ザ・ロックンロール・ガーデン











 イギリスが「小さく」なってから1カ月たった。
 3歳くらいの背格好だった彼は、どういう不思議か、いつのまに6歳くらいの身長になっていた。服を買いに行くのは楽しいが、せっかく見つくろった服がすぐに合わなくなってしまうのは考えものだ、とフランスは苦笑する。
二人の暮らしはそれなりに順調に続いていて、一緒に土をいじる日もあれば、フランスがイギリスの手を引いて街を歩く日もある。冬の土曜日、パリの通りにでかけて、洋服をみつくろうために歩いていた時、ふいにイギリスが立ち止まった。

「なんだ、どうした」
 イギリスが見つめる先に、白と黄色の長い列車が速度を上げて走っている。
「あれに」
 ヨーロッパらしい、鮮やかな色彩の子供服。コバルトブルーのダッフルコート。白い手編みの帽子。同じ色の手袋。雪用の黄色い丈夫な長靴。小さなジーンズ。堅いミルクティ色の髪をした子供は、振り返って言った。
「あれに乗りたい」
 イギリスの頬は寒さで紅潮していた。パスポートは万が一に備え、常に携帯している。イギリスのものは、念のため、小さい彼用に、英国大使館で作らせたものがあった。フランスは、しばし逡巡し財布の中身を確認し、カードの残高に頭を巡らせた。

「mon petit coco」(マン・プティ・ココ)

俺の小さなぼうや。フランスは、無表情に自分を見上げていたイギリスの前にしゃがみ、額にキスをして言った。

「よし、いいだろ。今から行くかイギリス。船にのって行きたいとか言い出さねぇだけマシだな。飛行機だったら1時間でいけんだけど……まぁいい。メシだけこっちで買ってこうぜ。あっちの飯は、マジでまずいからな」
 それを聞くと。イギリスはとても不快そうな顔をした。
「まずくねぇ」
「いや、まずいんだよ、イギリス。食ったことねぇだろうが、覚えとけ。フィッシュアンドチップスなんて油だけで食えたもんじゃねぇ」

 近くのユダヤ人が経営しているデリカッセンによって、一番大きなランチボックスを買った。〜駅で特急の指定席券を買う。休日で、ホームは少し混んでいた。親子にも兄弟にも見えない二人だったが、個人主義のフランスで、気にするものは誰もいなかった。二人も気にしなかった。

 電車が来た。イギリスは、電車とホームの隙間に、すこし怯えた。
「足元、気をつけろよ」
 フランスが、手をひっぱる。イギリスは、少し大股に、その「溝」をまたいだ。
 向かい合って席につくと、さっそくランチを広げる。オリーブの匂いが鼻をくすぐった。ガタン、ガタン、と揺れる社内の中で、こぼさないように気をつけながら、を齧った。
 二人は、他愛もない話をしながら、食事をした。不思議と、会話は途切れることはない。その間に、景色はカレーを抜いて英仏海峡のトンネルへと行った。
「昔、この辺で戦争があったんだ。知ってるか?」
 イギリスは首を振った。ご飯を食べた後で、眠たくなってきたのか、必死に目をこすっている。
「こら、掻くんじゃねぇ」
フランスは、「ガキだなぁ、ぼっちゃん」と言って、彼の頭をなでだ。ガキだな、というといつもイギリスは頬を膨らませる。
「ついたら起こしてやる。寝とけ」

そうフランスが促すと、イギリスは窓枠にもたれかかって、あっという間に眠りに落ちた。フランスは、しばらくイギリスの閉じた金の眼もとを見ていたが、やがて、真っ暗な窓の景色に目を移した。頬杖をつきながら、自分と同じ身長の彼と、この列車に何度か乗った時のことを思い出していた。一回だけではない、数えるほどだが何度か、一緒にこの電車にのった。電車やバスに二人以上で乗る時は、一人ではできないこと、すなわち会話を交わすのは、欧州では殆ど共通の習慣で、ただ黙っているということはあまりない。話の内容は、イギリスの庭に来るリスの話、フランスがプロヴァンス地方に買った新しい別荘の話やそうした他愛のないものだった。初めて、二人でユーロトンネルを通ったのはいつのことだったか。すぐには思いだせない。トンネルの開通が1994年だから、そう昔のことではないだろう。瞬きをすると、濃いブラウンのベストをしたスーツ姿のイギリスが、足を組んで座っているのが目にうかんだ。彼は窓に時折笑いながら嫌味と皮肉を口にする。そうしたジョークとエスプリの欧州は、フランスとイギリスの間の、決まりごとのようなものだった。イギリスは紅茶を、フランスはコーヒーを、それぞれ自分の水筒に用意したのを飲む。そうして、パリについたら、仕事をして、夜になればバーに行って酒を食らう。

そういえば、小さくなったイギリスと住むようになってからアルコールの量が減ったかもしれない。ふっくらした頬に血の色が浮かんだ子供が、悪名高い大トラになるのは想像しがたい。
ダッフルコートの下は、フランスが編んだセーター。手袋も帽子もマフラーも全て手作り。さくらんぼに似た唇を持つ、幼い子供はその真綿に包まれて、小さな寝息を立てている。

暗闇を、抜けると、そこは「イングランドの庭園」、ケント州だった。







ロンドンのセントパングラスに着いたのは、15時半を回った頃だった。両替カウンターで財布の中のユーロを、数枚、ポンドに変える。窓の外は、厚い雲が空を覆っていた。雪は振っていない。耳に入る堅い英語が、ここがロンドンであることをフランスに告げた。ショッピングセンターには寄らずに、真っ直ぐ出口へと向かった。少し興奮しているのか、先へ先へと走るイギリスに後ろから声を掛けた。

「こけるんじゃねぇぞ」
 イギリスは立ち止まって振り返った。
「これから、何処へ行くんだ?」
 白い息を吐きながら、イギリスは無邪気に笑った。その笑顔に、フランスは焦りのようなものを感じた。自分が知らない子供を見ているようだった。

「さて、どこに行こうかな。お前はどこに行きたい?」
 イギリスは、目を広げていろいろと考えている。その様子からして、彼は地理がよく解ってないようだった。フランスは、少しこの辺りを歩こう、と言って彼の手を引いた。
「Sir」
駅の外に出ると、フランスは、英語で、トレンチコートを着たビジネスマン風の男に声を掛けた。
「写真をとっていただけませんか?」
 男はフランスの手から快くカメラを受取った。すこし、不安そうなイギリスに、フランスはカメラを見るように言った。その薄い両肩にフランスは手をのせた。
「とれたよ。これでいいかい?」

レンガ造りの荘厳な駅を背景にした二人が、カメラのディスプレイに映っていた。
「ああ。ありがとう」

 アーサー、ほら、とフランスに促されてイギリスはthank you、と言った。高い声。カーキ色のスコートを揺らして男は手を振って去っていった。イギリスも手を振る。フランスは、行くぞ、といってその手をとって歩いた。

道には蝶ネクタイにステッキをもった紳士が城の帽子をかぶった婦人と歩き、ピンク色のモヒカンをした青年がケースに入ったギターを背負ってどこかに行く。冷えたアスファルトを踏みながら、落ち着かないイギリスをフランスは頬笑みながら見つめた。ユニオンジャックを見ては、あれが欲しいと言い、パブを見ればあそこに入りたいという。フランスは、その度にノンと首をふった。イギリスは、不機嫌な顔をしたが、その度にフランスは「お前は紳士なんだから」と言った。しかし、道行く人々が、新聞紙に包まれたフィッシュアンドチップスをつまんで食べているのを、じっ、と物欲しそうに見つめるのにはフランスもとうとう折れた。同じ食べるなら、少しでも美味い店のほうがいい。フランスは、もう皺だらけの老婆が経営している店に入った。その老婆は、フランスの姿を認めると、「ああ、サー・アーサーのお友達かい」と言った。フランスは、この店のなじみのイギリスと何度かここのフィッシュアンドチップスを食べたことがあった。
「兄さん、その坊やは?アーサーに似てるけど、親戚かい?それとも隠し子かい?」
 店を小遣い稼ぎのために手伝っているらしい孫の青年が言った。
「いや、この子もアーサーっていうんだ」
 老婆は、パン、と頭を叩いて、孫をたしなめた。彼女はで新聞紙に包まれたタラとポテトの揚げ物と、ビネガーを差し出した。
「アーサーの旦那に言っといてくれよ。もっと店に顔出せってさ。じゃなきゃうちが潰れちまうよ」
「わかった。よく、伝えておくさ」
 新しいデザインになったコインで支払い、釣りを受け取った。カウンターで、まだ暑いそれにかぶりつく。噛むと、淡泊な白身魚にしみた油と巣が混じりあう。火傷するなよ、とフランスはイギリスに注意した。
店内には、英語のヒップホップが流れていた。孫の趣味だろう。老婆が「やかましいから変えてくれないかい」と言った。しかし、イギリスはそれも嫌いじゃないらしく、小さく体を揺らしていた。

店を出ると、フランスはマーク&スペンサーに向かった。目的のものを買う間、フランスはほとんど無言だった。そのせいか、イギリスも何も言わなかった。もともと、一人であれば、大人しい子供だ。買い物を終えて、外を出るともう大分暗い。日が沈む。肩で荷物を抱えながらフランスは、手をあげて、ブラックキャブを止めた。イギリスが、不思議そうにフランスを見つめている。運転手に向かって、フランスは早口で目的地を伝えた。

「何処に行くんだ?」
 イギリスが聞いた。
「今夜泊まるところだ」
 マーク&スペンサーで買い込んだのは食品と子供服だった。それを抱え直しながらフランスは、ユーロスターのときと同じように、「少し寝とけ」とイギリスに言った。タクシーは、1か月、家主不在のイギリスの家に向かっている。






 イギリスの家に着いたのは夜6時を過ぎた頃だった。「ホテルじゃないのか?ここ、人の家じゃないか」とイギリスは言った。
「いや、俺の家さ。その証拠に鍵だって持ってるんだぜ」
 そういって、フランスは鞄からキーホルダーを取り出して暗がりで鍵穴を探りその一本をさした。カチャリ、と小さな音がなった。フランスは重いドアを開け、「入れ」とイギリスにいった。奇妙な感じがした。イギリスは不審そうに、おずおずと、しかし中に入った。フランスが後から続き、真っ暗な部屋の電気をつけた。寒い。閉めっぱなしの家の空気は淀んでいた。
「こっちだ」
 フランスは彼を、TVのあるダイニングまで彼を連れて行った。灯りと暖房をつける。花瓶の花は、一か月、水が返られなかったせいで枯れていた。イギリスは、落ち着かない様子でキョロキョロしている。フランスは台所に荷物を置くと、幼い子供の頬に自分の頬をすりよせて、耳元にキスをした。ぱっと、イギリスの顔が真っ赤になった。

「Mon bebe.俺はしばらく飯を作ってるから、お前はその間このうちを探検しててもいいぞ。ただし、モノは壊すなよ?」
 イギリスは、こくりと首を下げた。フランスが、彼が来ているコートを脱がし、マフラーと帽子を、畳んでソファに置いた。イギリスが家の中を走る音に「暴れんな!」と声を張り上げた。本当に、まるでただの子供なのだ。
 ふー、とため息をついてフランスは自身もコートを脱ぎ、腕をめくった。どこに包丁があるか、何処に何の食器があるか、フランスは把握している。知らないのは、秘蔵の酒の在り処くらいだ。

「イギリスを教育しなおすのは俺としてもやぶさかじゃないけどさ。飼育しなおしたいだけだったら、やめときなよ、フランス」

パリのフランスとのアパルトマンに、アメリカが訪ねて来た時に言った声が聞こえた。フランスは、オニオンを刻みながら、ガキにそんなことをいえるようだったら、俺も大概ヤキが回ったな、と思った。
小さくなったイギリスは、まるで本当にただの子供だった。フランスに対する敵意がない。アメリカに対する憎悪がない。それは、記憶がないせいだろう。父親は、母親はと言って泣くこともせず、ただ当たり前にフランスと暮らす。
異常な速さで成長するから、もう保育園には連れて行ってはいない。フランスが仕事の間は、ベビーシッターを呼ぶ。

「フランス!」
 フランスが、ベーコンを炒めていると、イギリスが興奮したように、叫んだ。
「なんだ、どうした」
 振り返ると、イギリスが一枚のLPを差し出した。
「これ聞きたい」
 それは、T.REXの電気仕掛けの武者だった。70年代に流行したグラムロックの勇、マーク・ボランのバンド。きっとCDとレコードをコレクションした部屋からこの一枚を見つけたのだろう。

「かけかた、わかるか?」
「なんとなく」
「リヴィングにレコードの再生機がある。あんまでっかい音だすんじゃねぇぞ」
「うん」
 うん。うんだって。
 7時を回った頃、食事ができた。
「イギリス、こっちおいで」
 ソファに大人しく座っていたイギリスが、ぱっと走り寄って来た。
「腹減った」
「お前ね……」

 フランスは少し呆れた。椅子にとび乗った彼の顔は早く食べたい、といわんばかりだった。
 食事をしながら、イギリスはリンゴジュースを、フランスは白ワインを飲んだ。レコードからは、29歳で夭折したVoの声が流れてくる。片づけは二人でやった。
 シャワーを浴びた後、フランスは勝手しったる人の家、イギリスのクローゼットからほとんどサイズの変わらないパジャマを着た。彼の服を着るのは初めてではない。イギリスには、マーク&スペンサーで買ったパジャマを着せた。当然、客間の用意などはしていない。フランスは、イギリスのベッドルームで眠るように、小さなイギリスに言った。

「フランスは?」
 疲れて眠たそうなイギリスは、ベッドの中でそう聞いた。
「俺は、もう少し起きてるよ」
 久々に、思い切り酒が飲みたかった。肩手に、すでにウィスキーを握っている。しかし、イギリスは眉をよせて、小さな手を伸ばしフランスのパジャマの裾をつかんだ。小さな手。それを見て、フランスの頭の中に、昔の光景がフラッシュバッグした。ユニコーンを携えた子供。弓を引く二本の指。長弓。裏向きにされたピースマーク。燃える薪の音。短剣を両の手に持ち、喉もと狙う緑の目。それと同じ目を見ながら、フランスは眩暈を覚えた。俺は。
 白い細い首。噛みたいと思った。フランスは、そっとその首筋に手を這わせ、親指で頬を撫でた。
「お前が好きだよ」
 殆ど無意識にフランスは口にしていた。イギリスは眠たげな目を必死に、開けているようだった。
「本当に、好きだよ」
 言ったことがない。そんなことは、言ったことがない。あの皮肉な性格をした、この家の主には言ったことがない。剣を、銃を突きつけたあの狂犬には。
 フランスは、桜色をしたイギリスの唇に口づけた。
舌を入れたい。どうか、入れさせてくれ。

「飼育しなおしたいだけだったら、やめときなよ、フランス」

 頭の中で鳴る、アメリカの声が、それを押しとどめた。そうでなければ、この子供の服を剥いて撫でまわしていたかもしれない。
 唇を離すと、髪をすいて、「寝ろ」と笑った。
「ん……」
 イギリスの寝息が聞こえた。フランスはベッドサイドに腰掛けて、そのままウィスキーをラッパ飲みした。今日一日、落ち着かず、興奮していたのは自分の方だった。また、ウィスキーを飲んだ。胸が酷く重たい。結局それ以上、アルコールを飲む気がせず、フランスは瓶の栓を閉めた。いつの間にか、酒に弱くなっていたのかもしれない。
 ベッドに入ると、冬なのに、子どもの体温のせいで温かった。

イギリスの匂いがする。

 一か月、変えていないままのシーツ。気が遠くなった。このまま、この子どもを食べてしまいたい。フランスは、イギリスの髪に顔を寄せながら目をつぶった。