天使。そいつは、ロンドンにある街の名前だ。嘘じゃない。本当にエンジェルって名前なんだ。キングスクロスのすぐ近くにある。だから、わが大英帝国っていうのは、天使に祝福されてるのさ。しかし、残念なことにここはエンジェルじゃねぇ。花と芸術、そして犬の糞にまみれたパリだよ。

「薬局にいこう」
 紙袋を抱えて歩く奴は思いだしたようにいった。
「は?なんでだよ」
「コンドーム買い忘れた。寄ってかねぇと」

 は?と俺は間抜けに口を開けて固まった。まるでこんな感じの口調。あら、いけない、私ったら。生理用ナプキンを買い忘れちゃったの。だから、ねぇ薬局よっていいかしら。
 奴はつづけて言った。やだ、イギリス人のお尻は生がお好みなのかしら?

「死ねよ」
「死ねねぇよ」
 不快な声をだしてフランスは笑った。
「うるせぇな、お前なんざロンドン塔にぶちこまれちまえ」
「だったら俺はバスティーユをお勧めするぜ。てめぇの腹に奴隷の焼印押してやるよ」
 なぁ俺のノミちゃん?そう奴は俺の耳元で囁いた。俺がいつからパリでクソを垂れる犬の毛にへばりつく虫になったつーんだよ。

 なぁ。
 なぁ、なぁ?

 濁った青い眼をした男はなんども低い声で繰り返した。お前、自分の声で俺とセックスする前にイッちまうんじゃねぇの?そう言ったら、そんな俺を見たら、お前は昇天しちまうよ、と奴は卑しく笑った。笑うと、いつも髪が揺れる。
 その時、偶然目に着いたのは、バーに掲げられたレインボーフラッグ。世界で最もフリーダムな国、オランダをのぞいてヨーロッパで最もゲイに優しいのはロンドンだという。ロッキーホラーショーとサー・イアン・マッケランが存命の限り、その権利はまもられる。片やフランスはオランダの男と結婚した自国の男から国籍を奪った国。が、周りがあまり優しくないからといって、自分が自分に甘いのは死刑、という法律は幸いない。
だから、俺たちは子供が裸足で歩くような暗い裏路地に入ってキスをした。




 駄目だ。早く。早く。そう思うのは、奴のベッドのシーツに染みついた匂いを吸い込む瞬間だ。まるでありきたりなパブロフの犬。このベッドで。俺は何回、裸になっただろう?今日みたいに、なんでもない休日だったし、他の誰かも来てるパーティでこっそりしたこともあった。またある時は仕事の後で互いにスーツを着ている。奴がサヴィル・ロウでしたてて俺のシャツに指をかけた時のボタンが外れる微かな音。俺が、ファーレンハイトの香りをかぎながら、奴のベルトに手をかけると時の金属音。はたまた、獣みたいに何度も齧りついてかじられる時の傷の色。頭の中でそれを再生する。でも今日はTシャツにジーンズ。だからきっとインスタントに快楽が得られるんだ。同じ場所でシチュエーションが違うって、それだけで最高だろう?

自分の口から息が漏れるのを自覚した。熱い。股間が膨張するのと同時に、呼吸が荒くなる。
「ぼっちゃん、」
 奴が続けてなにかセリフをいう。声が体に染みる。耳にかかる息が濡れている。だから俺も濡れると思う。肩筋に落ちる唇の感触を堪える。すぐに声は出さない。堪えた方が気持ちいいから。振り返って、奴の眼を見た。濁った眼。ブルーアイ。まるで銀色に光る。俺は?俺はどうなんだ。どう見えてるんだ?不安で、不安で、仕方がない。

「いつもいってんだろ、声出せよ」
 つーかお前、出されるまで責められるんのが好きだよね?まじ淫乱でたっまんねー。
 セリフに腰が疼いた。そのまま、全部服を脱がされてまる裸にされる。わからない、目の前が真っ白にになる。もっと、もっと。ああもうなんだよ、俺。馬鹿だろう。
 手を伸ばしてフランスの金色の頭を抱いた。口を開ければ舌が入る。まるで、指で中を掻きまわしてるみたいに。キスをしながら、奴の服を脱がす。舌と舌。唇と唇、肌と肌。擦れて、摩擦熱で体が溶ける。痛ければいいのに。それだったら耐えられる。でも、俺は気持ちいいのには、我慢できない。

「フェラしてよ」
 俺、お前の舌が好き。
 唇を離すと、まるで浮かされた声でフランスは俺の頬を撫でた。その指を自分の指で撫でて、俺は奴のまたの間に顔を埋ずめる。花柄のボクサーパンツ(フランス製の下着ってのは男物でもなんでこうも派手なんだ?)の隙間から、勃ったのを取り出す。口の中で唾液を溜めて、それを咥えて吸った。無味感想な皮膚の味がする。はっ、とフランスが息を吐く。眼だけを上にやると手で顔を覆っていた。薄く、その唇が笑ったのが見えた。
「いい眺め。たまんねぇ。お前に見せてやりたい。こんど動画とりながらやろうぜ」
余ったが手が俺の髪をすく。馬鹿。そんな手で、優しいつもりなんだろう。頭抑えられたら、動かせねぇだろうが。無精髭の男は快感で歪んだ眼でヘラヘラと笑う。でも漏れる呼吸は余裕がない。だらしない男っていうのはいやらしい。亀頭を喉の奥まで入れる。軽い吐き気を堪えて目を伏せる。もっと。フランスの息が上がる。いい気味だと思う。離せって言われたって離してやるか。
「イギリス、お前、」
 犯されてるのは、俺の腐った脳みそだ。まるで中毒で幻覚見えそう。簡単に腰が疼く。下腹の中が、欲しい欲しいって合唱しだす。腹立たしい。だからお前なんざそのままいっちまえ!
悪い、出る。口の中で膨らんだのが弾けた。何回かうねった。汗ばんだ体がしなだれかかってきた。口を離して唾液と精液を一緒に飲みこむ。ハァハァ言ってるわり萎えてない。顎を持ってうわ向けられる。
 あ、抱かれる。
 キスされながら、反射的にそう思った。中にまだ、お前のが残ってるのに構いもしねぇのかよ。そのままベッドに押し倒される。しみ込んだ匂いを吸い込むと気が遠くなる。
「最高。なぁ、お前の俺のこと好き?」
 俺は好きだよ。お前が。心臓に直接囁かれた。髭がこすれてくすぐったい。いい、とも何も言ってないのに、唾液で濡らした指が中に入ってくる。俺のだってとうの昔に勃っていて、濡れた先走りで擦られる。すぐに解されてしまう。気持ちいから出さなかったはずの声がもう抑えられない。何か言おうとしても、はぁ、という息にしかならない。
「フ、ランス」
 前立腺に触れられて喉からヒ、と悲鳴が漏れた。悪魔の笑い声が聞こえる。早く来いよ。言いたくて、ベッドにつく腕にすがった。奴は、コンドームのパッケージを歯で破りながら、淫乱、と、前と同じ言葉を言った。
「淫乱でいい」
 好き、お前がちゃんと好き。
 入ってこられる。
 体重を乗せて首を絞められる。やめろ、指跡は、キスマーク以上に残るだろうが。眼の前が霞む。息が出来ない。ああでも、もっと、絞められたい。
 中で擦れるのと同じリズムで、フランスが小さく息をつくのが聞こえる。
 やるんじゃない。するんじゃない。
 抱かれてる。
 ああ、ああ。
 どうしようもなく自覚する。好きだ。好きなんだ。ちゃんと。俺はちゃんとこいつが好きなんだ。
 言え、って言わる前にいってやろうと思うのに。流されるよりも早く。いつもそれが叶わない。

ああ。ああ。

声を漏らして、止まらない。マグネシウムを焚いたみたいに、目の前が白くてチカチカする。
「もっと……」
 気がついたら口から洩れていた。
「どこ?」
 フランスが聞く。
「ラ(そこ)、ラ(そこ)、ラ(そこ)」

 フランス語で、何度もつぶやいた。俺はきっといい男娼になれると自分で思う。町で言ったみたいに焼印の痛みと熱さでいい。淫乱でかまわねぇよ、もっともっと気持ちよくなりたい。
離れたくない、離れたくない。だから、早く。
 終わって、眠って、そしたら煙草とコーヒーの味がするキスをするんだ。