ザ・ロックンロール・ガーデン















 往来でチュー事件(2回目)以来、対象F別名フランシス・ボヌフォワ氏26歳は毎朝、交番に弁当を届けに来る。その度に頬ずりをしかけ、往来でチュー事件を再発させようとするので俺は毎回「もっかい投げんぞ!それとも関節きめられたいか!」とかなんとか朝からラウド・ロックのボーカルのごとくシャウトしなければならない。
しかし、奴は、重力にさからったようなヘラヘラした態度で、何も面白くないのにもかかわらず笑って「まぁ、喰えよ」と言って手を振り風のように去る。その厨房服の白い背中は、いっそ男らしく、かっこいいとすら言えるんじゃねぇかと思う。

 が、俺にはどうもあのホモが愛をほざく理由が分からない。

 俺たちの出会いに、そんな面白可笑しい貴族趣味の要素があっただろうか。
 そもそも奴がスピード違反をしたのが全ての始まりだ。あのとき、あのフランス人はこのイングランドの地で、クソプジョーを時速200マイルでぶっとばしやがった。一瞬、つかまえたら警棒で分殴ってやろうかと思うような気違いじみたスピードの車をパトカーで追いかけて罰金を徴収して(もちろんそんなもの俺の懐にはいったりはしない!)なんかしらんが、チューされた。

 一目ぼれ要素なんでねーだろ。

 俺も俺で、相手にするのが面倒で且つ身の危険まであるのだから、弁当なんざ食わなきゃいいのに食べてしまう。それはひとえにこの、ただパンに具を挟んだだけの料理が作り手によってこうまで違うものにかわるのかと認識させるサンドイッチや、作るのが想像するだに面倒そうな野菜入りのキッシュが美味いのがいけない。

 確実に餌付けされてる野良犬か野良猫じゃねーか、俺。

 俺は報告書を書いたり、万引きした糞餓鬼どもに説教たれたり、痴話げんかの仲裁をしたり、婆さん爺さんの荷物を持ってやったりしながらも、人の帽子とってまで頭撫でてては、「警察の制服がマジにそそるぜ」とか言い出す髭を生やしたコックのことで頭がいっぱいでいっぱいで……って、

「違うだろ俺ーー!!」

 思わず、立ち上がると店の……カエル野郎の店の……客が一斉にこちらを見た。

「……お巡りさんどうしたの?」
「いや、その」
「顔赤いよ?熱?疲れてるの?」

 イタリア人の学生が俺のおでこに手をあてた。ああなんかあのユーモアを欠いたドイツ人弟がコイツに惚れた理由がわからんでもない気がするぜ。
「まぁ、うん、最近眠れてなくてだな。ほら、この村に警官俺一人だから、案外忙しいんだよ」
 俺は、なんとか筋肉をひきつらせて、意識的に、にこやかな笑みを作った。
 この村の住人は、全員が俺の顔を知っている。信頼できる若いお巡りさん(村の元ヤン)。それが俺の現在の肩書だ。稀にドイツ人の兄弟と飲んだりなんかして仲良く3人で裸になって記憶飛ばしたりするのがたまにキズなくらいで、あとはごく普通の、税金もきちんと納めている善良な、ストレートの警官だ。
うん、大丈夫、寝不足なのは本当で、それは昨晩巨乳特集の雑誌に顔をつっこんだからだ。だから俺大丈夫、大丈夫ってことにしてくれ。でないと脳みそが不味いオートミールになっちまう。

「大丈夫?夜はちゃんと寝なきゃだめだよー」
「ああ、寝るから、座るから、大丈夫だ」

 今日も巨乳AVを見ても、なんか髭とすね毛と、白い服を思い出す勃起障害が起きなければ、とは口にださなかった。
 イタリア人は満足したのか、仕事に戻ったので、俺はようやく席についた。っていうか、なんでバカみたいに突っ立って、本当、ああ。
 いつから俺は爵位持ちのピアニストになったんだ?いやなってねぇ。川を渡るのはまだ早い。今生でそれは勘弁してくれ。

「……本当お前大丈夫か?さっきから、顔が真っ赤になったり、真っ青になったり、リトマス試験紙みたいだぜ」
 隣に座っていたギルベルトが言った。弟はまた来ていない。
「昨日抜きすぎて、ちょっと」
 っていうのは嘘だが、この程度で法律は俺を罰したりしないからいいだろう。

「しっかりしろよ。この村の平穏はお前に支えられてるんだ。元ヤン」
「……わかってる」

 ナイフについたソースを舐めながら言った。
 ギルベルトは、俺の言を信用はしなかったようで、横からフォークを人の鼻先に向けて笑った。全く、マナーがなってねぇぜ、この村は。

「抜きすぎじゃなくて、やり過ぎの間違いじゃねぇか?どの娘か教えろよ」
「ちげぇよ、つーか」

 「娘」だったらどんだけいいか。
 舌が滑りそうになって、慌てて口をつぐんだら、ブロッコリーが丸々、喉に詰まった。苦しくてゴホゴホと咳き込むと、見兼ねたドイツ人にドンドンと背中を8ビートで叩かれる。
「……いっそもう、こめかみをぶち抜きてぇ」
 涙が出そうだ。

「何があったか知らんが、まぁ、頑張れよ。飯も美味いことだし、なぁ」
「美味いのが問題なんだよ」

 本当に口が滑った。
 ギルベルトは不審な顔をして首をかしげた。俺は、何でもないふりをして、極力顔がこれ以上科学の実験道具にならないように、給料が飛んでっちまうからさ、とごまかした。
「俺のはいいんだよ。ルートヴィヒの恋患いはどうなった」
 話をずらすために、俺はデカブツでカタブツその上、チェリーボーイらしいドイツ人弟の話を持ち出した。
今度は、ギルベルトが審判の日が来たような顔をした。彼は、ちらりと、頭にバラの花のようなバカの花が咲いているイタリア青年をちらりと見えると「いい子だよなぁ……」と呟いた。

「可愛いくらいに、いい子だ。うちのルッツになんざもったいねぇ」
 その声を聞いて、俺は一抹の不安を覚えた。
「まさか、お前も……」
「阿呆。ちげぇよ。あのバカ、勇気を出して、なんか誘ったらしいんだよ。そしたらOKがでたんだと。もう、有頂天になっちまってさ。そりゃ向うもまさか、相手が恋愛のデートのつもりだとは思わねぇだろ。で、今顔を出すと日が出るからとかいって、結局ここにもこれやしねぇ。仕事してる間も始終、ぼーっとして、ピンクのハートを散らしてる有様で目もあてられない。恥ずかしいくてこの店の敷居をまたげないから、代わりに俺が、あの子観察してきてくれってなんだよ!一体、俺は何の教育を間違えたんだ……!!この間部屋掃除してやったらとうとう男のヌード本が出てきたんだぞっ」

 その嘆きはデスメタルの絶叫よりも鋭く俺の心を引き裂いた。
「……今度仕事が終わったら一緒に飲んでやるよ」
 俺は、ポン、と肩を叩いた。
 
 皿に付いたソースの一滴まで舐めつくして、立ちあがると、例のホモ男が白い厨房服姿で現れた。急に脂汗が出そうな、喉が渇くような感覚を覚えて、体が自然と身構える。お前、料理場でちゃんと仕事しろよ!と言いたかったが、口に出したら負けのような気がして、言葉にはしなかった。
 奴はレジの前に立って、8ポンドちょうど、と会計金額を口にした。財布を取り出す前に、帽子を深くかぶりなおす。意識的に眉間に皺をよせて、極力無愛想な顔を作った。
くたびれて擦り切れた黒の皮財布から、10ポンド札を取り出して指で挟んだ。ワイン野郎の顔を見えない。紙幣が、紙切れが指から離れる瞬間が、ひどく緊張した。釣りは2ポンド。手のひらを上に向けて、奴の指からコインが落ちるのを待つコンマ二秒、釣銭を出さないように払えばよかったと思った。
が、帽子をかぶりなおしたお陰か、無表情を保てたはずだった。

「不味くなかったぜ」
 振り向いてドアを開ける前に、礼儀のつもりで言った。
「含み笑いしながら言うんじゃねぇよ、ちゃんと美味いって言え」

 奴はレジから出て、一歩、足を俺の方に近付けた。俺はその距離だけあとずさる。逃げろ、俺。視界は赤。エマージェンシー。脳みそに棲む俺の顔をした曹長が撤退の指示を懸命に出している。が、俺の手足の筋肉と末端の神経はその命令を無視している。

「アーサー、お前さ」
「おい、」

 声がうわずった。俺を呼ぶなと言う筈だった。奴の眉間には皺が寄っている。近い。
「何が『違うだろ俺』、なわけ?」
奴は手を伸ばしたりはしない、ただ近い。仕事しろ、阿呆。ここはフランスじゃねぇんだ、サボる奴はすぐに切り捨てられるイングランドだ。
畜生、なんでラテン人はパーソナルスペースが狭いんだ!
「お前に、関係ねぇだろ」
 置き場がなくてさまよった俺の手が警棒をかすった。瞬間、意識してそれを掴んだ。その冷たい感触が、表面上の冷静さを呼び起こさせた。これほど制服を着ていてよかったと思った。
「本当かよ」
 奴は、まるで馬鹿にしたように笑った。それが頭にきて、てめぇ!と怒鳴ると店で騒ぐなよとまたニヤニヤと笑う。
「……そろそろ仕事に戻んなきゃなんねぇんだ、ここでの暮らしに悩みがあんならまた別に聞いてやる」
 奴は、鼻で笑った。
「だから今話してんだよ、ボビー」
 俺は頭を振った。
「ボビーはロンドンの警官だ。いい加減に仕事に戻れよフランス人、じゃぁな」
 まぁ聞いてきなって、お巡りさん、と奴はわざと苛々させるような声を出した。 
「だって、まぁ、店まで来たわけじゃん。毎日弁当も綺麗に食べるし」
「それはお前が勝手にもってくるから仕方なく、」
「でもそんなの断れんだろ、お前、いい加減認めろよ、楽になれるぜ」
「何をだよ」
「言っていいのか?ここで?例えばその、お前の腰についてる手錠で制服きたお前とプレイしたいとか」
 銀に光る青い目はバターに似ている。怒鳴りそうになる前に、神経を使って、俺は強く警棒を握った。それでも声から毒は消せない。
「お前本当になんなんだ!別にゲイなのはいいけどな、ナンパだったら他所でやれ。俺は、外国人の法律違反をとりしまっただけだ、なのに、何がどうしてフルモンティになるんだよ!」
 他の客の耳には聞こえないように言った。ついで睨んだ。今度セクハラしやがったら警棒でこの村に居られないくらいに殴ってやろうと決めながら。
 しかし、パリのオカマは表情を消した。
「違う」
 は?と俺は間抜けに口を開けた。
「お前が俺から売り上げを巻き上げる、その前から」
 何を、何が、そう聞き返そうとしたときだった。
 ガランガランと大きな音をたてて、急に俺の後ろのドアが開いた。
 
 ルートヴィヒだった。
 店の客が、フランシスが、俺が。そしてギルベルトが目を丸くしてあっけにとられていると、顔を真っ赤にしたベルリン生まれの哀れな童貞野郎はこう叫んだ。
「フェリシアーノ!フェリシアーノはいるか!」
 まるで地獄の門番のような形相で奴は言った。ギルベルトが、それに負けぬ声でルッツ、と叫んだ。しかし、弟の耳というか大脳には届かなかったようだ。
フェリシアーノ……イタリア人のアルバイトは殆ど怯えながら(あったりめーだ)「へ?!何?ごめん、ルッツ、俺またなにかしたっけ?!」と青い顔でルートヴィヒの前に立った。
 よく見るとルートヴィヒはスーツで、しかも花束を持っていて、本能的に俺はこれもやばいと思った。ギルベルトが慌てて立ち上がる。
しかし、間に合わなかった。
 後に村人はこれを「衆人監視チュー事件」と呼ぶ。