ザ・ロックンロール・ガーデン














絶対に行くもんかと決めていた、奴の料理店は、結局、通るたびに漂わせるいい香りに負けて、足を運んだのは、奴がスピード違反してから2週間後のことだった。別段、飯を食いに行く分には奴と顔を合わせることもないだろうと算段をつけての行動だった。
しかし、まことにクソったれなことに、なぜか、その日、奴は厨房から出てきた。それから、俺の姿を認めると、周りにも聞こえそうな声でこう言った。
「ああ、あんたじゃないか!この間はどうも。もう、会えないかと思ったよ。しかし――唇が離れた時のあんた、可愛かったぜ?」
 その時、フォークを落さなかったのも、せっかくのサーモンも付け合わせの野菜ごと奴の顔にぶっかけなかったことに関しても、俺は俺自身を褒めたいと思ってる。
「てめぇ、何言ってやがる」
 俺が、ドスの利いた声を出して掴みかかりそうになると、へらへらと気の抜けた表情で奴は言った。
「おっと、怖ぇなぁイギリス人のお巡りさんは!無抵抗の外国人を殴るのか?」
 まだ何もしてねぇだろ!と怒鳴ると、横にいた客が顔をしかめた。マナーが悪いな、というフランス人の顔に余計に腹が立ったが、俺は意識的に落ち着いたトーンで言った。
「俺は職務を遂行したまでだ。お前が俺に嫌がらせしたところで、罰金ももどらないし、減点が取り消されるわけでもない。それから、恥をかかされるいわれはない」
 つーか、セクハラで訴えたら俺の勝ちだ。
俺は、怒りを抑えた。殴るな。殴れば負けだ。俺の形相が怖いのか、イタリア人の気のよさそうなバイトが震えているのが視界に入った。取って食いやしねぇっつーのに。息を吐いて、出来るだけ冷静さを取り戻す。
「そのイギリス人のお巡りさんがなけなしの給料からこうして昼飯食いに来てんだ。それをからうのが料理の芸術を誇るフランス料理のシェフの礼儀じゃねぇんだろ?」
 そういって笑うと、奴は少し驚いたように目を丸くした。ぷ、と吹きだした。どうも、感情の変化が良く読めない。
「そうだな。まぁ、また給料日になったら来てくれよ、お巡りさん。困ったことがあったら助けてくれ、俺もあんたの食糧事情なら助けてやるからさ」
俺は、やれやれと席についた。隣にいた、ドイツ人技師の兄の方が「なんかあったのか?」と訊いたから、「スピード違反をとりしまったんだよ」と答えた。奴は意味ありげに、ふーん、とうなったが聞かないことにする。
「ギルベルトは、ここによく来るのか?」
「まぁ、フランス料理っつー割りには気どってねぇからな。毎日じゃねぇけど」
 それより、と彼は俺にこっそり耳打ちした。
「弟のルッツがよ。なんか恋患いらしくてさ、最近おかしいんだ。どうすりゃいいと思う?」
「俺は万屋相談所じゃないんだ。人の恋までとりもてねぇよ。で、誰に?」
「アレ」
 奴が目線の背の低いイタリア人の、のろまそうなアルバイトに注がれた。
「……男の子じゃねぇか」
「そうなんだ。悪い子じゃねぇと思うんだけど、男の子なんだよ」
 ハァ、と似合わない、重たい溜息を彼はいた。食欲がないのか、ガレットがあまり減っていない。
「まぁ、身内に同性愛者がいるっつのは、大変かもしれんが、悪いが俺にはどうにも」
「それだけじゃないんだ」
 まるで、彼の表情は憂鬱の釜底にいるかのようだった。
「あいつ、男同士でどうやればいいんだ、とか相談してきたんだ。しかも、その時までしらなかったんだが、奴は童貞なんだ!なぁ、ここは一度、兄として、風俗で女を味あわせてやるべきなのか?」
 奴の苦悩は、深く痛ましく、それ故に俺にはフォロー不能だった。
「……無理やり女性をつれてくるのは、辛いんじゃないか、わからんが」
「やっぱり、そう思うか……」
 まぁ、今度、お前好みのSM特集雑誌やるから、それで少し慰めろ。
 そう言って肩をポン、と叩くと、奴はありがとうと小声で言った。
 顔をあげると、その子供に目があった。子供といっても、多分、成人している。俺からそう見えるだけだ。
「お巡りさん、それ美味しい?」
 イタリア人の舌っ足らずな英語に聞かれたから素直に答えた。つっかえつっかえだ。
「ん?美味いんじゃねぇのか。俺の舌じゃよくわからんが」
 そすると、そのイタリア人は、花が咲いたように笑った。
「ありがとうー!その付け合わせ俺が仕込んだんだ」
 俺の反応に何が嬉しかったのか、突然、彼は飛び上がってビズをした。俺は固まった。そして、そのままの勢いであっという間に厨房に消えた。
 なんなんだ。おい!
「……ラテン系って、皆ああなのか。俺たちには、ちょっと無理だな、酒が入ってりゃ別だが」
 俺からみたら、随分元気でやかましいくらいのギルベルトがそう言った。同意せざるを得ない。初対面で、あんな風にはそうそう出来ない。
 勘定を済ませて、店を出ようとすると、また、例のシェフが出てきた。
「どうも。また来てくれよ」
「美味かった。違反で店つぶすなよ」
 礼儀のつもりでそう言ったら、抱きしめられて両頬にキスされた。呆然としてるいだに、ポンポンと、えらい力で肩を叩かれた。俺だって、挨拶でそうすることはある。長いこといた留学生が母国に帰る時。村を飛び出した奴が、嫁さんをつれて帰って来た時。とかだ。
が。ラテン流は何か違う。
「またな!!」
 手を振った。おれは、あ、ああ、と戸惑いながら帽子をかぶって挨拶をする。  どうも、じゃねぇだろ、俺。



「おまわりさーん!!」
「なんだやかましいイタリア人」
 俺は、駐在所で昼間に報告書を書いていた。小さい村とは言え、一人だから決して暇ではないのだ。
「これ、フランシス兄ちゃんから!」
 フランシス、が一瞬だれかわからなかった。ドイツ人技師の弟の思い人(暫定)が差し出したものは、花柄の布に包まれていて「ランチボックスだよ」と言ったので、やっと、その顔と名前を思いだした。
「何かの間違いじゃねぇか?俺は頼んでない。英語が読めないとか、道がわからないなら、案内するから――」
 言いかけると、ぶんぶん、と彼は首を振った。どうにも一つ一つの動作が大げさで、こちらが無意味に気後れしてしまう。
「違うよ、お巡りさんにって」
 俺はいぶかしんだ。
「頼んでなにものは頼んでないし、金も払えな――」
「お金?いらないよ。俺幾らか聞いてないもん。なんで?」
「なんで、って」
 こっちが何でだよ。
 俺は溜息をついた。腹は減っていた。でも、俺が腹いっぱいだったらどうするつもりだったんだろうか。
「……わかった、とりあえず置いておけ。その代り」
 俺は、鞄の中から、このランチボックスより遥かに小さい、サンドイッチが二つ入った包みを取り出した。今朝、自分で弁当用に作ったものだ。
「これを、フランシス、だったか。奴に届けてやってくれ。タダつーのはどうにも目覚めが悪いんだ」
 わかった!と明るい声で奴は返事をした。なんか、犬のようだったので、俺はポケットに入っていた飴をやった。喜んだ。ガキかよ。
「じゃぁな。お前も困ったことがなんかあったらいつでも言えよ、上司にセクハラされたとか。すぐに本国に送り返してやる」
 うん、と元気よく頷くと、奴はあっという間に出て行った。



 その夜。俺が今日も夜のパトロールにパトカーにのろうとしたその時。
 怒りに顔を真っ赤にそめたフランス人のシェフが厨房服そのままで、俺の方までまっすぐ歩いて来た。
「おい、そこの不良警官!」
 奴は俺の姿を認めるなり、耳の鼓膜を突き破りそうなどなり声をあげた。
「なんだ、あれは、俺を殺す気か!」
「何がだ?」
 あのサンドイッチの事だよ!と彼は、金切り声をあげた。
「クソ、マジい。死ぬかと思ったぞ。人が丹精こめて弁当つくってやった礼があれとはなんだ!」
 あまりに早口でしばらく、何のことかわからなかった。が、俺があっけにとられている中で只管喚き続けているので、ようやくわかった。
「あれは兵器か。いやがらせか!なんでタダのサンドイッチをあそこまで不味くつくれんだ?アレあんたが作ったのか。ああ?」
 ぷっつーん。
 俺は、血管がこめかみに浮かぶ音を聞いた。
「はぁ?なんだよ、しらねぇよ!悪かったな不味くて。代金ならはらってやるから、帰れ!お前こそなんで勝手にランチボックスなんて、」
「食ったのか?」
 人の話を最後まで聞け、という間もなくもう一度彼は「食ったのか?」と訊いた。腰に両手をあて、表情には、変わらず眉間にしわが寄っている。
「なんだよ、食っちゃまずかったのかよ、やっぱり」
 火曜日のシェフは俯いた。何もわかっちゃいない、とでも言いたげな、深い深い溜息をつくと「味は?」と訊いた。
「俺特製のフランスパンでつくったサンドイッチのお味は?」
 険のある目付きに少し気おされて、「普通に、美味かったけど」と言ったら、奴は今度は腹を抱えて爆笑しだした。
 なんなんだ、コイツ。始めて会った時も思ったけどちょっと気持ち悪い。
「そうか、そうか、美味かったか!」
 満足げにいうと、急に俺の肩を抱いた。
「なぁ坊ちゃん」
「だれが坊ちゃんだ、フランス人。つーか触るなよ」
「まぁいいじゃないか、あんた俺より年下だろ?」
 法律が許すなら、射殺したいと思った。しかし、残念ながら、英国警察は法律により、警官「も」銃の所持が禁じられている。ならば、殴り倒してやるしかあるまい。なにか、こいつ、村で問題おこさねぇかな。
「あんた、さぁ、なんで結局俺のメシ受け取ってくれたの?」
「いや、お前ん所のバイトが勝手に持ってきたのであって。お前のためじゃねえよ。俺が追い返すのも面倒だったから受け取ったんだ」
 つまんねぇなぁ、と言った。いいから、耳に息を吹き込むなよ。なんか鳥肌たつだろう。
「俺さぁ、自分でも自分のこと、いい男だと思ってんだよね。駐在さんはどう思う?」
「……悪くはねぇ面してるんじゃねぇか。髭が無けりゃ。つーか俺はこれからパトロールだ。離せ」
 いやだね!と彼は楽しそうに言った。男とこんなにベタベタして、何が嬉しいんだろう。
「なぁ、あんたいっつもあんなクソ不味いメシくってんの?」
「……悪いかよ」
「本当、イギリス人って味盲なのな、あんなの食えるなんて。これからは俺が毎日ランチボックス作ってやるから、もう自分で作るなよ。あ、店にくるときはその前にいえよな」
「何勝手に言ってんだ、つか、顔近、」
 言い切る前に視界が暗くなった。唇だ、2秒後に理解した。奴は目を閉じている。無精髭の感触。暗くてもここは往来だ。え、てか2回目?何?フランス流コミュニケーション?いやがらせ?それともホモ襲来?いや、でも普通のゲイって、ノンケに勝手にセクハラとかしえねぇよな、うん、つーか。
 ゆっくりと顔が離れた。目に映ったのは、バターみたいに濁った青い瞳。俺が、口をパクパクさせていると、「あんたさぁ、ほっそいのなぁ、そんな腰で警官つとまんの?」そう言って、尻をつかんだ。その時に、背中に腕が回っていることに気付いた。
「お、お、お前、なんで」
「あんたのことが好きだから!」
 次の瞬間。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 俺は見事に奴を投げていた。
 フランシスが地面に倒れた。ドスン、と重たい音がする。よかった、黒帯とっておいて。思ったのもつかの間、フランシスが唸った。いや、この場合、俺悪くねぇけど、でも、なぁ、え。
 俺はすっかり混乱していた。
「って、悪い、怪我無いか」
「痛ぇ……」
 げ、と俺はうめいた。元々の被害者、俺だよな。法的に正当防衛成立するよな、多分。
「あー痛い痛い自慢の腕が折れたかもしんねぇ」
 俺が、息を飲んで青ざめると「嘘だよ」と奴はヘラヘラと笑った。
 もっかい投げよう。
 そう思ったが、その前に奴が立ちあがった。
「なぁアーサーさんよ」
「なんだ」
「これを不問にする代わり、あんたは毎日俺の弁当食うんだ。な、いいだろ?」
 晴れやかに、奴は笑った。なんなんだ。
 なんなんだこの男!
「まぁ、恋にスピード違反はないってことで。俺はあんたのことが好き。それだけ今は覚えておいてよ。あ、代金はいんねぇ、ちなみに、あんたが作ったサンドイッチはいらない。あれは不味すぎる」
 奴は金髪を束ねるゴムをほどきながら、いっそ颯爽と俺の前から消えていった。