イギリスは、帰りたくない、帰りたくない!と珍しく大泣きしてだだをこねたが、フランスは無理やり家に連れて帰った。残された日記と一緒に。時折、読み返す。そこにヒントがあるかもしれないからだ。小さな子供は「帰郷」から3ヶ月が過ぎ、10歳程に成長していた。知能も10歳位で、教えた記憶もないような言葉を話せるし、ニュースも、すべてがわかるわけではないが、大枠の大枠は理解しているらしかった。しかし、彼の記憶は未だに戻っていない。完全にではないが、その年の子供が学校で習う適度の歴史の認識もある。それが現代的な史観か、あるいは、こうなる前のイギリスという人物固有の史観を、彼自身が子供に説明するために概略化したような史観なのかはわからないが、少なくとも、イギリスとフランスが敵対関係にあったこと、アメリカはイギリスという国から独立したことくらいは把握している。
 
 忘れたかったのか。彼は何もかもを忘れてしまいたかったのか?
 俺、私、きみ、お前が、その良心をいため、苦しむのは畢竟、自分自身が卑怯者で嘘つきだという自覚にほかならないが、もしも、彼が全てを忘れたたかったのであれば、なぜ消滅を選ばなかったのか。その存在の必然で、消滅ができないというのであったとして、もしもこうして幼児化することで――最初からやり直したいという欲求の成果であったのならば、それほどわがままなこともない。ときは戻らないし、戻せない。この子供の記憶もまた、同じように戻せないものなのか。

「どうしたんだ、フランス。顔が暗いぞ俺プレミアリーグが見たいんだよ。チャンネル変えていいか?」
 彼はすっかり生意気をいうようになってしまった。成長の速度が違うので、彼は近所の子供と遊ぶことができないし、小学校にも行ってはいない。本人も自分がおかしいことを自覚している。そして国であるということも、もう知っている。それは、かつてフランスが、イギリスが、ロシアが、日本が、そういう国々が、ほんの小さな派生から言語能力を持ち、自分が何であるかという自覚をもっていたのと同じことだ。そのことを鑑みれば、このイギリスはまだ幼く、時代もあってか、子供として育てられることを選んでいる。
よく、本当の自分の家に、つまりイングランドに帰りたい、とも言うが、同時に、フランスの元にとどまることを選んだのはイギリス自身だ。しかし、サッカーの好きなチームはマンチェスターユナイテッドであり、PSGではない。
「いいぜ」
 横でフランスは黙ってこの子供が数箇月前に書いた日記を読んでいる。イギリスは、ポテトチップスを食べながら、チャンネルを変えてコーラを飲んだ。邪魔をしないようにはしているが、フランスの傍を離れるのも嫌なのだ。
他の人間には読ませていない。最後の日記以外にも、数冊をフランスは持ち出していたが、この自体を呼びこんだことに関するヒントが描かれていそうなのは、最後の一冊だけだった。読む限り、イギリスは最後の3か月くらい、体調不良、とまではいかないかもしれないが、自分の調子がおかしいことを自覚している。最後の一週間は「何か」に気づいている。そして、フランスが最も気になるのは最後に書かれている言葉だった。

「俺の前に、誰も立つな」

 この一言を、イギリスはどのようなつもりで書いたのか。
 聞けるものなら、この目の前で、腹が減った、とか、あとでサッカーの練習に付き合ってくれよ、という、最近生意気になってきた彼に尋ねたい気持ちだ。しかし、それでは答えを得られない。

 俺はこいつを育てなおしたかったんだろうか。それでも飼いなおしたかったんだろうか。

 日記を読みながら、何度目かの自問自答をする。

「なぁ、イギリス」
 日記の主に質問した。
「なんだよ」
「お前、俺のこと好きか」
「んー……きらい」
「可愛くねぇなぁ。飯やんねぇぞ。この間までは俺のこと大好き!って言ってたのに」
「ガキじゃねんもん」
 イギリスは顔を赤くして、TVから顔をそむけて反論した。子供だ。しかし、このイギリスは、日ごとしっているイギリスに近づいている気がする。

 本当を言えば、こうなる前のイギリスが、自分に好きだと言ってなついたことは一度もない。それでも、彼が小さくなった瞬間思ってしまった。

 もう一度。神様。もう一度機会が与えられるなら、もう一度どうか。

 俺の幸福のために。彼の幸福のために。彼が子供だった時、フランスもまた子供だった。だから育てるだの飼育するだのは本当はないはずなのだ。ただ、彼を育ててみることで、自分もまた、育てなおしている、自分の空白もまた埋め直している気がする。孤独とは不思議なもので、ただ、誰か一人の専売特許ではないのだ。
 アメリカがなんだかんだと、この子供にキスをして世話をやこうとしたのも、イギリスを育てることで自分をやりなおしたいのだ、とフランスは思う。しかし、最近この子供は、アメリカに懐かなくなった。サッカーではなく野球を薦めてくるからだ。すべては、ブルーマンデーに似た形で、いびつな、元の形に収まってしまうのではないか。あるいはもっとブルーグレーの、悲哀の色彩で、元にももどらないのではないか。

 このペースでいけば、この子供はすぐにもと大きさになる。あと半年もすれば。その時はものすごい反抗期がやってくるかもしれない。
「家庭内暴力くらいあるんちゃう?」
 と笑ったのはスペインだ。この子供の記憶が戻らなくてもいい、とどこか思っていたフランスだったが(そうすれば、この子への愛は永遠になったかもしれない)最近では早く元に戻って欲しいと思う。不安で怖くてたまらない。このイギリスは違う生き物であり、しかしイギリスなのだ。それでも、ル・ベベと呼んでしまう。坊ちゃん。ああそうとも、これが先の席なら、お前に対する嫌がらせだったさ――。

 しかし、いい加減、ひとりでただウダウダと悩んでもいられない。この子供の幸福は何かも考えねばならないし、そもそも人は幸福になるための努力をする義務はある程度存在する。憂鬱に浸る愚かではいけない――それはいやらしく、だらしがなく、色気があり、美しい誘惑ではあるが。

 俺の前に誰も立つなとお前は言った。独りがよいのか。独りになってしまいたかったのか。なんだ。なんなんだ。
 
「どうにもならねぇだろ。どうにかしたい方向がはっきりしてるなら、打てる手を考えて打つしかない。駒とカードを確認してやれることをやるしかない」
 ある世界会議の休憩中。フランスに連れられているイギリスをみて、プロイセンはそう言った。
 プロイセンは、嫌なことに正しかった。しかし、プロイセンはフランスとは違う。プロイセンは目的のために自分の感情を排除しながら、呵々大笑して、それで「義務を果たした」といって死ねる。彼は、気難しくない職人気質なのだ。憂鬱を超えて、それが時代だ、やることはやった、と言える。
しかし、フランスは違う。感情の方を選んでしまう。これは弱さだが強みでもある。何故なら、犠牲の種類が違ってくるからだ。故に、フランスは、義務のために、フランスと同じ理由で胃を痛めることができるドイツの方に聞いた。彼の兄について。
「あー、わからない。覚えていないんだ。それに、あまりそのことについては触れないようにしている」
 プロイセンは神聖ローマ帝国を瓦解させる一端を担い、それと同時にドイツの礎を気づいている。どちらにせよ、プロイセンのやり口は壮絶だった。その矛盾について、笑う兄と、受け入れる弟の構図はフランスや、アメリカにしてみると少々受け入れがたいものがあった。もっとも、話を避けている、ということでは本心で何を考えているかは分からない。
「育てなおし、で、やり直し、罪滅ぼしの気持ちがなかったといえば嘘だ。俺個人と、ヴェストの関係で言えばな。お前もそれでうまく行くかは知らねぇよ。でも、少なくとも今、最近、上手く行ってなかったわけじゃねぇだろ。まぁ……このチビガキだって非はあるんだ。お前だけ云々って考えるとしんどいだけじゃねーか?まぁ、記憶が戻るにこしたこたねぇとは思うがな。俺達の先は長いが、多分俺達くらいは覚えておいた方がいいことが沢山なんだろ」
「分かってるよ」
 フランスは今初めて認めた。
「でも、今この時間、俺達は静かに幸福であるべきだと思うんだ。俺もアメリカもイギリスも。思い出してその先、幸福が嘘じゃなくていいように」