ザ・ロックンロール・ガーデン















 フランシスはOpenの文字を裏返しClosedにした。店にはもう誰もいない。俺はカウンター席を椅子がわりに腰でもたれて、腕を組んでいた。奴は、相変わらずしまりのない顔をして、「煙草でも吸うか?」と俺にきいた。

「いいや。飲食店での喫煙は禁止だ」
「おかたいこって。嫌煙家?」
「前は吸ってた。でもあんなに馬鹿高い金払ってまで吸う気はしねぇな、もう」
「それもそうだな」

 それでも本当は一服したかった。料理人特有の、白いコックコートをきたフランシスは、俺から少し離れて、同じようにバーテーブルに持たれた。その指が手癖のように煙草とライターを探して、結局本人も無い事に気がついたようで気不味そうに所在の無いままその手を膝に置いた。

「全くたまげたぜ、あんなもん生きてるうちにそうそう生でみれねぇよ」
 会話の糸口を探るようにフランシスは言った。俺は、帽子を裏返したり元に戻したり回したりを繰り返しながら、静かに、そうだな、といった。

「ドイツ人の弟の方が上だと思ってた。下だなんて全くクレイジーだぜ。アーメン、ハレルヤ、世も末だ」
「そっちかよ!まぁ、フェリシアーノは俺がい言うのもおかしいが、いい子だぜ。旦那にもってけるなんて幸せもんだよ、あの眉間にしわ寄せた野郎がさ。それに、ああいうのに限って、仕事以外はドMだったりするんだよ。俺は経験上なんとなくわかるんだ」
 経験上?と俺は少し険のある声をだした。
「そ、経験上だよ。知ってるか?パリのフェティッシュイベントじゃぁ、大体一回1000人の変態どもがあつまるんだ。ヨーロッパ中から、抑圧された性癖の解放を求めてな」
「……あんま、聞きたくねぇ話だな」
「うそつけよ!あのドイツ人の兄貴とやたら濃いエロ本の貸し借りしてるだろ、俺は知ってんだぜ」

 知ってなくていい!といつもなら怒鳴ったろうが、しなかった。とにかく、この時俺は、例の生のホモチューにあてられたのかなんなのか、とにかく無気力で、疲れてたんだ。
 お巡りさんは何時だって忙しいんだ。市民のために。だからそう、疲れてたんだ、それだけだ。昨日だって疲れすぎてバカみたいなことで勃起しちまってたよ、そんくらい無気力だったんだ。
 だから、俺から話をしなくてもいいようにきいた。

「で、お前はなんでその解放された都市からこんな田舎に来たんだ」
「何、俺の事知りたいの?」
 俺は黙った。ただ、相変わらず、帽子をいじってた。奴も少しの間、唇を閉じて、それから静かに口を開いた。こいつに似合うのは怒鳴るような喋り方だが、フランス語なまりに似合うのは、沈黙するような語り方なのだ、この時思った。
「全てが解放されてるわけじゃない。面倒だって、いくらでもある。女と女がもめて、男と男がキャットファイトをする。それにな、フェティッシュの世界は解放されるためにあるけれども、どうにもコレステロールが多すぎるんだよ。俺は、今のあんたみたいに、嫌もっと酷くだな、おちて、食傷気味になって、疲れちまったんだ。それで一度、離れようと思った。色男には不幸と青い憂鬱が似合うけど、ちょっと幸せになりたくなったんだ、だからおまわりさんに会いに来た」
 そうか、と言いかけて俺は帽子を手から落としかけた。俺の顔をみてフランシスは、プッと吹きだした。
 ――眼もとも無精髭の生えた口元もまるでだらしなくニヤニヤと。
「てめぇ!」
 俺が大声を出すと、フランス人コックは――どうか頭のおかしい形容だとは思ないでほしい、イギリス人の警官が凹むから――花が咲いたみたいに笑った。
「おおいいな、やっと怒鳴った。その怒鳴り声を聞かないと、調子がでないんだよ」
 まるでいい声で、調子よく天井を仰いで笑う。俺はなぜか、その声に途端に恥ずかしくなる。
「俺は、ここ最近死ぬほど調子が悪い」
 ぽつりと言った。まるで、二日酔いになるほど酒を飲んでる日に口から出る愚痴みたいな、そんな感じだ。全く、どいつもこいつもクレイジーだ!
 しかし、フランシスは面白そうに、ふうん?と言った。こいつはいつも、小説に出てくるような、ラテンの男特有の、自分というものをわかりきった仕草をする。
「うっかり、自殺願望まで出てきそうだ、最近勃起障害なんだ、全部お前のせいだ。巨乳の姉ちゃんが縛られてるとこみて思い出すのがお前の髭とかありえねぇだろ」
 頭の中で、リンゴに似た真っ赤な警報が鳴っている。緑の鳥が、そっちの川をわたると帰ってこれないからやめておけ、と鳴いている。もう一匹、別に蒼い鳥が飛んでいる。俺、別にクスリなんてやってねぇのに!ティーンのヤンキーだった頃はやったけど!

 相変わらず、フランシスは、まるで美味い酒でも含んでるような顔で話した。
「本当だよ。疲れてるオフィサー(お廻り)が一市民に貴重な時間を割いてくれるのに嘘なんていわねぇさ。疲れて国をでてこんな田舎の、ロックで踊るか、サッカーで球を蹴り飛ばすかしかない、俺には到底似合わない村に来たのも本当、そこでお巡りさんがいたってわけさ」
「わかんねぇよ」
 憂鬱の中で笑うように、フランシスは俯いた。
「俺がここにきたのは1年まえだ」
「そんなもんか」
「で、店をはじめて3カ月、評判になった俺の飯をくわなかった奴がいる。いつだってこの店からは、他じゃ考えられねぇいい匂いがしてるはずなんだ。フランス料理つったって、そんなに敷居がたかいわけじゃねぇ。むしろ俺は、ここは誰でも気軽につまめる食堂のつもりで開いたんだ。なのにそいつは来なかった。人を案内するばっかで自分は食べようとしねぇ。なんかフランス料理にトラウマでもあんのかと思ったよ。しかも俺はその時、前に別れた彼女と彼氏からのメールに悩まされてた、まぁはっきりと分かれる前に逃げた俺が悪いんだが」
「……てぇへんだったな」
 その彼女と彼氏が。

「んで、さる休みの日に娯楽のないこの村で、俺は見事にスイス人の銀行家が片手間でやってるバーで酔いつぶれた。よくは覚えてねぇ、ただ暴れて裸になったとかいう恥ずかしい話さ。けど眼が覚めたら、警察の制服きた若い子がいる。一瞬、フェティッシュバーの中にいんのかと思ったぜ、ういう志向の。まぁ、わかるよな、いたのはお巡りさん、あんただ。この町じゃそんなのしょっちゅうだから覚えてねぇかもしんねぇけど」
「……」
「イギリスの警察官は、まるで当たり前のように机に足をのせてエロ本読んでた。俺がまだ頭がはっきりしなくて、起きれなかったら、掌でポンって肩を叩いたんだ、エロ本を読んだまんまな。起きろ、俺もそろそろ寝たいんだ、なんていいながら、そのまま、ポンポン叩いて、そのリズムが、とにかくよかったんだ。もっとも、腹が減っただろ、と言って喰わされたスコーンのまずさは呪って、おれはあんたの事を嫌いになりそうになった。まぁ、今でもある意味嫌いなんだけどな。でも、一緒に飲まされた、銀の水筒に入った、紅茶、あれはよかったな、あれだけはフランスじゃぁ、あんまりないんだ」
「あんなもん、スーパーの安い、紙パックの奴だ。特売で、3箱2ポンドなんだ」
「でも、俺には美味かったんだ。紅茶があんなに美味いなんて知らなかった」
 本当に、美味かったんだよ。フランシスはそう繰り返した。俺は、何か、いたたまれなくなって、息がしづらいような気分になった。
「おまわりさんは、エロ本から眼を一回たりとも眼を離さなかったけど、俺はあんたを見てたよ。本当はその時に口説けばよかったんだ。でも酒がまわっててまだ咄嗟に英語が出なかった。だから一つだけ聞いた。なんでうちの店に来ないのかって。そしたらなんていったか覚えてるか?」

 奴が口をつぐんだ。俺は考えた。何もかも全く覚えてない。つーか、あったけか、そんなこと。
「どんだけ考えても最近、恋で頭がヨーグルトになったルートヴィヒが酔っ払ってぶったおれてるのをギルベルトにあずけたことくらいしか思い出せねぇ」
 正直に言ったら、奴は怒りを込めた溜息をついた。
「流石だな、イギリス人は食に興味がないにも程がある。あんたはな、こういったんだ『今アメリカのオズフェストに行く金は貯めてる外食はできない』『俺は飲むより食う派だ』あれには、一瞬、殺意すらわいたね。いつか、俺の飯食わせてやろうと思って。でも、まさかあんたへの第一印象がスピード違反になるとは思わなかった」
 フランシスはケラケラと笑った。
「仕組んだわけじゃねぇンだよ。ただ、そん時から、なんとなくいいなぁと思ったんだ。童顔もいいし、それに似合わない低い声もいい。警官のくせしてヤンキーの餓鬼どもよりも、口がわるくて、いつ交番のぞいてもグラビアながめてやがる。性格もあんまりよくはねぇし、たまに泥酔してドイツ人の兄貴の方に肩担がれてる。でも俺の飯だけは食いに来ないのが気に食わない」
悪かったな!と俺が言うまえに、フランシスが、鼻にかかったなまりで、でも、と口にした。それから演劇でもしてるみたいに少しの間があった。
「キップきられた時も、本当にムカついたけど、これもありかと、思ってさ。あんたが真っすぐ俺をみたら、今度は俺も丁寧にちゃんと恋をしようかなーって」
 今までが、コレステロール一杯だったからな、まぁまさかあんなんでウチに飯食いに来るとは思わなかったけど、と笑った。
 ――フランス人シェフは、やっぱり咲くみたいに笑った。
 俺は地獄の釜に煮えるかのように、酷くひどく腹がったって、拳を目いっぱい握りしめて、殴った。肋骨と肋骨のつなぎ目、心臓のあるあのあたりだ。

「てんめぇ!」
 フランシスが、腹をかかえて咳き込みながら喚いた。
煙草が吸いたい。けれど俺は警官だ。そんな法律違反はできない。出来るのは帽子で顔を隠すくらいだ。
「……スピード違反なんか見逃せばよかった」
 ボソッと言った。途端に罵る声がとまった、まだニヤニヤと笑うあの嫌な、耳に残る喋り方で、奴は俺の方を見ている。
「おう、今度からそうしてくれ。車は飛ばす派なんだ。映画のタクシーみたいにな、シチリアマフィアもナポリのカモッラも真っ青だ」
「その前におれがSISに連絡をいれるな。この村には危険人物が潜んでる。そいつはフランスの最右翼で、ナポレオンの時代から酷くUKを憎んでやがる。そいつが毎晩毎晩、クソプジョーで暴走して危なっかしいから指名手配してやってくれって具合だよ」
 喉が渇いた。水が欲しい。酒はだめだ。頭がぶっとんで、俺は何を言い出すかわからない。とにかく今は。
(冷静に)
 警帽をかぶった。そしたら、眼の前にアップで奴の顔があった。俺は驚いて、違う方を向いた。そしたら体こと寄ってきやがった。

「こっちむこうよ、お巡りさん」
「なんだ、うっせぇな、仕事しろよ。あんだろ、夜の仕込みとなんとか」
「あるといえばあるけども」

 耳あけぇな〜とという方を向かないように俺は必死だった。畜生、なんでこいつがドア側に座ってんだ!俺は只管体をひねって、覗き込むようによってくる奴から身をかわした。そしたら。

「おい、てめぇ、帽子……っ」
「顔見て話せよ公務員」

 はめられた。奴の手には俺の警帽。あっというまに顔はアップをとおりこしてもはやピンぼけだ。背中に手?それとも腕?帽子はどうなったんだ。
 緑の鳥が警告する。眼の前に敵襲来、赤いリンゴが落ちてくる。青い鳥が船頭でこの川を渡ればいいんだとかほざいている。
 川の名前は多分ソドムだ。
ああなんだ、髪の毛と汗の匂いがする。

「み、い、息ふきかけんなよ、気持ち悪ぃ!」
「失礼だな、ラテンの男は情熱的なんだよ」
「しんねーよ!イギリス人のパーソナルスーペスはお前より遥かに広いんだよ、ってわ、わ、何すんだ、って何あたってんだ!」
「何って、アーサーさん実は馬鹿だったりすんのか?俺はしたいの今すぐしたいの別につっこみたいっていうなら考えてやるけどとりあえず今はつっこまれなよ、まずは後ろだけでいけるようになんなさいって大丈夫怖くねぇから!」

 服は着たまま。冷房はきいてる。俺は石。奴の手と唇だけが動いてる。あ、なんだ。変だ。そっか、首筋なめられたのか。じゃねえぇえええええ。

「お、落ちつけてお前、俺、勤務中、まだ勤務中なんだよ!離せ、なんだよ、もう、いいからとにかく一回離れろ!」
 柔道を習ってた。力がないわけじゃない。だからこうやって、ちょっと押しただけで、相手の体を遠ざけるなんて簡単だった。その筈なんだ。
 前が向けない。ただもう、俺は顔を抑えて俯いてる。フランシスは苛々したように髪をかき回して、溜息をついた。

「こんだけぐだぐだいっといってさぁ、なんだよお前。なんだよ、普通に考えて了承ってことだろ?結局あんた、俺の事好きなんだろ?違うなら、違う、無理なら無理で期待させんじゃねぇよ、最初からはっきりと」
「だから!」

 その瞬間、多分、俺は青い鳥と川を渡った。

「今は勤務中だって言ってんだ!交番に俺の携帯電話のカードをのこしたまんまで誰から電話かかってくるかもわかんねえんだよ。夜になったら隣の町から応援の交代要員がくるから、とにかく、仕事が終わったら」
 またここに来るから。その時に。
 言い切った。俯いてっから奴の顔なんか見えねぇ。ああ、あー。ああくそBloody Bustard!!
 時間の経過がわからない。多分、そんなに経ってないはずだ。ぱち、って音がした。最初、何か気付かなかった。一瞬後に、頬が痛くなってわかった。

「てんめぇ、なんで俺のほっぺた叩くんだよ!」
「うっせぇよお前だって一発俺んことなぐっただろうが、そんな強くなぐってねぇしぱちっていただけって、ッて言うか、今のは、今のは」
 やっと見たフランシスの顔は真っ赤だった。口元を押さえて目元まで赤く、なって言葉もなくうなってる。俺はそれが面白くて、つい吹きだした。多分、耳まで真っ赤なまま。奴は、なにか言いかけたあげく、結局「メルド」とだけ呟いた。そのフランス語なら俺でも知ってる。意味は「クソ」だ、畜生。

「顔あげろ、畜生」
 不満そうに、奴は言った。俺は笑ったまんま、やだね、と答えた。
「いいじゃねぇか、誰も見てねぇよ」
「まぁ、そうだな」
 青の眼を見た。目線の高さは大して変わらない。奴の薄い唇が笑ってた。
 それた多分、俺たちはドイツ人がやったのと違う種類のキスをした。