世界W学園から1kmほど離れた所に、有名なカフェがある。出される食事も甘味も茶類も酒も全てが絶品。給仕サービスは超一級。給金がよく、世界W学園の生徒も何人かそこでアルバイトとして働いている。ただ、しかし、少々特殊なカフェだった。
陳腐な言い回しだが、まさしく扉をあけると、そこは別世界。


『いらっしゃいませ、お嬢様』



ヴィクトリア朝の給仕服に身を包んだ、ずらりと並んだ男性使用人と女中たち。
そこはいわゆる「メイド・執事喫茶」だった。
カフェの名を、「Gleen sleaves」という。



「セーシェル」



怒鳴りもせず、小さな溜息をつくイギリスを見て、セーシェルは「すみません」と言ってうつむいた。


「元気なのは結構だ。お屋敷に、務め始めたばかりで不安も多いだろう。だがしかし、服装が乱れているのはよくない。女中としての誇りを忘れないように。いいな」
はい、とセーシェルは返事をする。
そういって燕尾服に似た黒の仕着せを着た彼は、真白の手袋をつけた手を彼女の頭の上に伸ばし、チグハグだった彼女のヘッドドレスをつけなおした。
それが終わると、彼女は不安そうに、彼の顔を見上げる。彼は無表情のまま、「もういい。仕事に戻るんだ」といった。はい、と彼女がたどたどしく礼をして、厨房の方にかけていく。彼はそれを見送ると、また何事もなかったかのように、給仕に戻る……。

と、いった一連の作業をカフェの客たちはみな、フォークやカップを持つ手をとめて、または極力ゆっくり動かして、流し目で見守っていた。なにせここはそういうカフェだだったので。

今は、厨房に近いテーブルの前で、メイド長という設定のハンガリーが「可愛いセーシェルちゃん。まだ緊張しているのね。大丈夫よ、すぐ慣れるわ……」と言いながら、セーシェルの頬に手を添えて微笑んでいた。セーシェルは、顔をそむけて黙ってりう。くしくも、その後ろには、白い百合の花が飾られていた。世界W学園の制服を着たままの、小柄で黒髪の少年にみえるおじいちゃん、日本は漫研の友人たちの前で「可能ならビデオで撮影するのに……」と呟いたのをみて、ドイツはイタリアがメイドさんに「君可愛いよー。俺と一緒にこのあとでかけない?」とナンパするのを殴ってとめながら、ダメだこいつらと頭を抱えながら、自分もネタ帳をとりだした。
基本的に、芯までではなく芯からダメな人たちがここの客層であった。

常連客の一人である女性が「おいしいお食事をありがとう。できたらシェフから直接お話が聞きたいわ」といってイギリスを呼びとめた。
「かしこまりました。ただ今呼んでまいりますので、申し訳ございませんが少々お待ちくださいませ」

そう言って彼は彼女らに背を向ける。
しばらくして、真っ白な厨房服を身につけた不精髭の男が彼女たちの前にやってくる。

「こんにちはマドモアゼル。貴女たちのために作ったスコーンは気に入ってくれましたか?貴女のように甘い味に仕上げたんだ」

低い声で、少しけだるげに不精髭の男、フランスは言った。
ええ、とても美味しかったです!と彼女たちは嬉しそうに言う。


「気に言っていただけたなら光栄です、素敵なマドモアゼル。よろしければ、夜にでもどこかで一杯」

コホン、と後ろで咳ばらいの音がした。

「……コック殿」

いつの間にかイギリスが眉間に皺をよせて立っている。

「執事殿、何か?」

そう言ってフランスは彼を視線だけで振り返る。

「お嬢様方にご迷惑をお掛けするようなことは、言わないでいただきたい」

それから、「申し訳ございません、弁えもせずに」とイギリスは女性たちに向かって深く謝罪をする。

「まだ、マドモアゼルはダメだとも言ってないじゃないか執事殿?それとも……嫉妬?」

そう言ってフランスはイギリスに肩をまわして横を向いた。
イギリスは鋭い目つきだけを彼に向けて、とそれから身をかわし、「わかってるだろう」とだけ答える。
「厨房に戻るんだ」

フランスは「お見苦しいところをお見せしました、マドモアゼル。夜の件はまたお聞かせください。では」そういって一礼する。

「コック殿!」

大きな声ではないが、非難の声に、そのコックは笑って彼を振り返る。

「わかっているよ。わが執事様」

そう言ってフランスはイギリスの肩を叩くと厨房に持っていく。イギリスは、一瞬だけ、目を伏せ、次の瞬間にはまた笑顔で、彼女たちに向かう。

「大変失礼いたしました。以後言って聞かせますのでご容赦のほどを。紅茶のお代わりは、如何さいますか?」

女性たちは、口元を押さえて必死に何かをこらえていた。






相変わらずよくやるなぁイギリスさん、と遠目でそれを見ながら、日本は思った。世界W学園の生徒会長が執事様のアルバイトをしているのは学園の人間であれば、ほとんど誰でも知っている。イギリス生徒会長といえでも高校生。世界一の強くて偉い国でも高校生。
倹約家の彼は、本国からのお金の他にアルバイトでお金をためているのであった。彼のここでの役割はフットマンではなく執事。本来の執事としては年齢がおかしいが、いいのだ。ここは夢の場所だから。
フランスは、趣味と実益を兼ねてコックとして働いている。セーシェルは、なんでも「人手が足りないんだが、バイトをしないか?」と元々働いていた、イギリスとフランスに誘われたのだという。グッジョブ、おかげでハンガリーさんとの百合が拝めます!とイギリスに叫んだのはつい3週間ほど前のことで、セーシェルはまだこの職場になれてはいない。

日本企業が出資したこの店は、基本はお客様にたいしては過剰な接客はしない。お嬢様、おぼっちゃま、または奥様、旦那様、と呼び、適度な距離感でいい気分にさせる。だが、それに加えて少々特殊な要素が入る。先ほどのような、接客しながらの一種の寸劇。彼女みたいなタイプが慣れるのには相当時間がかかるだろう。
ハンガリーや、フランスは、楽しんでやっているようだし、イギリスは「慣れだ慣れ。−−それに本国での同じようなバイトよりマシだしな」と何やら言葉を濁していたが、やはり半分楽しんでやっているように見える。他にもプロイセンがここで、働いているが、彼はもっとビジネスライクで仕方なくやっている、らしかった。

日本も、フランスなどに「日本だったら厨房でもフロアでもどっちでも行けるだろうし、働いてみないか?」と誘われて、働こうかと思ったことがあったが「口元がにやけて仕事にならないのではないか?」というドイツの冷静なツッコミに、諦めた。それに、日本の性格的に、あんな寸劇を演じるのは少々つらいものもあった。


そしてまたドアが開く。

「お帰りなさいませお坊ちゃま!」

セーシェルが元気よく声をあげる。イギリスが少し嫌そうな顔をする。お帰りなさいませと、礼をする使用人にメイドたち。

「やぁ、セーシェル。やっぱりメイド服可愛いよ!似合ってる。でも前も言ったろ?お坊ちゃまはやめてくれよ、まるで子供みたいじゃないか。そこは旦那さまって言ってくれよ。ヨーロッパの貴族になれてみたいで少し気分がいいから」

そういって明るく店の厳かな雰囲気を壊しながら制服にパーカー姿のアメリカは入ってきた。ハンガリーが「では旦那さま、お帰りなさいませ。こちらの椅子にどうぞ」と動揺することなく完璧な笑顔で彼を招くのに、日本はプロフェッショナルだ、と思った。だが、気を使ったのか、その席は日本たち一行の隣の席だった。

「御一緒なさいますか。旦那さま」

セーシェルが明るく言う。アメリカは勿論と、やはり明るく言う。ドイツが何事か言う前に、日本は殆ど反射で「かまいませんよ」と言ってしまった。ハンガリーがすまなさそうな視線をこっちに寄こした。しょうがない。

「ではメニューをどうぞ」

ありがとう、といってセーシェルの手からアメリカはそれを受取る。イギリスとハンガリーがそれを見守っている気配がする。長くここでアルバイトをする彼らは新人使用人の教育係でもあった。

「コーラはないんだったよね?じゃぁコーヒーと、それからパンケーキを。フランスに大きめに作れって言っといてくれる?」

メイド服のセーシェルさんはこんなに癒されるのになぁなんで、すっとこどっこいは全部ブチ壊しにするのかなぁと思いながら、日本は溜息をついたが、話題がすぐにこの間彼に売ったゲームについての話に移ったので思う存分萌えトークに花を咲かせた。