巴里祭。フランスではこの日を、Le Quatorze Juillet(ル・キャトルズ・ジュイエ)、すなわち単に7月14日と呼ぶ。フランス革命の巴里祭は、日本でLe Quatorze Juilletと題された映画の邦題である。 フランス人が誇りに思うこの美しい国は、この日は一層賑やかだ。午前中は、シャンゼリゼ通りで、軍事パレードがある。ロードレースの、ツール・ド・フランスがある。空では、フランス空軍のアクロバット飛行チームによる演技飛行もあるし、パリ以外でもどこもかしこも一日中、花火をあげている。近年では、各国の要人を招くのが通例となっており、2004年は英仏協商100周年を記念し、英国女王を招いての食事会では、高級ワイン88本(合計、1000万円とも3000万円とも言われている)がふるまわれたそうである。 ……ということを、日本は事前に、知った上で7月14日のパリに来ていた。右手にはしっかりカメラを構えてシャッターを切っている。通りでは、フランス外国人傭兵部隊が行進していた。もうそろそろ、パレードはしまいだ。 この日、本人いわくの「フランスお兄さん」は国賓のおもてなしやらで、大変忙しいので、落ち着くまで会えない。その間に日本はパリ観光にいそしんでいる。ついこの間、アメリカの家で独立記念日があったばかりで大変あわただしいしが、観光は日本の趣味の一つだった。日本を含めアジアとは全く趣の異なる、この街の美しさは、確かに称賛に値した。まさしくシャンソンの「パリ祭」か「オー・シャンゼリゼ」が、何処からか聞こえてきそうな、トリコロールの可愛らしさが似合う街だった。 さっきまで、イタリアと一緒にいたのだが、彼は今現在、女の子を口説くのに忙しいようだ。その様子を、ドイツが眉をひそめて眺めている。そんな二人を見て、若いっていいなぁ、と日本は微笑ましく思った。 夜になれば、彼が誇るこの街の、彼の趣味らしく小洒落た家で、つまみが振舞われる。このつまみをイタリア兄弟が担当する予定だ。きっとフランスは上機嫌で、ワインセラーからその料理に合う秘蔵のワインを出してくれるに違いない。革命に乾杯!というかどうかまではわからないが、少なくともアメリカの誕生日よりは美味しい食事にありつけそうだ――。日本は食べる前から、嬉しい気分になった。 ちょっと休憩しましょう、とドイツを誘い、イタリアに合図をする。 今日は、いい日だ。 誰もがというわけでもないが、多くの人が知っている。今やイギリスとフランスは、海底トンネルでつながれていて、ロンドン・パリ間はユーロスターで、二時間余りで行き来できる時代になった。ユーロトンネルは、日本の青森と北海道を結ぶ青函トンネルに次ぐ、世界第二位距離を誇る。つまり、それだけ2国は近い距離にあった。 全くもって、忌々しい話だ。 そんなことを考えながら、イギリスは空を見た。フランス空軍のアクロバティック飛行チーム、バトルイユ・ド・フランスが演技飛行を行っている最中だった。国軍によるこのパレードは、果たしてこの日にふさわしいのか否か。 7月14日、革命が始まった日。バスティーユ牢獄を襲撃した日を、フランスは国の記念日と定めている。だが、その歴史的評価は必ずしも賛美されるだけのものでは決してない。 ――だいたい、お陰でうちも大変だった。 約200年前を回想しながら、イギリスは空を見るのをやめ、ゆっくりと街を散歩しながら、周りを観察することにした。 黒、金、赤、茶。髪の色、肌の色は様々だ。パリは、移民が多くなった。ロンドンと同じだ。金持ちも、難民も多くやってくる。土地代が高くなり、昔からのパリっ子がこの街に住めなくなっているという。 だが同時に思う。ヨーロッパはいつだってそうだったし、パリもそういう街だったのではないか。この街に魅せられた異邦人は数知れない。特に、芸術家が多かった。異文化と、現地文化の融合は、多くの場合、新たな文化と芸術を生み出す。そしてこの街は多くの、異邦人の芸術家たちに愛されてきた。あまりに大きな理想を抱いてこの街にやってくる人間は、この街に失望を覚えると言うが、それでもなお、世界中からこの街に憧憬を持つ人間が、集まってくる。 その割に、博物館や美術館が無料開放されていないのは、一イギリス人として感心しないが、花の都とまで言われるこの街を、認めるだけの度量はイギリスも、持っていた。 それに、ロンドンだけが、イギリスではないように、パリとワインだけがフランスでもない。 観光客らしい、アジア系の家族連れに、たどたどしいフランス語で道を尋ねられた。イギリスはそれに英語で答え、彼らの目的地がすぐそこだったので一緒に行って案内をした。凱旋門。数あるパリの名所の中でも特に有名なその場所で、彼らに頼まれ、写真をとった。 良い旅行を、と手を振って別れる。 一年のうちで、7月14日だけドゴール広場の門に掲げられるトリコロールは、革命の旗。ラ・マルセイユズがこの国の国歌と言うならば。 イギリスは再び空を見る。飛行機の演舞が終わっても、今日は一日中、フランスのどこかの空で花火が上がっている。 ――Messidor(メスィドール)収穫月に乾杯を。 声には出さず、フランス語でそう呟いて、イギリスはまた、パリの街を歩きだした。 20世紀前半には考えられないほどに、ドイツとフランスは今、親しかった。 「ゾーリンゲン再高級包丁セット一式と、ドイツビールにブルスト(ソーセージ)だ」 フランスはメルシー!と上機嫌でそれを受け取った。昔は賠償金を支払っていたのに、今はプレゼントをやり取りしている。あの「伝説の賠償金」の半額は、フランスで支払う分だった――。 嫌な過去を思い出し、思わず眉間に皺が寄ったが「そんな顔すんじゃねぇよ」と言ってワインを勧めて来たので、黙って頂くことにした。ドイツと言えば、ビールのイメージが強いが、ワイン、特に白ワインの消費量は世界的にも多く、南部だけとはいえど、自国でワインを造ってもいる。アルコールは好きだった。 ブルストと包丁は、アメリカによく似た、そうだ、カナダからのプレゼントらしいサーモンと共に、「俺も何か作る」といったフランスに調理場に運ばれた。誰もセクハラされないといいが、とドイツは思うが、同時に無理だろうと思って諦めた。酔ったフランスの扱いは、イギリスにでも任せよう。 ドイツの9つの隣国の一つである、フランスは、自分よりも、ラテンの血が濃いはずだが、イタリアやスペインとは随分と違う、とドイツは評価している。女を愛し、芸術を愛する、カトリックであるという面では確かに似ているのかもしれないが、同じにして冷たい印象があった。それこそフランス映画のように、どこか気だるい。理論家で、個人主義者である彼は、イタリアのように、道端で泣いている人に寄って慰めるようなことはしないで、とびきりの美女なら別だろうが、一瞥もせず通り過ぎていくのみだ。 それでも、彼は人生を楽しむことに余念はない。例えば、こんな風に。 「お兄さん特製のサーモンのガレットと、ソーセージのオムレツだ、感謝して食えよ。あ、アメリカ!次譲れ、俺もやりたい」 いいよ、とアメリカがTV画面に目を集中させたまま返事をする。アメリカと日本が、PS3(日本からフランスへのプレゼント)で格闘ゲームにいそしんでいた。それを眺めていた、スペイン、とイギリス、カナダ、ロシアが揃ってガレットの方に移動する。部屋にはいい匂いが漂う。 今日はエッフェル塔の花火も見た。フランスらしく、一時間も遅れて始まった。花火とともに鳴る生の音楽は、やはり素晴らしかった。 時計の針は、とうの昔に7月14日を過ぎている。TV画面では、日本が操るキャラクターが、アメリカの操るキャラクターに向かってコンボを決めた。 ドイツは、この対戦が終わったら、コントローラーを譲ってもらえるよう、日本に声をかけた。 |