体を裂き切るような悲鳴を聞いた。その方向は雨の降る地を割って天を刺した。それが、俺が聞いた初めての絶叫だったとはいわない。俺は何度も、何度も、その声に耳を塞ぎ、忘却を術として生きてきた。
けれど顔を上げる。
 耳のうちの木霊する声を無視して、背後にのびる亡者の手を振り切り、唾を吐いて。  俺の頭から生まれるハエと蛆虫は、いつでも俺と同じ顔をしている。
俺がその亡者だとして、何の責め苦を負うのだと。
 自分に足りないものが覚悟だとは知っている。しかし、その頼りない足で歩いた。
 全てを譲らずとも、譲るつもりがなかったとしてもそれでも俺は奪ったよ。



 僕が傭兵だった頃がある。僕は、兄弟となぐりあったことがある。ぼんやりしてるのも、あんまり喧嘩が好きじゃないのも本当だけど、たぶん、他の人よりも、「僕は僕だよ」という意識は強いと思う。踏ん張って、耐え忍ぶだけが強いということでもないと思っているし、それ以前に、踏ん張って耐え忍ぶような状況を無理に選ぶことを美学だとも思わない。もちろん、がんばりどころっていうのは、誰にでもあるけどね。
 聞こえてくる泣き声を無視することが出来る。誰がどれだけ揺らいでも、多分僕は揺るがない。力を入れることだけが力の使い方じゃない。
 まぁ、そもそも、僕の場合あんまり欲しい物って言うのが、ないんだけどさ。



 両者の対戦は、一歩もひくとろをみなかった。
「あの二人まだやってるのかい?今日の主役は俺だぞ!」
 アメリカは、ぷんすかと頬をふくらませた。
 両者というのは、イギリスと日本のことで、二人は譲るところない熾烈な争いをくりひろげていた。
「あの指の動きは、すごいというか正直きもちわるいな」
 ドイツが呆れたようにTVの方を見やって溜息をついた。リズミカルな音楽が画面からは流れている。
 あの音ゲーマニア共め!
 暴言をはきつつ、アメリカは内実、それほど怒っているわけではなかった。フランスは当の昔にNYの女の子を口説きに外に出ていて(その前にたっぷりカナダの頬に髭を擦り寄せたという被害記録がプロイセンの日記のちに記されることとなる)今も残っている面子は、そう多くはない。彼らはこのまま、マンハッタンに花火が上がる時間まで、だらだらと過ごす予定だった。

「ねぇ、カナダ、なんかおもしろことないかい?」
 アメリカは、ドイツが手作りしたという素朴な焼き菓子を食べながらそう言った。
「僕?僕はカラオケ行きたいなぁ」
「悪くないな」
 ドイツが相槌をうった。イタリアは女の子女の子と口をついている。
 アメリカは、えーとさらに不満そうに頬を膨らませた。
「君らのもちうた暗いからやだ」
「じゃぁ、女の子?」
 カナダが頬杖をついて聞いた。イタリアがニッコリとドイツの方を向く。アメリカは深いため息をついた。
「You sure?無理だと思うけど」
「どういう意味だ」
「ドイツ、カナダ、君達ナンパしたことあるかい?」
 沈黙がおりた。二人の鼓膜には一瞬、膜がかかってしまったようだ。
「じゃぁさ、アイスを買いに行こうよ」
 カナダが言った。アメリカが、え?という顔をした。
「足りてなかったっけ?」
「君の冷凍庫のことだから足りてるとは思うけど、この季節はアイスがいくらあったっていいかなって。散歩のついで」
「では、片付けていかなくてはな」
 散らかったテーブルをみてドイツが言いながら立ちあがった。
「じゃぁ、ドイツさん、僕とアメリカでアイス買ってくるのでイタリアさん片づけしてもらってもいいですか?何か好きな味があれば買ってきますよ、なんならビールも買ってきましょうか」
 アメリカが、え、という顔をした。ドイツは、ビールの銘柄を指定すると、ヴェーヴェーいうイタリアと一緒に皿を重ねた。


 玄関でカナダが靴ひもを結びなおしていると、アメリカが、ちぇっと舌打ちした。 「まったく、やんなっちゃうよ」
「何が?今日は君が主役じゃないか」
 立ちあがって外へ出る。日差しがまぶしい。風のせいか、まるでセントラルーパークにいるような緑のにおいがした。
 アメリカは、その辺の小石を蹴った。カナダが、別の石を蹴りころがす。
「いいじゃないか、イギリスさんはこうして来たんだから。そのせいでぶーたれるなんて子供じゃあるまいし」
「わかってる」
 石はころころと音をたてた。同じように歩いているように見えて、アメリカの方が少しだけ歩くのが早い。
「うらやましいなぁ」
 転がる石を見下ろしながら、カナダが言った。
「いいじゃないか、よくも悪くも人が集まって来てくれる。皆君のことを覚えてる」
「本当にそう思ってるのかい?」
 俺でも、嫌われたり避けられたりするのは、やっぱり悲しいんだよ。
 日差しは、アスファルトに濃い影をつくった。
「うん、でもやっぱり僕だって目だってみたいから」
「嘘をつかないでくれよ。本当はちっとも羨しいだなんて思ってない癖に」
 アメリカは、ぷい、と横を向いた。カナダは答えなかった。
 町にはどこもかしこも、星条旗がかかっている。どこから国家が聞こえる。アメリカは、少しだけ気分がよくなった。そうだ、カラオケ行くんならこの歌こそ歌わなくっちゃ。
「ハッピーインデペンデンスデイ、アメリカ」
 調子を合わせるようにカナダが言った。
「君もね、兄弟。ちょっと過ぎちゃったけど」
 スーパーマーケットの中に入ると、きつい冷房が、一気に二人の体を冷やした。花火も売っていた。しかし、花火は日本がなにかしらいろいろごまかして、日本製の花火を持ってきてくれていたから、それで遊ぶ事になっている。二人はなぜか顔をつきあわせて、ぷ、と吹きだした。

「前さぁ、クリスマスの時にイギリスさんがツリーもってきたことがあったよね」
「あったあった。結局俺のツリーの方がでかくて、それで凹んでずっとのんだくれてた」
「フランスさんは今日みたいにすぐに女の子とどっかいっちゃって」
「アレ、またふられたんだよ。あのおっさん、なにかあるとすぐにイギリスに嫌がらせするから直ぐわかる」
「あるなぁ」
 買い物かごに、アイスやビール以外の(日本がみたら卒倒しそうな類の)お菓子をどんどんつめこんだ。
「来てくれた事はさ、嬉しかったんだ」
 ぽつり、とアメリカが言った。カナダは、うん、と頷いた。
「前はプレゼント渡して帰っちゃったし」
「うん」
 レジは同じような買い出しの客で込んでいた。
「でもさ、当たり前になっちゃうのかなと思うと、少しだけ、寂しいんだよね」
「そうだね、いいことなのに、なんか寂しいんだよね、僕もそうだった」
 カナダは、買い物かごの片方をレジに置いた。
「その上、あんだけずっとゲームされると、ちょっとね」
「本当だよ。あれが普通になったらむしろ来ないでほしいよ、俺のゲーム機だぞ!まったく、日本まで。ゲームのことになるととことん譲らないんだから」
 アメリカは、思いっきり溜息をついた。
「まぁ、老体ふたりにこの代金は持ってもらうよ。あの人達だけ何もしてないしね」
 荷物をもって外へ出る。途端に暑い。あんまりまぶしくて、サングラスをもってこればよかったな、と二人は思った。
 一瞬だけ、目をつぶる。
 横を歩きもしない。前を歩きもしない。後ろを歩くなどというのはもっとありえない。
 肩を並べて歩くのでもないのだ。皆、別の道を歩いている。
「少し日が落ちてきたけど、暑いね」
 瞼をあけると、やはり、太陽が眩しい。
「そうだね」
 アメリカは同意した。重たい荷物をもって歩く。サンダルが、ぺたぺたと音をたてた。
「不謹慎だけど、育てられるのも大変だよね。いつまでたっても、本当に超えられた気がしないんだ。背丈ぬいたり、ああ小さいんだなって気づいてもなんかまだ、足りない気がしちゃって」
「そうなんもんじゃないかい?あのドイツですら、プロイセンに手をやいてみたいだし。この間なんか、兄さんはだまってくれかなんとかいって、あの仏頂面が真っ赤になったり青になったりして、面白かったぞ」
「え、それ何だい?詳しく聞かせてよ」
「君も案外人が悪いなぁ」
 アメリカは笑った。
 しなければよかったと思う事の数と、しておけばよかったと思う事の数は大して変わらない。後悔は苦く重いし、立ち直るふりをするのにも骨を折る。
「まったく、下の人間の身にもなってほしいよね。これで結構気を使うんだから」
 アメリカが口をあひるにしながらいったので、カナダは声に出して笑った。
 帰って、玄関のドアに手をかけた瞬間、ドイツの「イタリアあああああ」という怒号が聞こえた。二人は顔を見合わせる。いつもにぎやかなことだ。
 もう少し暗くなったら花火を見に行く。
「よし、来年はもっとすごいパーティーを開いてやるぞ!」
 アメリカは急に機嫌をよくした。カナダが「でも人にたからないでよね。まったく、合同パーティーなんてもう二度とやらないよ!」と文句をつけた。アメリカがペロっと舌を出す。
 入口には、七月の一周目に記念日を迎える二つの国旗が飾られていた。