦で英国空軍により初めてレーダーを使用した戦闘が おこなわれる。 1941年12月 日本、ハワイを攻撃。太平洋戦争勃発。ドイツ、イタリア、アメリカへ宣 戦布告。 1942年8月 スターリングラードの攻防戦開始。 1943年7月 イタリア、ムッソリーニ逮捕。 1944年6月 オーヴァーロード作戦開始。史上最大の上陸作戦となる。 ナチス親衛隊モンティナ・マックス少佐、総統得秘666号により…… 部屋の中に居た。腰にはサーベルを刺している。マッチを擦る音が舌打ちの音をかき消した。イライラしている。そこに電話が鳴った。 彼は、溜息をつき、そのベルをとった。電話主の声を聞き、眉をひそめてから声を出した。 「何の用だ、お前は出撃したんじゃなかったのか、ルーマニア人。今、俺はクソ不味い煙草のせいで不機嫌なんだ、話があるなら手短にしろ」 「なんの。つれないの。お前のためにこきつかわれているというのに。それに私はルーマニアの生まれではないよ」 「じゃぁ無きワラキア公国の総主さま、俺はお前が嫌いなんだ、電話してくんじゃねぇよ、つーか回りがうるさい、吸血鬼、お前いま何をやってる?」 「なに、露助の、グールのできぞこない相手に、棺桶があばれておるだけじゃ。あんまり暇なんで電話した」 「ウォルターは何している」 「わんわんの相手だ、おもしろいぞ。人狼などみるのは久しぶりだ」 灰皿に煙草の火を落とし、書類が積み重なる机に足をのせ、イギリスは舌打ちを隠さなかった。 「人外どもが、気持ちの悪い。おまえらどっちも共倒れしちまえ」 白い帽子をかぶり、白い服をきた、黒髪の、幼女の顔をした化け物はクククと低い笑い声をあげた。壁に設置された電話機から動くことなく、突入する兵隊相手に化け物は引き金を引き続ける。 「哀れだの。英国よ。帝国よ。大英帝国よ。アメリカ製の煙草に、アメリカ製の輸送機に、こんな化け物に手を借りなければ戦争も出来ない。ふふふ、ひどくおもしろいぞ、ひどく楽しいぞ。大戦は狂気だ。帝国、お前がその狂気の最初の積み石だ。つかえばよかったものを、この私を。さすれば、こんな茶番は、すぐにおわったものを」 その言い草に、苔色をした軍服に身を包んで、イギリスは煙草を挟まない右手の人差指で黒い受話器をコツコツとたたいた。 「さすれば、するり、といかぬともざらりとぐらいにはすぐに終わるものを。お前は殺した。それをしなかったがゆえに、お前は殺したロンドンで、アフリカで、お前はお前の血脈を殺したのだ」 しばし何も言わなかった。見られぬままに黒を広めた男は笑った。 「なめるなよ小僧。そんなことは思いもしなかった。たしかに俺たちは、英国は、ジョンブルは、生き延びるために、誇りでなく見栄のために、どんな手でも使うだろう。だからこそお前はそこに居る。俺は全てを覚えている。この地に鉄火をもって闘争しにきたものを全て逐一覚えている。俺は一つだって許したことはない、一つだって逃したことなどない。だが、この戦争は、この戦いはお前の領域じゃない、そこはお前の領地じゃない、国のケンカだ、化け物の喧嘩じゃない。狂った王さま、どれだけお前がうらやましくとも、俺はこんなところにお前を入れてやりゃしないね」 屠られた死体のアイアンクロスを踏み、ふん、と白い幼女は鼻をならした。眼の前では、手足のはえた「かんおけ」ドイツ兵をちぎってはなげ、ちぎってはなげを繰り返している。 「これだから、ジョンブルは。そんなだから衰退する」 英国人は煙を消した。声に出さず笑った。 「だから舐めるなと言っている。おれは帝国まで1000年待った。同じく1000年続けてやるさ。ドイツみたいな、アメリカよりも青い童貞の小僧と一緒にするな。この俺が髑髏帽子の騎士に俺が怯えるものか。髑髏も竜も海賊船のものだ。己の旗に怯えてなんとする?俺は騎士ってやつが十字軍の時から嫌いだ。奴らのいう誇りって奴が嫌いだ。誇りの夢想に酔う気どった奴が嫌いだ。ノーブリスオブリージュを持たない貴族が嫌いだ。全てを貴族と世の所為にする共産主義とそれにつき従う労働者どもが嫌いだ。俺は、そんなしっちゃかめっちゃかを、そんな馬鹿な誇りとやらを踏破してここにいる、ここに立つ。なぁおい、吸血鬼。諦めを踏破したおまえはいつまでそこにいる?」 化け物は引き金を引く。そして、熟女趣味の幼女は高笑いをする。 「死なずの夢をみるか。私と同じ人外よ。世界の空を、大気を埃と灰でおおい、まちがいとくいちがいを繰り返し、どんよりどんよりとこの地に足をとらわれている。そのままでいいともおもっちゃいないんだろう?見栄を張るので頭がいっぱいでアメリカに魂を売りそうだ。なに私の事なら、すぐさ。天か地獄か、私を呼ぶ(コール)したらばすぐにでも逝くさ。準備は当にできている。心配してくれるな、この私とて夜がよいのをしっている。月が良いのを知っている。暁の残光をしっている。枯れる花も落ちる星も酒精をつくる水も嵐と風邪を呼ぶ雲も呼ばれるまでここにある。永久に。永久にだ。コールされれば行くまでよ。こたびとて、コールされて私はここに立つまでよ。そうとも、主の電話一本でいつでも行くとも。微塵の後悔もなく。人外よ、微塵の後悔もなくいく準備はあるかいの。私とちがえど、帝国どの、お前もまた血を飲むフリークだ」 机の上にのせて組む足を逆にした。彼は答えなかった。もう一本、煙草に、輸入品の、口に合わないアメリカンスピリッツに火をつけた。ふう、と煙を吐いて息を吸い、一息で言った。 「うっせぇ、馬鹿、餓鬼、ヒゲ、熟女趣味、幼女。さっさと仕事終わらせて帰ってこい!さっさとクイーンと俺を安心させてさっさと帰ってこい、この馬鹿!」 受話器を叩きつけ、彼は電話を切った。頭をかき、サーベルを抜く。部屋に迫るはひとつの足音。髑髏。しゃれこうべ。十字のもの。どれも己とたがわぬゆえに、何をおそれることのあらん。 一方、川向うにロシアの迫るワルシャワの地下で、喰人鬼(グール)の群れを後ろにし、ロリータは、少女は、ほんの少し眉を寄せたただけだった。 「おや、切られてしまった。年よりは短気でいけない」 彼女は、彼は、ワラキアは振り返った。 「全く化け物よ。幾千、幾万、幾百万、ついには億土をもって侵略してもまだ足りぬ。クリスタニアは程遠くだ。まったく持って度し難い。狂いと言わずしてなんとする。納得しうる何かを、もっと何かを求めて走る狂いの狗だ。泣かぬために。引き金はお前さんだったというのに。全く持って度し難い、狂いの髑髏だ、驚喜と狂喜にみちた脅威の狗だ。まぁ、よい、それじゃキャベツさん(クラウツ)達や」 受話器を置く。少女はいつものように傲岸不遜に笑う。失敗したグールと百戦錬磨のSSの方を向いて、伯爵は、公は、王さまは、ワラキアは笑う。 「腹が減っては戦は出来ぬでな。少し食事をさせてもらうぞ」 |