子供の体温は温かく、秋も深まる頃に抱いて眠るにはちょうどよかった。安心、安堵といったものにも慣れないとまた別の不安を呼ぶ。 腕のなかにいる小さいのは、昨日の足袋で疲れたのか起きる気配もなくすやすやと寝息を立てていた。朝とはいえど、外はまだ帆の暗い。フランスは、彼を起こさないように、そっとベッドから抜け出した。子供の赤い、薔薇色の頬を撫でて、瞼の裏に何をみているのだろう、それが安らかで平和であればいいと思った。そう祈る自分に、少し驚きもした。手で顔を覆い、骨ばった指でくしゃくしゃと前髪をかきあげ、小さく溜息をついた。広い額にキスをする。小学生に上がる頃の年にしかみえない子供は目をあけない。 フランスは、自分を内心で鼓舞しながら、たちあがって天井を仰いだ。腰に両手をあて、目線の先の木目を数える。億劫だった。しかし、やることはきまっていた。秋の、ごく微かな朝日が漏れる部屋のなかで、半分手さぐりに、本棚を探し当てた。暗さに目をこらしながら、一冊一冊背表紙を指で触りながら確認する。あった。覚えている。たしかこれの筈だ。フランスが手にとったのは、一冊の分厚い、皮のカバーがつけられたA4サイズのノートだった。それは、イギリスが、毎日、といわないまでも、日記代わりにつけているノートだった。フランスは家主の許可がないまま、ベッドわきにある机の電気スタンドの明りだけをつけた。椅子に腰かけ、机に肘をつきながら、ノートを開いた。いい趣味だとは思わなかった。普段なら、酒がはいってからかう範囲で意外、やりたいとも思わないようなことだった。しかし、必要だった。確実ではないが、イギリスが何故小さくなったのか、その上記憶までなくなったのか。なにか手がかりがあるとしたら、このノートくらいしか考えられなかった。フランスは、イギリスや、北欧の面々や、ロシアのように、魔術に詳しいわけではない。どちらかといえば、そう言ったことには興味がない。イギリスが「小さく」なった会議には彼らもいたが、誰も何も言わなかった。どうすれば何が戻るのかがわからなかったからだ。前兆も何もなく、誰が彼の悪口をいっただとか、彼が星のついたステッキをふっただとか、そういうこともなくイギリスは小さくなったのだった。キスで戻るような魔法ならとうに彼は元の、フランスと同じ大きさをした嫌味な男に戻っているだろう。 小さなイギリスは、ベッドの中で寝息を立てている。まるで、なんの心配などないが如く。教育しなおしたいならともかく、飼育しなおしたいならやめたほうがいい、というアメリカの言葉は全くその通りだと、フランスも確かにそう思う。なら何故腕に抱えて側にいようと思ったのだろう? この存在は、フランスの柔らかい、弱い部分に触れるものだった。アメリカにとってもそうだろう。アメリカは、距離を置こうとしている。逃げではなく、自分のために。本当は色々と口出したくて仕方ないに違いない。考える。考えたくはないが、時折、酒を飲みながらでもコーヒーをすすりながらでも、時折、意識的に考えてることにしている。柔らかい、薔薇色の頬を愛しく思うと同時に、この子供といて正しく安らかな時はなかった。もっといえば、フランスはいつも悲しかった。ひとつは罪悪感だろう。イギリスは、性格の出来た人間とは言い難く、責任の一端が自分にある。それは年上としての、少しの傲慢な見解でもあったが、間違いともいえなかった。もっと、何か、何かあったんじゃないか?きっとイギリスもそう思っていただろう。けれど、この子供を見るのが酷く切なく、この子供にすがって抱きしめて泣きたいような気分になるのが何故なのか、その理由はわからない。 寝巻をきたままで、寒い空気に手の肌が水分が取られたように、少し皺が寄っている。ページをめくると、かさかさと指が痛い。他人日記を開くのは、不思議な感覚がした。日記は、書いた本人以外が読むはずもないものないのに、まるで他の人間にあてたようなものように見えるものだ。誰が書いてもそうだろう。 プロイセンやイギリスは、フランスの英語よりもフランス語が得意だが、それはそれだけ長くフランス語が外交の場で使われるのが長かったからで、フランスが英語を必要とするようになったのは(彼の主観では)つい最近だ。青いペンで書かれた、英語の筆記体を読むのには起きぬけの憂鬱な頭では少し難しい。日付だけがすぐに判別できる。これが一番新しい日記だと思ったが、今年の物ではあるものの最後のページまで書かれており、新しいものではなかった。最後の日付は、イギリスが小さくなる4カ月程まえのものだ。それでも何か、ヒントがあるのではと思い、フランスは最初のページに戻った。ぼうっとして、微かな頭痛もあり、あまり中身があたまにはいってこない。だが、ペラペラと読む限り、そこにはフランスが知っている、あの嫌味なイギリスがいた。読みながら、フランスにココアを作ってくれとねだるかわいらしい子供ではなく、ひょろりとした、あまり人を近づけない意味もなく少し殺気だった背中が思い浮かぶ。そして、イギリスのことはよくわからない、と改めて思った。 フランスはイギリスのことをよく理解しているしイギリスはフランスのことをよく知っている、と思われることがあるが、それは間違いだ。少なくとも、フランスはそう解釈していた。知り合って長いし、彼がどういう事を考えていて、どういう行動をよくとるのかということについて多少、把握しているつもりはある。他人に説明を求められたら答えることも出来るだろう。だが、何故彼がそう動き、そう考えたのかというのはわからない、と思う。本人に説明されたところで納得いかないことの方が多い。そもそもの価値観や好みと言ったものが違った。だからいう。 「あいつはそういう奴だよ、なんでかわかんねぇけど、そうなんだ。次もそうするだろうよ、な、変だろ?俺もよくわからねぇんだよ」 だが、わからなくていい、とも思っている。嫌いなまま信頼することはできるし、信頼できないまま好きでいる事も出来る。もしも、イギリスとフランスが、他の人間に比べて、互いについて良く知っているとしたら、それは「理解できない。理解しなくていいし、理解してもらう必要もない」と思っているからかもしれない。フランスはそう分析した。ただ、そう考えるようになるまで、長く時間がかかった気はしている。その時間は殴りあいで数えることができるだろう。互いに、落ちついてからも殴りあう事はあるが、それは荒くれた頃のものとは逸している。 日記を読む。昔の事が書かれている。それについて考える。といっても、そんな何年も昔のことではない。3か月前の、まだイギリスが小さくなる前のことだ。何があった?その頃、何が起きた?あの会議の日、何の異変があった?何故、彼はこんなに「愛しい」子供になった?新しい日記は買ってないのだろうか。それともどこかに置いてあるのだろうか。はたまた彼のことだから無くしたか。 まったく、こんなところでまた、俺に世話かけやがって、あの歩く迷惑酔っ払いめ。 フランスは、目に浮かぶ小憎たらしい友人に毒を吐いた。彼を友人と呼んでいいのかも、本当はよくわからない。彼に戻って来て欲しいのかも。それについては考えないことにする。少なくとも今は。 イギリスが寝返りをうった。その音に振りかえり、目を細める。きっとこれには、意味があることなのだろうと思う。 なぁ、記憶のないお前は幸せか?いや、幸せなんていうのはどうでもいいな。なぁ、イギリス、お前ってこんなだっけか?でも、おれは「この子」は愛しいよ。 胸にうかぶ焦燥は、悲しいというのに近かった。眼の前の子どもを抱きしめてすって泣きたいと思った。何故泣くのか、それはもっとわからなかった。 |