昔は兄と慕った人間がバイだと知った時の衝撃と言ったらなかった。まるで上から、コーラをぶっかけられた気分だった。同性愛は神に反する行為であり、罪であるというのが俺の認識の半分を占めていた。彼の恋人はともかく、彼自身は、俺と同じ考えであると勝手に思っていたのだが違ったようである。 「昔からだよ、アメリカ。貴族の趣味は女装と男遊びと決まってる。女の次に、男が好き。それだけさ」 そういってイギリスがフランスと腕を組んでロンドンの街へ消えっていた。二人に気分よく見送られるはずだった俺は、ヒースロー空港でただ呆然と立ちすくんだのだった。 一瞬「どっちが上でどっちが下なんだろう」という事を考えて自己嫌悪してしまったことは、俺のヒーロー人生から消し去りたい一ページだ。 「ぼっちゃーん」 「黙れ髭」 会議が終わってフランスが座ったままんまのイギリスの首に腕を巻きつけて顔を寄せる。イギリスはそれを振り払うことはないけれども、嫌そうにしながら資料にまだ眼を落したままだ。そんな様子に「酷いわ」などと言いながら、何事かをフランスはイギリスの耳に吹き付けた。イギリスは片眉を跳ね上げて、それにフランス語で答えたようだった。愛の囁きとかじゃ何でもない。寧ろ外交的な――何かを二人だけの間で交わしたのだと思う。この二人はお互いを信用はしていないが、奇妙な信頼関係にあった。 なんと恐ろしいことに、この二人は「お付き合い」なるものをしていることを隠してはいなかったので、二人を酒の席に誘うものものいなかった。俺はただ、兄貴分だった二人が、よく分からない悪魔に捕らわれてしまったような気がして気分が悪かった。 二人が会議室を出る。俺は、カナダと次の北米諸国での会議について詰めながらその様子を遠くに見やる。相変わらず二人で口うるさく喧嘩をしているように見える。イギリスが時々フランスをなぐって、フランスがイギリスを殴り返す。その繰り返し。 「そのままくたばれファッキン老大国」と、心の中で親指を下げたのはここだけの秘密。 フランスと二人で飲む機会があったから、フランスに直接聞いてみた。何でイギリスと付き合おうなんて思ったんだい?そしたら、あからさまに嫌そうな顔をして眉根を寄せた。野暮をいうんじゃねぇよ、若造。でも残念、おれは若造だから低い声で脅したって効かないんだよ。 「俺にも知る権利、とまではいわないけど聞く権利くらいはあるんじゃないか?君に答える義務があるかどうかはしらないけどさ」 「そもそも同性愛に関して懐疑的なお前に答えたくはないね」 「それでも、君は、いつか俺には説明しなくちゃならないって思っていたはずだよ。 少なくともなくとも俺が知っている君はそういう人だ」 そう言ってにっこり笑って彼を見ると、観念したかのように彼はため息をついた。 「いいだろう。何が聞きたいんだ?馴れ初め?付き合ってから幸せか?それともベッドでの上下か。俺があいつに殺されない範囲で答えてやるよ。ちなみに馴れ初めから今までの経緯を全部話せって言うんなら、1000年をどれだけ短縮しても全部で10年はかかるぜ」 「意地悪を言わないでくれ。俺は嫉妬してるんじゃない。怒ってるんだよ」 「……世の中の全てがお前の倫理で動いてる訳じゃねぇ」 「動いてるかどうかは問題じゃない。いつも言ってるだろう?反対意見は認めないぞ。倫理の通りに動くべきなんだ。それが神が保証した自由のもとであるかぎり」 フランス語で、彼は何か罵りの言葉をいったようだが俺は聞こえないふりをした。 不味い酒になっちまった、と悪態を付きながらもようやくフランスは説明を始めた。 「あいつのな、声がいい。それからあのナイフ見たいな目がいい。女好きなのも俺と同じだ、悪くない」 彼は少しうっとりしているようだ。酔っているのかもしれない。俺は黙って話を聞き続けた。 「100年なんてもんじゃねぇな。俺とあいつじゃ、敵じゃない時間の方が少ないだろうよ。二人で組めば世界をとれたろうけどな。ああ、駄目だな、なんかうまく言えないね。お兄さんでも、上手くは言えないね」 本当に、そのようだった。彼はマティーニを一気に飲み干すともう一杯、とウェイターに頼んだ。 「それじゃぁ、理由なんてないみたいだ」 俺が言うと、彼はあまり俺が好きではない――所謂、「大人の」笑いを俺に向けた。 「恋に理由なんてない、ってよくいうだろ?」 「君の場合、発情するのにという感じだけどね」 酷いな、と彼は答えた。恐らく、イギリスのことを回想しいているだろう彼は大層、笑っているような、何か苦虫でも食べているような複雑な左右非対称の複雑な表情をしていた。 「多分、理由はあるんだ。けれど、それを言っちまうのは美しくない。俺の美学に反する。ただ、お前が何を懸念に思っているかを、俺が正確に把握してるかはわからねぇし、お前がこういって満足するかもわからねぇけどな――少なくとも俺たちはそれなりに真剣だ。今までどおりに、それなりに真剣に戦ってるぜ」 俺は、その答えに満足した訳ではなかった。俺自身、何にたいして腹をたてているのかはよく分かってはいなかった。1つは、同性愛というものに対して確かに腹を立てている、というか侮蔑の念をどこかに持っていることは自分でもわかる。もう1つ、これはあまり認めたくはない――がそう思う時点で、認めていることだが、どちらにしろ、俺にとって兄と呼んだ人たちがその兄によってとられてしまったことに対する苛立ち。だけどそれだけではない、何か、「認めない」という感情が俺の中にあった。 フランスもそれを汲んでいたようだが、もしかしたらそれは、彼が言うところの、「理由はるけれど言ってしまうと美しくない」ものに近いところなのかもしれない。 フランスが、「お前は彼女をとりあえず大切にしろよ。あ、でも若いからってあんまりしすぎるのも程々にな」といって背中をたたいたので、言われなくてもそうするさ!と答えて、ビールを一気に飲み干した。前に、ロシアから貰ったコンドームは、とうの昔に全て捨てた。 「あいつが俺の全てを賭けて戦うに値する相手だからだよ」 フランスが言ってしまうのは美しくない、として言わなかった答えをイギリスは自宅の薔薇の手入れをしながらあっさりと答えた。 俺がイギリス宅にいるのは別段暇だったからでは断じてなく、ロンドンでアングロサクソン諸国だけの会議があり、そのために彼のうちに泊まることにしたからだったが、明後日が会議にも関わらず、彼はその日、庭仕事に精を出していた。俺はイギリスがバラに肥料を与える様子を後ろからみながら、芝の手入れを手伝った。土をいじる彼の背中は、妙に爺臭いものがあったが、どこか昔の彼のような優しさがあった。 「ここはな、お前も知っての通り両極端が同時に存在する国だからな。世界一ゲイとバイに優しい国で同時に、潔癖にそれを嫌がる人間も多い。俺自身は別にこのご時世でそこまでどうこう言うもんでもないと思ってる。これでお前が一番引っかかってるだろう同性愛にまつわる話は終わりだ。お前のところは州によって違うから、お前自身はどっちつかずだけどどちらかというと嫌だ、ホモなんて軟弱なものは恐ろしい――ってそんなとこだろ」 彼の声は酷く冷静だった。庭いじりをしているから、彼の心が穏やかだった所為かもしれない。 俺は額の汗をぬぐい、芝の上に置いてあったペットボトルの水を飲んだ。喉が痛いわけでもなかったが、気管支炎にかかった時みたいに何も言えなかった。いう言葉を俺は持ってはいなかった。 「あいつとの関係を愛だの恋だのというのは確かに俺も気持ち悪いとは思うけどな。ただ、じゃぁ何でだ、っていうお前の質問に答えるなら、俺が俺をかけて戦うに値するだけの「何か」だってことだろう。あいつが」 「……愛とは戦いだって?」 「言うじゃねぇか、ガキの癖に」 そう言ってイギリスは振り向いて俺をからかうように、は、と声を出して笑った。俺はそれを不愉快に思って、片眉を吊り上げたが、彼が、「休憩にしよう。ランチはピザのデリバリーでいいか?」と聞いたので俺は何も言わなかった。またペットボトルから水を飲む。その水が酷く、苦いもののように感じられた。 とはいえ、こうやって複雑な心情を抱えている、若しくは、附に落ちないでいるのはきっと俺だけではない、と俺は考えていたので、孤独に鬱々とするのは止めにして(別段俺はそればかりを考えていたわけではないよ)、カナダをキャッチボールに誘った時に話をしてみた。 カナダはやはり、俺と同じくなんとも苦く思っているようだった。キャッチボールの合間に、二人で公園のベンチに座ってコカコーラを飲む。カナダは「なんていうか、周りの迷惑というか気持ちも考えて欲しいよ、正直」と、彼にしては随分強めの言葉を吐いた。空を仰ぐと、白い雲がゆったりと風に流れていく。 「反対とまでは言えないんだけどさ。いい気分とはとてもじゃないけど言えないね。おめでとうとって言えばいいのか、お幸せに、って言えばいいのかすらわからないよ」 カナダは怒っているという風ではなく、淡々と話した。 「強いて言うなら、勝手にしやがれって心境だな。可能なら今すぐ別れて欲しいね、俺は。もっとも勝手にしてる結果が今なんだけど」 「全くね。せめて隠すとか……そうじゃなきゃ申し訳なさそうに言ってくれるとか、なんでもいいけど、何か周りに対する配慮が欲しんだよ。差別的なことを言ってるのはわかった上で言うんだけど、それがあったら随分、今の俺たちの心持は違ったと思うよ」 「……そういう君はゲイじゃないだろうねカナダ?もしそうならおれはしばらく引きこもるぞ」 「ノーマルだよ。残念なことにね。君だって彼女がいるんだろ?ジェニーだっけ、写真見せてもらったの」 俺はカナダから顔をそむけて地面をみた。アリの行列がどこかへと続いている。それを踏みつぶしたくなる衝動を俺はこらえた。 「そうだよ。明るくっていい子だよ。女の子は柔らかいしいい匂いだし、うんいいね。やっぱり」 「あの人たち、女好きのはずなのになんで付き合ってるんだろ、ああ駄目だやっぱり頭痛い。考えるなって言ってもそれはそれで結構難しいんだよね。なんだかんだ言って身内だから」 「そうなんだよ。人のことだったら、多分ここまで衝撃うけないよ。俺はさ、同性愛嫌いって思われてるけど……まぁ実際そうなのかもしれないけど、言うほどじゃないんだよ、俺自身は。ただそう見られるのが怖いだけでさ。実際、同性でも結婚できる州も少なくないし、ゲイの友達もいるしさ。ドラマでだってレズビアンの世界が取り上げられてる。でも、身内ってなるとやっぱり違うんだよ。しかもあの二人だ。あと何でだか、こっちが、そうやって悩んでることに罪悪感を持たなきゃいけないのかが納得いかない」 あ、それわかる、とカナダは同意してくれた。カナダが、俺と同じく、素直には彼らを祝福できないことにたいして同じ気持ちだということをしって、俺は少し気が楽になって、カナダの、俺とおんなじ顔を見た。 「日本なんかは、あの二人がお付き合いしてるのが犯罪じゃないように、俺がそう思うのも犯罪じゃないですよ、とは言うんだけどさ、それでも、ね」 「イギリスさんにさ、俺聞いてみたんだ。なんでよりによってフランスさんなんですか、って。そしたら、「俺とあいつだからだよ」だってさ」 「へぇそうなのかい?俺にはイギリスは、アイツは戦うに値する相手だとかなんだとか言ってたよ」 「え、何、君も聞いたの?」 「それは俺のセリフだよ」 カナダは声をだして苦笑した。確かに笑うしかなかった。解決はしない。が、大切なのは気持ちの落とし所だ。俺は悪くない――、彼らと同じように。いや、やっぱり正直彼らは悪いとは思うんだけどさ。 「アメリカ。賭けをしないかい?いつまでイギリスさんとフランスさんが続くか」 「珍しいね、君からそんな話を持ち出すなんて。でも賭けにならないと思うぞ、そんなの」 それもそうだね、とカナダは言った。コーラはいつの間にか、殻になっていたが、ありの行列は未だ続いていた。 「俺達、若造にはオッサンの考えることなんてまるでわからないよ。違うかい?カナダ」 「その通りだね。ああ、でもよかったアメリカと話せて。俺もずっと引っかかってたんだ」 少しそうしてすっきりした所で俺たちはまたグローブを持って立ち上がった。またキャッチボールをするためだ。あのオッサン達もサッカーだけじゃなく、少しは野球をやるといい。そうすればまた、何か違ってくるだろう。 「じゃぁいくぞ、マシュー!」 「来いよ兄弟!」 西に向かう太陽の下で、俺は大リーグ投手なみのボールをカナダに投げた。 |