Creep 薄明の、夕暮れ時から飲み始めたのがいけなかった。 「大丈夫?まだ吐きそう?」 便器のワッカからは、アンモニアと、塩素のにおいがするはずだが、鼻がおかしくなっていて、それも感じる余裕がない。わかるのは、この便器が白いということだ。 「無理しちゃだめだよ。おじいさんでもないけど、若くもないんだよ、僕ら。」 背中をさする手は誰だ。とりあえず、情けなくて涙がでそう。その前に鼻に胃からもどったアーモンドがつまってそれが出そう。とんでもなく死にそうだ。耳もつんぼで感覚ががねぇ。ああ泣ける。 後ろで何かがなっている。コンコンコンコン。ノックノックジョークなら後にしてくれ。俺はいま何も考える余裕がないんだよ!けれど、俺の変わりにロシアが答えた。そうだ、こいつおそロシア様だった。 「大丈夫そうか?なんなら変わるぞ、お開きじゃないし、お前もまだ飲みたいだろ」 ああ聞こえるは、宿敵の声。生存本能ってすげぇな、こんなにしんどいのに体中がその声でアラートだしてやがる。関節がいたい。リンパ腺がはれそうだ。なのに信号は臨戦対戦を整えよ!無理、はっきりいって無理だ。ああ畜生。頭まわんねぇ!視界はこんなにぐるぐるなのにだ。 「そうだねぇ、僕もまだウォッカ一瓶もあけてないよ。でもフランス君が」 キィという音がなった。扉があいて、便座の周りが少しだけあかるくなってそれがみえた。あとは変な形をした影だ。小さく、ため息の音が聞こえた。その影はしゃがみ込んで、おロシアさまがするの同じように背中に手を当てた。 「まだ胃に中身はあるのか?ないのか?答えられないなら、右手をたたけ、吐くなら一回、はかないなら二回だ」 耳に、膜が掛っている。世界がそれぞれの輪郭をなくして、教会を薄くする。母音と子音がまざり、発音された音と音の間が曖昧になってよくわからない。その割に溜息だけはやけに鋭く刺さった。一発大きく、ドンと背中を叩かれると、喉が逆流した。ドロドロと酸っぱく苦いものが流れた。匂いは分からない。目の端が痛い。鼻が詰まっている。それからさする手。それが温かいのか、冷たいのかもよくわからない。俺の頬がぴったりついているところだけ、便器がやけに「あったかく」なっていて、それが間抜け。 腸がでんぐりがえって咳をする、クソ、全部いてぇ。もうなんもない。多分脳みそまで全部はいちまった。顔がぐっちゃぐっちゃで顔を拭く。鼻水だ。泣きべそだ。眼やにだ。ついでに鼻血だ。 また溜息が聞こえた。誰のかわからない。 「手でふかないの」 眼の前が白い。なんだ。トイレの紙だ。 「おら、鼻かめよ」 誰だ。俺は子供か。なんか手がいじられてる。誰だ、でっけぇ手。痛いって、トイレットペーパーは目が粗いんだよ!俺のお肌が傷つくだろう。プライドと一緒にボロボロになるだろう。 「胃はもうからっぽ?」 どっちかつーと心が空っぽだ。おそロシア様が俺の涙でにじむ視界の端にうかんだ。うんうなづく。そしたら水洗トイレの流れる間抜けな音。詰まってなくてよかった。男3人でトイレのなかってちょー狭い。ああクソ。メルド。「世話かけやがって」っておい、このちんちくりん、それは俺の科白だっつーの! 「うっせぇな!行くぜ、いい加減頭は馬鹿でも立てんだろ?ああもう泣くんじゃねぇよ、うざってぇ。鼻血おれの服にまでつけやがって。こらティッシュ鼻に詰めてろ、だから抜くな阿呆!」 右手におロシア様、左手にイギリス様。どっちも大概あれだ、冷たい寒い。俺そう言うの嫌いなの。肩担がれて、ああ意識が落ちそうだ。しっかり立て?ヤダよ。面倒くさいんだ。お前たちにはそれができるのかもしんねぇけどさ。嗚呼駄目だ、ここにいる感じがしない。 「やっと戻ってきた。大丈夫かいフランス?」 大丈夫って美味いのか? 「見ての通りだよアメリカ、完全に死んでやがる。このまま死んじまえばいいのに」 「そしたら一個ロシア領だねぇ。ごめん、プロイセン君、フランス君寝かせるからちょっと詰めて」 「おいよっと」 座れる?って?座るってなんだ?頭打つなって、ああもう支えられてんの俺。やだな、やだな。 「もしかして泣いてんのかフランス?」 「みてぇだな。何聞いてもぐぇあしかいわねぇけど。ったく迷惑だよ」 「君に言われたくないと思うぞ!」 なんか嬉しそうに喋る声。遠い。すっげぇ遠い。直視なんざしたくない。見たくない。だから目を落とす。鼻血がとまんねェ。そろそろ紙から漏れそう。神経も魂も一緒に抜けそうだ。 「誰がコレ回収するん」 「僕がしてあげたいんだけど、この後リトアニアとも飲みに行くんだ。アメリカ君も来るんでしょ?」 「行くよ」 「プロイセンは?最近仲ええし」 「そうしてやってもいんだけどな、泊まってるホテルまでだろとちょっと。明日うちにイタリアちゃんがくるから今日は真っすぐ帰りたいんだ」 「いいよ、ホテル同じだし俺がタクシー乗っけてく」 「道端おいてくんちゃうん、イギリス」 「まさか、こいつが女々しいのはしってんだろ。後が面倒になる。まぁせいぜい今度のネタにしてやるけどな。ついでに写真とってお前らにも送ってやるよ」 マジで?くれよ。それは酷いなぁ、死んだらヒマワリをかざってあげなきゃ。顔に落書きしようよ! ああ無責任なクソどもがありがとよ。俺はこんなにグロッキーなのに、そうだな、お前らに愛なんざないよな。見てもないのに耳だけやたらドンドン膜が取れてきて最悪だ。いまだけ鼓膜がツンボになりますように。いや、やっぱやだ、そしたら俺が本当に一人みたいじゃないの。本当、俺はいま何を踊ってるんだ?ここで何の地獄をキメテるんだ? 奴らもそのうち酒が入って上機嫌、俺の内臓は急降下。奴らの口から出るのは俺の悪口ばかりだ。気どりやで悪食。すぐに怒鳴る卑怯者。ちょっと他人がいい眼を見ると許せずに横から利益をかっさらう。怠け者でやる気がないくせに、変態的な淫蕩には妙に元気。などなど。俺をどうやって負かしたか話し合って、そこから気がつけば奴らの会話は過去の栄光、お互いの恥さらし。俺はいない。そうだよ、昔から奴らが羨ましい。俺はここにいない。意識を持ってこの方、ずっと俺は怖くて怖くて仕方ない。こいつらが羨ましくて、そして恐ろしい。この世界そのものに、輪郭が、境界が、薄明かりと夜明けの曖昧にすくんでいる。 俺はプロイセンみたいな傷のついた綺麗な体を持ってない。スペインの様に全部に真っすぐ切り込む過激な熱もない。アメリカのがむしゃらさなんていうのは勿論で、余裕をまとうことで距離を作って頽廃のふりもするし、おロシアさまみたいな、子供の、純粋な餓鬼のおっかない眼で世の中を見ることも出来やしねぇ、だって俺はずるいからな。イギリスみたいに曖昧の現実をそんなもんだろと飲み込む程頑丈でもねぇ。 「あ、リトアニアからメールがきた。僕らはそろそろ二軒目に行くよ、フランス君、いくからね?うーん、大丈夫?」 椅子に寝っ転がったまま片手をあげる、顔は上げない。ああ死にたい。 残りの連中がまだぎゃぁぎゃぁと騒いでる。お前らもさっさと解散しちまえ。つーかくたばれ、てめぇらなんて俺と同じで過去の栄光にすがる自分と同じ顔した蝿だろーが。 夕闇だ。それが悪い。薄明が悪い。酒でも俺でも、こいつらでも無く、きっとそれが悪い。俺はは、何も聞きたくないし、何も見たくないし、ずっとずっと底に沈んでいたい。でもその孤独に耐えられるほどの皮膚ももってなければ、踏み込まれて無事にいれるだけの心臓もない。 俺はAかBかはっきりしたものが好きだ。ただ綺麗に見えるだけの曖昧なら愛せる。そこで止めちまえばいい。その先は、そんなものさと分かったふりしてすませればいい。この世界が、腕のないヴィーナスならいいんだ。言えよ。おまえら皆七つの大罪をの舐めてるんだろ。そうなんだろ。そしてそれだけなんだろ、ああ腹がたつ、俺だって全部じゃねぇってわかってるんだ、それが全部じゃねェのは知ってるんだ。ああ、花畑はどこなんだよ。誰も知らないところにきっと、死ぬほど美味いマカロンとフォアグラがあるんだろ?ちくしょう、頭がいたいっつてんだろ。誰か水飲ませろよ。 「髭、おい帰るぞ。畜生、自分で立てよ。まだ泣いてんのか?何があったんだ、おい。あんまりマジだと扱いずれぇだろうが。鼻血のティッシュくらい自分で変えろよ、クソったれ」 そうだクソだクソ。どいつもこいつも皆まとめてクソのつまった袋だ。俺が喰っているのはそのクソを養分にした土から採れた物を餌にした肉だ。そのクソがクソを生む世界の不完全、大嫌いだ。吐きだめのフラジャイリティとヴァルナヴィリティの、その曖昧な輪郭だけをとりだして、完全に美しければいいと思う。俺はそのままであってほしいと思う。 その腕の欠けたヴィーナスに現実の、リアルの泥をぶっかけてそれこそが愛しくたまらないと笑うイギリスみたいな野郎は完全なサイコちゃんだ。煮え切れない現実を喜ぶキチガイだ。畜生、羨ましいな。結局、誰が誰がわかんねぇけど膿の痛みに悶え苦しんで、ゲロを喰いながら「けどこの灰色の世界がたまんねぇ」って心底言えちまうタイプの狂人にはなれねぇんだよ、俺は。 俺はこの世が怖くて怖くて怖くてこんなに怯えてるのに。 美しいものが怖い。醜いものを見ると吐き気がする。俺にとって欲情は恐怖だ。常に。憎悪や、ましてや愛情なんてのはそれ以上に俺にとってはおっかないものだった。何を吐きだしても何を手に入れても俺はこの先も多分本質的に不能で無能だ。輝かしい世界で、俺がもっと素敵なものだったらよかったのにと思う。 こんなのは、滅多にはないんだ。本当に、滅多にはないんだ。そうそう水面に出てきやしねぇよ。俺みたいな怖がりが生きてく為には、ちゃぁんとそれには蓋をしてあるのさ、俺は愚かだが馬鹿じゃねぇンだよ。ああわかってる。この世はクソの墓場じゃねぇことはしってるよ。高潔があるのだって俺はちゃんと見て着てんだ、あいつらのこっちゃねぇけどな。この世は地獄、吐きだめばかりとだときどって怠惰と耽美にひたるのは、ただの怠けもの胆がスカスカのケツの穴が小せぇ野郎がする仕事だって知ってるよ、知ってるさ。 タクシーが揺れる。高慢で破廉恥なジョンブル野郎は御自慢の200ポンドのヘッドフォンをしていて俺の呟きなんてきいちゃいえねぇ。いいや、わかんねぇ。もしかすっとタクシーの運ちゃんと話でもしてんのかもしれない。俺はいま本当は何も見てねぇンだ。何も聞こえないんだ。 ずっと、ずっと、ここに居ていい気がしないんだ。 俺はここに居ないんだ。 俺がここに居る気がしない。 |