ザ・ロックンロール・ガーデン














 俺は、イングランドの北西にある、多分、イングランド人も知らねぇ様な小さな村で警官をやっている。極めてまじめな警官だ。俺の主な仕事は、重そうに荷物を抱える婆さんを手伝ってやったり、小さな村のわりにやたら多い外国人観光客たちに道案内をしてやったり、それから酔っ払いの愚痴を聞くことだ。
 しかし、そんな平和な村にどでかい犬のクソが落とされた。
そいつと、多分、はじめての会話をしたのはスピード違反がきっかけだ。その夜、俺は、スウェーデン製の、この村唯一のパトカーで辺りをパトロールをしていた。とはいえ、この小さな村で、ことを荒立てるのも面倒だったし、俺はさっさと家に帰って寝たかった。だから、本当だったら、パブで飲みまくってベロンベロンになった奴やら、路上でのセックスもまとめて見逃してやる。
ただ、その日は違った。まるで、畑を荒らすイノシシの勢いで、田舎の細道を一台のプジョーが走っていく。なんだあれは、と思いながら、俺はパトカーの中から警告した。スピードの出し過ぎだ止まれ!しかし、クソプジョーは、それを無視してつっぱしていく。
あんまり腹が立ったんで、俺はその後ろを追いかけた。しかし、相手は、クレイジーとしか思えない、スピードで駆け抜ける。チキンレースならパリでやってくれ!
俺は立場上、法定速度なんぞ気にする必要はなかったから――思う存分にアクセルを踏んで、そいつに止まるよう呼びかけた。しばらくして、観念したようにソイツは車を止めた。俺は車を降りて、コンコンとガラス窓をたたいた。中にいたのは、中肉中背の金髪男だった。
「わかってるな、お兄さん。少しだったら見逃すところだが、いくらなんだってスピードの出し過ぎだ。名前は」
 中にいた男は不機嫌そうに声を荒げた。
「見逃せよ!たった200キロじゃねぇか。俺を取り締まったからってあんたにいいことがあるわけでもねぇんだろ?」
 なにが、どう、「たった」なのか理解出来なかったが、俺は眉を吊り上げるだけにとどめた。鼻にかかった独特の発音と、ロンドンをロンドーンと言いそうなイントネーションから、彼はフランス人だとわかった。
「俺にいいことがあるとか、ないとかそういう問題じゃないんだよ。お前、ワインも相当飲んでるな?フランスじゃ飲酒運転も合法らしいが、悪いがイギリスじゃ禁止されてるんだよ」
「ワインはキリストの血だ。アルコールじゃねぇ」
 俺は、頭を掻いて、出来るだけゆっくりと、丁寧な発音で言った。
「EU内でもっとも交通事故の発生率が高いのはフランスだって知ってるか?この程度でビザが取り上げられる訳でもねぇだろ。この書類に名前を書いて罰金を」
 ち、と男は舌打ちして、俺の手から書類とサインペンをひったくると、眉間にしわを寄せてしばらくそれを凝視した。英語を読むのがまだ辛いらしい。
「……ここと、それからここ」
 指で書類を叩くと、彼はやっぱり不機嫌そうに俺を睨んでそれからサインした。これじゃぁ、100年もしないうちにユーロトンネルはお互いの手によって埋められるに違いない。
「いくらだ」
 書類を返しながら男は言った。サインからは「フランシス・ボヌフォワ」と読めた。
「60ポンド(約10000円)。それから3点の減点」
 パリジャンなのだろう、厭味ったらしく肩を竦めて財布の中身を確認してから、ため息をついていった。
「……ユーロやフランじゃ駄目か?」
「残念ながら女王陛下のお顔がプリントされてない紙幣はこの国じゃ金とはみなされないんだ」
 男は、小さくメルドと、英語でいうところのshitという素敵な言葉を呟いて、顔も見ずに黙って紙幣を数枚差し出し、もう一度メルド、と言った。
「OK、フランシス。きっかり60ポンド。次からは気をつけろよ」
 そう言うと、なぁ、とやっぱり、鼻にかかった、独特の発音で奴は俺に声をかけた。 「俺、あんたを知ってるぜ。この村で唯一の――あのいっつも仏頂面のスイス人がいる銀行の横にある、交番のお巡りさんだろ。いっつも机の上に脚をのせてポルノ雑誌をめくってる」
 俺は少し、驚いて目を見張った。
「良く知ってるな。俺もお前を知ってるぜ。ドイツ人の兄弟がやってる電気技師屋の隣の、フランス料理店のシェフだろ?確か、イタリア人をアルバイトに雇ってる」
「いっつもクソ不味い料理ばかりを食ってるイギリス人に料理の芸術を食わせてやる慈善事業だよ。そう言うわけでお巡りさん、今度、是非うちの店にランチに来てくれ。ただで食わせてやるから、今回の罰金と減点は帳消し――つーのはダメか?」
 この期に及んでまだ悪あがきをしようというのに若干呆れながら、俺は首を振った。
「魅力的な誘いなのは認めるが駄目だ。それじゃお前に買収されたことになるからな。今度は俺が罰金どころから下手すりゃ免職だ」
 ち、とやはりフランシスは舌打ちをして、それから諦めたように俺の顔を見た。
「なぁ、真面目なお巡りさん」
「なんだ?」
 彼は、くいくい、と俺にもっと近づくようジェスチャーをした。俺は素直に顔を寄せたが、彼はもっと、手招きをした。ほとんどひっつきそうになった所で――奴は、俺にキスをした。それも唇に。
 一瞬だったが、あんまりのことに驚いて、体を離して奴を俺が殴るよりも先に、奴がクソプジョーのガラス窓の半分を占めて、それから言った。
「それが、俺から金を奪ったあんたへの罰金だよ。じゃぁな!」
 そう言って叫ぶと、奴は、再びエンジンをかけ、アクセルを踏んで走り去った。たぶん、法定速度で。
俺は、その後ろ姿を見ながら、しばらく呆然として、それからやっとのことで「セクハラで訴えてやる!」と叫んだ。それから、「ゲイバーに行けホモ野郎!」と。その頃には、とうに車の姿は見えなくなっていた。
俺は、Bloody Hell!と叫んでパトカーに戻った。あとで、ビールを10パイントは飲んでやる。そう心に決めながら。