その人が吸うのは煙草は大抵、紙巻きじゃなくて、高そうな葉巻だった。そうでない時は、古いパイプを口にくわえている。そうして、革袋をした手で、彼の指がそれを挟む仕草が好きだった。彼の唇からは、俺への憎まれ口と、煙が一緒に吐き出される。
 俺は、子供っぽく笑いながら、紳士の振りをした大悪党を観察する。恋は、相手を観察することから始まるんだ。例えば、灰皿に杯を落とすリズムや、手袋と服の隙間からほんの少しだけ見える骨ばった手首の筋だとか、そんなのを見ている。そして、そんなのを見ているのに気づいたら、恋の自覚が始まるのだ。俺は、そうした自分の思いを、彼が緑の指で花の原種を育てるのとまるで同じように、大切に大切に、種を撒いて、水を撒いて育てている。

 でも、ふとした瞬間に気づいた。そうやってイギリスを観察しているのは俺だけじゃなかった。会議だったり、海と空を隔ててるのに俺たちは、馬鹿みたいによく飲みにいったり遊んだりするからすぐに分かる。イギリスよりも年上の、あの彼だ。俺は、イギリスを観察しているから、そんなことには本当に簡単に気づく。彼は俺と違ってまるで、遠くから気づかれないように、気づくように。ごく稀に、肩を抱いて歩く彼らの関係は、まるで雨の日に飲むジン・トニックの香りがする。野暮を恐れて、結局確信は言わずに空気で読み取る。そのなかで、フランスは多分、イギリスとの一つ一つを大切にしている。たとえば、彼がHelloという時の声の音程とか、雨でも傘をささない彼が傘をさした時の響きとかそう言うもを大切にしている。俺は、彼ほどイギリスには会わない。会ってないし、会えない。それは仕方がないことで、少々の腹立たしさはあるけれど、彼を憎む気にはなれなかった。俺は多分、彼もまた好きなんだろう。その無精髭だとか、絵を描くように服を選ぶのとかが、嫌いじゃないんだろう。でも、イギリスの横顔を見ている、フランスの横顔を見ながら俺はまた考える。俺が気づいているのだから、彼も当然俺の胸がどうなっているか知っている。けれど、酷い個人主義で俺に冷たい彼は何も言わない。だから俺も何も言わない。

 フランスの青い目がそうやって、彼を見る時は何か悔しさと苛立ちに濡れている。それから諦め。俺にそれを理解することはできない。ただ、俺は自分の気持ちと彼の気持ちが俺は、違うんじゃないかという気がつきそうになる。それがいとも簡単におれ俺のハートを刺す。俺の彼に対する気持は、まるで子供じみた憧憬と郷愁で、あの青が一つの音も漏らさすに彼を見るようなのとは違うんじゃないか。それは、チクリと痛い。思考を打ち消しても、心の真ん中に棘が解けずに残って、まるでオナニーを覚えたばっかりの少年みたいに、只管ぐるぐると考えてるんだ。

 さてと、じゃぁ俺達が見てる彼は何を見てる?そんなのは簡単だ。誰にだってすぐわかる。馬鹿みたいに、俺たちを見てる。孤独の服で着飾った彼は、まさに自虐のユーモアを持つ紳士だ。羨望と憎悪で美しい緑の目で、イギリスはフランスを見る。苛々しながら、無表情であの薄い唇をこわばらせてさ。そしてまた彼は俺を見る。戻らない日に思いながら、今の俺をまるで不味い酒でも飲んだときみたいな顔で見てるんだ。煙草を吸うのと同じ手で殴って、その手袋を脱いで花を育てる。なのに、俺たちの視線はいつだってかち合わない。後ろから、斜めから、上から下から、その横顔を眺めてるって言うのに、視線は簡単に星の早さを超えて行く。相手の胸の中を見つめて、相手も気づいてない何かを探りたくて観察する。

 いや、そんなに難しくなんて考えてない。ただ見たい。ただ、手を伸ばして触れたい。

 肩を抱きながら、峠を超えるように。あと100年?200年?何万年?何光年先を歩けば君達と変わらずにいられるだろう。わからずに、俺たちは沈黙する。あと必要なのは酒と軽口だ。そうすれば、簡単に殴り合って空を仰いで笑えるだろう。
 だから今日もこうして酷い。体中がアルコールでベットベト、洋服はボロボロ、みんな泣いてグショグショ。そうしてケンカする。ピザをとりあって、冗談を笑えなくて、コーヒーと紅茶の価値を争って。

 皆みんな不細工になって不機嫌だ。そしてやっと俺たちの視線は交差する。さて、なんで喧嘩したっけ?胸が痛い。。大人になったら、そんなのなくなるって思ってけどそうじゃないんだ。眼の前のオッサン達がいつだって証明してくれる。
 「人さまに迷惑とコーヒーはかけちゃいけない。自分で決められるよ。俺はただのバカじゃないんだ」 だって俺は、立派でなくても、もう大人なんだから。少年の日ははるか遠くけれど、俺はまだ若い。

 四季が移り変わって俺は泣く。ボンジュールとハローを何回繰り返しても変わらない。
 そうして恋は徒然。憧憬と憎しみはない混ぜになって俺はぐちゃぐちゃ。俺が好きな彼はとぐろを巻いてどろどろ。彼が好きな彼もぐっちゃぐちゃ。さて、明日がやってくる。疲れたけれどもうたっていかなくちゃ。
 フランスが何か言う。イギリスに触ろうとする。イギリスが嫌がる。フランスが少しだけ傷ついたような顔をする。皆みんな好きと恋がすれ違う。愛じゃなかったら何なんだ?
俺は、それがまるで自分のことみたいに思えてくる。胸が痛い。

「まぁいいじゃないか。俺もういい加減どっかでシャワー浴びたいよ。こんなトコに座ってないでいい加減どっかに移ろうよ」

 俺は最年長のおっさんに手を伸ばす。我が愛しのライバルよ。俺は君の手を取る!