ザ・ロックンロール・ガーデン















 となりの村から交代要員が来たのは午後10時を回ってからだった。制服を着替えて、重たい足取りで奴の店の西側にある家の扉をたたく。時刻は12時前。「お疲れさん」と階段の手すりにもたれて奴は俺を出迎えた。襟付きの黒いシャツにジーンズを、少し着崩していた。向こうも仕事が終わったばかりの所為か少し頬がこけてみえる。
「汚ねぇけど、我慢してくれ」
「気にすんな、俺も似たようなもんだ、うちじゃアイロン待ちのシャツとが読みっぱなしのちらばってる」

 フランスは今日まとめてほしたらしいタオルの山をソファと料理関係とファッション関係らしい雑誌をソファから乱暴にどけて、「どうぞ」と、高級店のウェイターがする見たいに席をさした。俺は、イライラが隠せずにどかっと音を鳴らして座った。この後の事をおもって憂鬱にならねぇ奴はきっとモンティ・パイソンに出てくるあの男くらいってもんだ。フランシスは俺から一人分くらいスペースをあけて足を組んで座った。つーか何で肩に手が回ってんだ。おい。俺は両足に肘をついて、手を組んで俯いた。奴からあからさまに顔を反らして。
 また奴は口を開いた。

「私服で会うのは、はじめての気がする、その辺歩いてるのはみたことあったけど」
「初めてだよ。俺もお前の私服をみるのはキップ切って以来だ」
 俺は床に視線を起とした。静脈のハイウェイを憂鬱が駆け巡る。なんで、こんなことになっちまったんだろう。奴はニヤニヤと笑いながら、肩に手を回す。その仕草だけでなんか妙にいらやらしい。俺は両手で顔を抑えて、ああもうこのまま泣いちまいたい。
「Tシャツはニルヴァーナ?オズフェスト行くつってたからもっとヘヴィメタ系かと」
「メタルも聞く。オジーはヴァーミンガムが生んだ最高に笑えるスターだ、でもアメリカロックだってものによっちゃぁ、悪くねぇ、ってそれだけの話」
「もしかして俺がカート・コバーンに似てるとか思っちゃってる?」

 何故ラテン人は顔に顔を近づけるのが好きなのか、俺には、いまいち理解できない。仕方がねぇから裏拳を一発顔に入れてやる。高い鼻にあったって、奴がうめいた。いい気味だ、と思ったが俺の心の霧は50年代のスモッグよりも濃く重く、俯き加減に深い深い溜息をついた。死にてぇ。

「いってぇな!公務員が一般人に危害加えんのは犯罪だろ!」
「セクハラに対する正当防衛だ」
「これからセクハラ以上のことするのに?」
「!」

 口をあけたまま声も出せずに奴の顔を見たら、鼻をさすりながら、なんとも、例の「ニヤニヤ」した蛙みたいな笑い方もせずに、むしろ「きょとん」としたような顔だった。
「死ね。しんでくれ。今すぐ俺のために死んでくれ、俺の平穏のために!」
 往生際が悪いって?いいじゃねぇか、かの偉大なるチャーチルもいっていた。ネバーネバーネバーネバーギブイン。決して決して決して「決して」屈するな。もう遅いじゃねェかって?嗚呼知ってるよ!畜生、こいつがいっそインポ野郎とかそんなオチはねぇのかな、ねぇよな。

「耳、赤い」

 それはこいつがいつも浮かべるSmirkじゃなく、Smileだった。餓鬼がクローバーでもみつけたみたいに――おれは口をパクパクさせて。お前の頭はマシュマロか、とでも言おうとして、その笑い方がお幸せ過ぎてやめた。

「可愛い。可愛いなぁ」
「……」

 あんまり素直に言われたから、その先の言葉が続かなかった。俺は歯を食いしばる。そのまま首が横にずれる。首筋が肩を辿るのは知った感覚だ、そうだ、こんなだったなって思い出す。そのままソファに寝そべって、眼の前には逆行になったコックの顔。

「ストップ、つわねぇんだな、ベッドの行け、とか」
「どこだろうがやることやったら同じだろ?」
「ロマンがねぇな、狭いけど我慢してくれ。まぁ、月並みだけど優しくするよ」
「ソファの上で?」

 俺は小さく吹きだした。
「そう、ソファの上で」
 眼が合う。髭が二やりと笑った。なんだかんだ、やっぱり諦めは悪く、それはそれは病いの重い溜息をついて――「具合が悪かったら明日別れる」と言った。

「そりゃこまった、まぁせいぜい頑張るさ。別にセックスなんて必ずしもつっこむ必要ねぇンだよ。一緒になって楽しくて気持ち良くって、幸せになって優しくなれたそれでいい」

 髭が頬にこすれる、剃ってるけど多分俺の髭もすこし奴の首筋にざらりと滑る。

「男同士ってどうやんだ?ケツの穴ってそう簡単に使えんのか?」
「人の話聞けよ、クソオフィサー。つーかちょっと黙らねェ?イライラする」
「俺は最初からイライラしてるぞフランス人、俺たちゃもともと1066年から仲が悪いんだ」
「……」
 少し気分を害したようにフランス人は少し強く肌を噛んだ。
「見える所に痕はつけねぇよ、大人のマナーだから」
「へー、で、俺は寝転がってりゃいいのか?」
 喋ってないと落ち着かない。どんな相手でも初めてのセックスはいつだって始めて引越しの挨拶すませるようなのにて、少し怖い。

「そうしたいのか?」
「いいや、それじゃ巨乳の姉ちゃんよんだときとかわんねーだろ」
「警官がその発言はどうなんだ?」
「なる前の話だからいいんだよ」

 フランシスはさらに機嫌を悪くした。ぼそっと、「……俺なんでこんなちんちくりん好きになったんだろ」と呟いた。アーメン。指を十字にして神にお前の幸せを願ってやろう。Tシャツは胸まで向かれて、舌がはう。腹が立つから、奴のも脱がす。

「じっとしてんのがいやならお前も動けよ」

 俺は――その一言で不機嫌になって――、いや違うな、不機嫌になってんのはやっすいジーンズの下で俺が勃っててコイツも勃ってて、しかも俺自身大変やる気だということだ……。来週から村唯一の本屋ではきっとゲイ向け雑誌の発注が一冊増えることだろう。って、ちょっとまて、それってもしかして浮気にはいんのか?いや女とつきあったってAVみるからはいんねーな。

「ぶつぶついいやがって、いい加減腹くくれよ、気持ちいんだろ?」
「うっせぇ!」
「お前がうるさい、ちった御近所の迷惑顧みろ、夜中だぞ」

 ベルトが外された。顔を隠したくなるけど、それも気娘みたいでこっぱずかしい。でも顔はリンゴの赤。警報の色だ。信号の赤は止まれなのに俺は止まれない。こいつも止まれない。

「マジでさわんのか?」
「可愛い顔してますがお巡りさん、俺はマジですよ。なんなら俺の先に触ってみる?」
 へ?と喉から間抜けな声が出たと思ったら握ってた。眼の前にはいい顔したシェフがいる。セクハラ!と叫ぶもなく、「ああ幸せだー」と眼の前の奴が言うから俺は口を牛みたいにパクパクさせるしかない。
 ああもうそれからは――。まぁ俺だって大人だよ。情熱的なキスの仕方もしっている。背骨を指先が辿る感覚も知っている。気づくこともある。男の乳首って口に入れるとこんなに小さいんだなとか、一回火がつくと、生理的嫌悪感が残ってても相手が心底うれしそうなら自分も吊られるもんだなとか。ああそうだ、この家に来た時から、俺は赤信号を無視したんだ、いやもっと前からか?ラテン人っていうのは、びっくりするくらい率直に愛を囁くんだとか、いや俺だって好きだっていったことは、それが心からだった事は何回もあるけども、こんな照れも何もなしに――それともそれはこいつの性格か。 
 コンドームの袋を咥えてちぎるときに変な顔したら「男同士でも、いや男同士だからこそセーフセックスって大切なんだよ。体は大切にしないとね」と真顔で言った。触って、触られて、「とりあえず今日は俺が突っ込むぞ」とかいって、想像以上にやたら長くいじられて死にたくなってマグネシウムをたいたみたいに前が白い。
 なんかまぁー、わけわかんねぇ。
 けど、一番大切なのは、その間、俺はちゃんと幸せだったってことだ。
 多分、それだけだ。





 翌朝。ソファの上で眼が覚めた。あたりはすっかり汗臭い。しかも狭いから体があちこち痛い。思ったより俺もやることがわけぇな。奴は隣で軽くいびきをかいている。間抜けな面をしていて、思わず吹きだした。
「おい、フランシス、俺行くぞ。シャワーかせ、仕事はまってくれねぇんだ」
「ん……」
「畜生、起きねェとこれからずっとクソワインって呼ぶぞ。もしくは勝手に借りるぞ」
 起きる気配がない。家帰ってから浴びてもいいが、出来れば早くさっぱりしたい。仕方ねぇから起き上がって伸びをした。ゴミ箱にすてられた使用済みコンドームと、銀の包装が「ああ昨日の出来事は事実なのね」と俺に思い出させた。
「え、へ。は?」
 俺が動いたせいか、フランシスが間抜けな顔をして目を覚ました。
「昨日はどうも、コックさん、起きたか。シャワーあびてえんだけど」
 奴はガシガシと頭をかいて、「あー」と声をだした。
「俺達あのまま寝ちまったわけね、裸のまんま」
「おう、やっぱベッドでやるべきだったな、次の日のために」
「今何時だ?」
「5時半」
「……お巡りさんは早起きだな」
「今日は7時に交替だからな」
 もっとゆっくりしてけばいいのに、とフランシスは文句を言った。とはいえ、どうせ仕込みがある分こいつも朝は決して遅くはないのだ。
「あー、わり、跡ついちまったな」
「へ?」
「そこ」
 フランシスに指された場所を見た。

「いいよ、別に腹だし。それよりタオルはバスルームにあんのか?」
「ああ、好きに使っていいぜ、俺は飯でも作ってやる。俺は朝はそんなにくわねェ主義なんだがアーサー、お前はイングリッシュブレックファーストがお好みか?」

 そう尋ねる奴の英語はやっぱり、フランスなまりだ。

「そうだな。でも朝はコーヒーの方が好きなんだ。目が覚めるから」
「OK」
 それがその朝、最初のキスだった。
「幸せだな」
 気づいた。少しだけフランシスの目元が赤い。俺は鼻で笑った。
「そりゃそうだ、なんてたってここは幸福の村だからな」



Fin.