浅草は観光客が溢れている。
「人が多いな」
「そうですね隅田川の花火大会は、毎年、90万人くらい集まるといいますから」
 90万!
 イギリスとフランスは声をそろえた。ええ、そうなんです、と日本は窺うように言った。午後5時頃も過ぎると、辺りは、場所取りをしようという人間が東京中から集まってくる。家族連れ、カップル、地元の友人同士。組み合わせはいろいろだ。小さな子どもが甚平を着て、下駄を入って走っていく。こら、危ない!と母親が言った先からこけた。フランスは、しゃがんで、それを「大丈夫か?」言って起こした。
 泣きそうだった子供は顔をあげて、フランスを見るときょとん、と眼を丸くした。母親が駆け寄り、「すみません!」と言うと、子供の手を引いて慌てたようにかけて言った。

「ほら見ろ、お兄さんの顔をみれば子供も見とれて泣きやむんだよ」

 かすりを着た<日本は明後日の方を向いた。
 イギリスは、溜息をついた。
「あれは見とれたんじゃねぇ、驚いたんだ、ゲテモノに」
 そして、雪駄をはいたイギリスは扇子で汗をひやしながらきっぱりとそう吐き捨てた。
「えー、いいじゃん。こっちの方がなんかかわいいじゃん」
 団扇を帯にさしたフランスは笑いながらそう言った。
「済まない、日本、こんな奴が和の文化を汚してしまって……!!」
「……まぁ、女装も文化ですから」
「だって俺こっちの方が色多くて好きなんだもんよ」
「そういう問題じゃねぇ!」
 イギリスは手に持った扇子を閉じると、パチっと、それでフランスの肩を叩いた。
 目線が痛い、視線が痛い。
「いってぇな!」
「痛いのはお前の存在だばかあ!」
「知ってるぞ!本当は、お前、お兄さんがうらやましいんでしょ?まぁお兄さんならお前が来てるその黒の無地もに会うけどねー眉毛野郎に女物の浴衣がはにあわねぇよなー残念だったなー」
「黄色地に朝顔、そんな可憐な着物の中身が髭のおっさんなんだぞ!日本中のまっとうな婦女子にあやまれよ」
 フランスは、巾着をゆらして、肩をすくめた。
「まぁでも、女性ものの浴衣は襟足を綺麗に見せるために、襟元がですね、ちょっとこう、曲がってるんですよ。そうすると、その曲線がうなじを引き立ててくれるんです。フランスさんは髪の毛がお綺麗ですし、そうやってあげてらっしゃると、やはり襟足が見えて粋ですね」
 それは日本一流のフォローだった。
「いいんだ、日本、こんな奴をかばわなくても。大体、お前、なんで、そんなデカイサイズの浴衣なんざもってんだ」
「お前の仕立ててやるついでに、縫ったんだよ。和裁ははじめてだったからてこずったけどな」
「流石、器用ですね」
 祭りばやしが聞こえる。出店の掛け声。人形焼きの匂い。ソフトクリームを食べる兄弟、姉の浴衣をうらやましそうに見る子供。浅草は観光地だから、外国人も多くいる。何人かは、二人のように、異国に来た時特有の興奮と、祭りの焦燥の両方を抱えた風情で浴衣に袖を通していた。チャイナタウンで、チャイナ服を買うのに、それは少し似ている。
 雷門の前につくと、日本が言った。
「写真をとりましょう、ちょっと頼んできます。お二人のカメラと携帯にも、いかがですか?」
「悪いな、日本。いいのか?」
「まぁこれくらいは」
 それは日本がカメラを預ける間の短い出来事だった。

「お前、その浴衣、似合ってるよ。思ったとおり、なかなか様になってるぜ。中身がお前じゃ無けりゃ惚れちまう。流石に俺の腕とセンスがあると違うね」
「阿呆。どさくさにまぎれて尻さわんな」
「……可愛くねぇの」

 背に回った手を払おうとして、横を向いてその襟足が見えた。ふ、と体を引いてしまう。
 クソ!
 イギリスは心のなかで毒づいた。
「どうしました?」
 日本が戻ってきた。
「いや、なんか、虫が」
 汗が冷えた。
「藪蚊ですかね、この季節は多いんです」
 大きな提灯の前に三人は並んだ。フラッシュがたかれる。それは遠くて、まぶしい筈などないのに、イギリスは先ほど眼にしたうなじが、眼の前にちらついて、酷く苛々した。
 俺は、あんなおかまに抱かれてんのか!
 それでも、顔には出さなかったはずだ。もともといらついてたから、きっと、大丈夫だ。
 写真をとってくれた学生にお礼をすると、本日の案内係件旅程決定者の日本は嬉々としていった。
「さて、これからまず天丼を食べに行きます。予約はしてあるから大丈夫です。場所取りも、してありますから。とにかくまずはご飯です」
 それを聞くとフランスは顔にだして喜んだ。
「マジか。うまいんだろ?」
「もちろんです」
 イギリスは、なんとなく口を開く気がしなくて、首筋を掻きながらそれを見ていた。
「あ、イギリスさん、やっぱり刺されてますよ」
「え?」
「ほんとだ、首筋の、いまさわっててるとこ、すこし赤くなって腫れてる、あ、鎖骨んとこもだ」
 イギリスは確かめようと下を見た。しかし、自分の首筋はみえなかった。だが、いわれたせいか、だんだんと痒くなってくる気がした。
「藪蚊に好かれやすいのかもしれないですね」
「それは嬉しくないな」
「花火を見る前に、虫よけスプレーを買いましょう」
 二人は歩き出した。イギリスは少し遅れて、それについていった。
 今日は暑い。湿気が多く、不快指数が高い。また扇子を開いて仰いだ。しかし、どうにも、首が痒くて無意識に爪を伸ばしてしまう。天丼屋の暖簾をくぐるとき、見兼ねたのかフランスがうちわで、とん、と腕を叩いて言った。
「やめとけ、酷くなるぞ」
「わかってる」
 わかってる。
「ならいいけど」
 振り向いて笑った。店からは、ほうじ茶の匂いがする。店員の赤い腰巻の前掛けをした初老すぎの女性が、3人の姿をみたが、さして驚いた風もみせずに店内に案内した。日本マニアの外国人が勘違いをしてるのだと思っているのかもしれない。
「今度は、男物の浴衣にしろよな」
 フランスはええ、と嫌そうな顔をした。
「でも、一度、拝見してみたいですけどね」
 まぁ、そういうならきてやないでもないけどな。
 嬉しそうに、フランスは言った。
 イギリスは扇子を閉じて、「でも俺は、女物の浴衣なんてぜってぇきねぇぞ」と言われる前にくぎを刺した。
 外からは、チンドン屋がたたく太鼓の音が聞こえていた。