イギリスが、倒れなければ、やるべき仕事はほかの誰かがになっている。失業率が低くない国で、これだけの「休暇」のあとでも職が保証されている彼は、恵まれた立場にあるというべきだろう。その恵みを理解できない、見た目12歳のイギリスは、大人たちの会話をじゃましないように、おとなしく、イタリアと共に二階でウィニングイレブンに勤しんでいる。
フランスは今日は黒縁のメガネをかけている。彼は居間にいる客人たちに――、アメリカ、ドイツ、プロイセン、日本にコーヒーとビスコッティを差し出してから、「これだよ」と分厚い、少し高級そうなノートを2冊テーブルにおいた。例のイギリスの日記である。 「記憶を戻す、っていうだけなら、あいつにそのまま読ませてもいいとは思うんだ。ただし内容が、ちょっとな、今のあいつの精神年齢には合わない奴もある。それで少し悩んでる」 「君の悪口や、俺の悪口とか?」 アメリカは、少し不機嫌そうに行った。フランスはそうだな、と同意した。 「プライベートなものを覗くのはどうかと思うが」 ドイツは少し軽蔑したような口ぶりだった。 「わかってるよ。でも、こうなっちまったヒントがあるかもしんねぇんだからしょうがないだろ」 「本当は、単に覗き見したかっただけじゃねーのか」 はっきりと物を言い合う彼らが、日本は少し怖かった。そらす意味もあって、話をすすめることにした。 「フランスさんは読まれたんですよね。何が書いてありましたか、実際、ヒントになりそうなものはありましたか?」 「いや、殆どは他愛のないものだよ」 フランスは素直に告白した。 「庭の様子やら、作った飯のレシピやら」 他には、AVの感想なども書かれている。あるいは、アメリカの独立記念日になると、なんども傍線で消しながら、それでも書き続けたのは彼自身が向かい合おうとしている痕があったこと、などはフランスは口にしなかった。元々は読まれる宛のない、記録である。 「でも気になるものはあった。こいつ途中で、なんか呪ってやる、とか言って魔方陣の跡まで書いてんだよ。んでそれはスキャンしてロシアにメールで送ってみてもらった」 ドイツとアメリカは、二人揃って気色ばんだ。 「君、そんな非現実的なもの信じてるのかい?」 「今回の出来事がそもそも非現実的だろうが」 「最新の細菌兵器かもしれないだろう」 ドイツが言った。 「じゃぁ俺たちだって小さくなんだろ」 「知らない間に注射器で、とか。普通の人間じゃ実験できないだろうから」 「小さくして誰か得するんだよ。そもそも、そんなもの、兵器としての意味をなさないだろ。実験の失敗っていうもいない。イギリスはどうやっても死なないんだ。そういう奴を、兵器の被験者に選ぶことはありえない」 プロイセンが言った。二人は口をつぐんだ。 「ロシアさんから返事は来たんですか?」 日本がフランスに尋ねた。 「殆ど、アメリカ腹壊せ、だの俺に足の小指をタンスにぶつけろだの、せせこましい呪いばっかだったから、関係ないんじゃないかってさ。ただ、いまはこれくらいしかヒントがない」 フランスのセリフに、各々が知っている20代の男性にみえるイギリスの顔と、今2階にいる、10歳の少年の顔を思い浮かべた。やはり日記とはプライベートなものなのだ。読めば知りたくもないことまで知ってしまう。フランスはそれから苦笑した。 「妖精や魔術なんて信じたくないけどっていうけどね。僕たち全員妖精か妖怪みたいなもんだよ。だって僕たちは人間じゃないんだから。千年も生きてきたのに、人から信じられなきゃいつか僕らは死ぬ」 「なんだって?」 アメリカが聞き返した。 「いや、魔術なんかに頼るなんて馬鹿みたいだと思うかもしれないが、ってロシアに最初メールしたんだよ。そしたら、そうやって返信よこしやがった、あいつ」 彼らは沈黙した。ロシアは、正しいからだ。プロイセンが、空気を変えるように笑って言った。 「そうだなぁ。俺とか、いついなくなってもおかしくねぇもんな」 日本が、珍しく、たしなめるように「ロマーノ君や、中国さんを考えれば、大丈夫だと思いますけど」と、プロイセンを牽制した。ドイツに配慮してのことだった。 「確かに、俺はそうかもしれない。でも、亡国はいくつある。ミクロネーションの奴らなんざ、多分俺たちの半分の寿命も生きられない」 プロイセンの発言に、フランスは、イギリスが日記に書いていた、「俺の前に誰も立つな」という言葉を思い出していた。 じゃぁ、お前の後ろは?お前の後ろのどこかに、俺はいたか。お前は自分の前に、誰を、何を、みていたんだ。 「話を戻しましょう。いまは、小さくなれらたイギリスさんに、この日記を読ませてもいいかどうか、でしたよね」 日本は、フランスの真似をして、ビスコッティをコーヒーに浸して口にした。非常に、硬いはずのクッキーが、水分をすって、溶けるとも噛むとも言えぬようにして、苦味と甘味、それからナッツの香りが口にひろがった。 「ああ。それで記憶がもどるとは限らないんだが」 「イギリスは今どれくらいの速さで成長してるんだい?」 「2週間で1年分くらいだな。毎日でかくなってる気がするぜ。段々遊びの相手するのも体力がいるようになってきたしな。あー、この間までは、高い高いもできたのに」 お前、それじゃすっかり回想モードの親父だぞ、とプロイセンはフランスを笑った。 「なら、待つのも手じゃないか。今はまだ幼すぎる気がするぞ。本人が自分の日記を読んでも理解できるかどうか」 ドイツの発言に、そこなんだよな、とフランスは頷いた。アメリカは、食べ足りない飲み足りないとばかりに、用意された菓子類のつつみにまた手をかけた。フランスは、いやなものを見たと思ったが表情にはださなかった。「イギリスさんの、お国の御兄弟から何かご連絡は?確か、彼等も魔法等にはお詳しいんですよね」 フランスは、奥歯にものがつまったような顔をした。 「メールは来たよ。ほっとけ、ついでに犯人はおれじゃない、って似たようなのがいくつか。あいつが小さくなったって、地球は回るしアイルランドの問題もそのままで、ユニオンジャックからウェールズは相変わらず仲間外れだ。アメリカの方が未だ、心配してんじゃねぇかな。いや、わからん、余所の兄弟のことは」 別に心配してなんか、とアメリカはムキになって言いそうになったが、子供っぽいことだとわかっていたの堪えた。フランスも、イギリスの兄弟のことについては、知ってはいるが、当の本人ほどには詳しくない。ひょっとすると、少しくらいは心配しているのかもしれない。 「小さいままで記憶が戻ると、あの大きさで中身はいつものイギリスか。そう思うとあのままちゃんと育てなおしたほうがいい気がしないでもないなぁ。本人もその方が幸せなんじゃないかい」 「今、ほっといても元のイギリス化してるよ。毎日、美味い飯くわして、サッカーで遊んでやって、TV見て……なのにいつの間に嫌味ったらしいガキになってやがる。俺がいない間、近所のガキと遊べねぇから寂しいのかもしんねぇけどな。文句言ったりはしないが」 「子育ては大変だよな。」 プロイセンはケセセ、と笑った。日本は、何も本人達を前にしていわなくとも、と思ったが、それはどこの国でも親や、親代わりに共通のものだとは知っている。 「確かに、例えば13歳くらいまでに成長なさったときに記憶が戻られたとしても、ご本人も戸惑うというか、やりづらいかもしれないですね」 「そうだな、せめて見た目が17,8、体つきくらい大人になるまで待つか。ダメだな、俺が焦っちゃってさ」 「しょうがないですよ」 日本はコーヒーを飲みながら苦笑した。 「まぁでも、今見せるのは俺もどうかと思うぞ、フランス。だって今イギリスに記憶がもどられても俺達だってやりづらいよ」 アメリカも、同意した。しかし、プロイセンは「俺は、そうは思わねぇな」と二個目のビスコッティを割った。 「今、イギリスの仕事って誰が代わってるんだ?いつまでもそいつらに肩代わりさせるんだ?長い病欠、みたいなもんかもしんねぇが、本来あいつがやるべき仕事には変わりない。なら回復は早い方がいいんじゃないのか。子供のなりじゃ、体力的に大人と同じ量の仕事をこなすのは無理かもしんねぇけど、元のイギリスの性格考えたら、やれる分はやるだろ」 「……兄さん、それはそうだが、でも」 たしなめるように、あるいは困ったようにドイツは言ったが、プロイセンは続けた。 「そもそも、元々あいつに子供時代なんてあったのか。俺にしろ、フランス、お前にしろそんなものなかっただろ。これは別に比喩じゃない。言ってる意味がわかるか?」 フランスは、やめろ、と叫び出したい気持ちになった。プロイセンは、知ってか知らずか、一番つつかれたくない、核心を言おうとしている。そこに、フランスは、自分と、プロイセン、それから元のイギリスとの違いを思い知らされた。 イギリス。おい、イギリス。 お前なら、俺がガキになったらどうする。 「20世紀に入ってからなんつー、大げさなこたぁ言わねぇよ。でも、800年も前、中世の、それこそ俺たちがガキの頃に自分の誕生日知ってる農民いなかっただろ。何歳になったら成人とかもなかったしな。俺なんか今だったら少年兵で嘆かれてドキュメンタリー組まれる人生だぜ。勿論、ここにいる全員が」 フランスは黙って聞いていた。言うな、と思った。 「別に子供時代があるのが悪いって言ってるわけじゃねぇよ。大人だの、子供だの境目は、そんな今でもそうだが、昔なんてもっと大した話じゃなかったってことだ、男なら、せいぜい、勃つかまだ勃たないかの違いだろ。そこはいつでも大問題だ。勃って使えりゃ結婚できる。――話がそれたな、俺がお前とイギリスの話に割って入る言われはねぇよ。ただ、俺にはフランス、お前が、ただそうやって感傷に浸りながら今のイギリスを育てるのが正解だとは思えない。お前の子供時代も、イギリスの子供時代も帰ってこない。だいたい、お前はあの頃、イギリスを育てちゃいないだろ」 プロイセンは頭を掻いた。うまく言えない、といった様子だった。フランスは、この悪友が、どうやら自分を慰めようとしているらしい、と漸くきづいた。 「育て直すとか、やりなおしたいとか、やりなおせそうならそうするのは、悪いことなのかな。俺は悪いことじゃないと思うぞ」 アメリカが、珍しく、弱弱しく言ってフランスに味方した。飼育し直したいならやめておけ、といったのはお前だったろ、と思い出しながら、フランスの心には声の主を見た。プロイセンは、そうかもしれない、とこちらも確信を抱けないように言った。 「俺もたまに、ヴェストを育て直したいと思う時がある。でもそれは、ヴェストにとってはどうだろな」 言ってから、プロイセンは言い方を間違えた、と思った。ドイツは、恐らく、傷ついただろう。アメリカは、イギリスが、よく昔はこんなじゃなかった、と愚痴る様子を思い出して、溜息をついた。 「それじゃ、俺までイギリスと同じみたいじゃないか」 それまで、黙っていた日本が、ぽつり、と口を開いた。 「昔の、フランスさんとイギリスさんのことは私にはわかりません。プロイセンさんの言う事も、正しいのかもしれません。でも、難しい問題はおいといて、今、ここに子供のイギリスさんがいて、彼を……成長の速度は別にして、大人になるまではとりあえず幸せになるように育てようというのはダメですか」 おそるおそる、と言った風だったが、プロイセンとフランスは目を丸くした。 「私は、正直、日記をイギリスさんに読ませるのは、もう少し待ってもいいと思います。それで記憶が戻るとも限らないですし、もしかしたら、ずっと戻らないかもしれません。戻すことを、今のイギリスさんが、喜ぶとも限りませんし、とりあえずまだ待ちませんか。ダメですか、ヨーロッパでは、こういう曖昧な結論は」 それに同意したのは、曖昧、という言葉に本来アレルギー反応をもっていそうなドイツだった。 「――いいんじゃないか、今はそれで」 「そうだね」 アメリカが頷いた。悪かったな、きついこと言って、とプロイセンはフランスに謝った。 「いや、いい。お前の言ってる事は正しいよ」 話はあらかた済んだ。フランスは、二階で遊んでいる、イタリアとイギリスを呼びに言った。まだウィニングイレブンは続いてるので、イギリスはまだ下に降りたくないと言ったが、、「今日は人数がいるから、公園までサッカーしにいこう」というと、直ぐ終わらせるから待ってくれ、と頼んだ。 下に降りると、ドイツやアメリカたちは既にコートを着込んでいた。外は寒い。大人ばかりなので、イギリスは出来たら同じ年と少し遊びたい、と思ったが、無理なのは知っていたので黙っていた。 日本は、私は審判でいいでしょうか、と呟いたがドイツ兄弟は「運動不足解消」と口をそろえたために、青い顔をしている。 「野球かバスケがしたいナァ」 アメリカは口をとがらせた。唯一、欧州では珍しく野球がそれなりに行われているイタリアだけが別にいいよ、と言ったが、そもそもアメリカ以外の誰もミットをもっていない。「あとでキャッチボールやってやるよ」イギリスが生意気な口をきくので、遊んであげるのは俺だよ、とアメリカはダウンジャケットに突っ込んでいた手を外に出し、やれやれ、といった風情で、彼の前にしゃがんだ。 「君は、子供でいることが許されるから」 アメリカは、目線をあわせてイギリスの頭をなでた。はっきりとした声は、他の、自分よりも年上の人間に聞かせる意図があった。ドイツは、何も言わなかったが、バッグから、帰りに列車で食べるつもりだったハリボー(ドイツ名産、くま型のグミ)を取り出して、「食べるか?」と聞いた。イギリスは、ありがとう、と頷いてそれを受け取った。そのままフランスの方をむいて「食っていいか?」と尋ねた。プロイセンは、一連の様子を見て吹き出すのを堪え切れなかった。 「後でな。今それ全部食っちまったら夕飯がはいんねぇだろ」 イギリスは、じゃぁ俺は後でフランスと食べる、というと、袋をビリっとあけた。 「ほら」 というと、ドイツの前にハリボーの一つを差し出した。そのまま日本、プロイセン、アメリカにもハリボーを分けた。ただし一人一つだけ。その仕草ははっきりと意志と自我を持っている筈の10歳にしては、子供っぽく見えた。幼稚園の子供が、「僕はいいこでしょ?」と言いたげにしているのに似ている。プロイセンは、口の中にグミをほおりこむと、イギリスの頭をくしゃくしゃとなでて「子供はよく食ってよく遊んで良く寝ろ。わかったな、じゃないと強くなれねぇぞ。男だったら強くなりたいだろ」と言った。 「わかった。俺、早くに大人になりたいんだ」、とイギリスは頷いた。 |