赤猫 「お前の愛は重い」と、ある知り合いから言われた。そいつこそ、愛が何かわかっていなさそうで、またいかにも愛が重たそうなので、俺は、愛とはなにか議論しようとしたのだが、奴は面白そうな様子でケタケタと笑うと、「説明ができると思っている時点で、お前はそういうのを軽々しくとらえてるんだよ。だから、お前は重いんだ」と知ったように言った。煙草の煙が、変に楕円を描いて揺れ、黒い陶器製の灰皿に吸殻を押し当てると、その男は急に神妙な顔をした。 「まぁ、なにはともあれ、奴はやめとけ」 眼球が大きく、瞳も決して小さくないような気がするのに、この男の双眸は時折三白眼に見える。そういう時は、静かにその暴性を抑えているような気がして、少し怖いと思う。が、相談相手としては、そんなに間違っていなかったようで、冷やかな、含むような目線をしたまま奴はぐいっとグラスを傾けてビールを飲んだ。 「なんだ駄目なんだ」 イギリスはしばし、思案しているようだった。 「……まぁ、兄弟だとかそれもある。普通に可愛い女の子さがしとけ。誠実な男は持てるだろ?」 からかうようにまた言った。俺はゆっくり首を振る。イギリスは溜息をつくでもなく、不味いチーズを口に入れたのを我慢しているような顔で、しばし言葉を探していた。 「あいつは、普通だから」 俺が顎に手をあて、続きを待った。イギリスは、テーブルの上に右手をおき、もう片方で、頬杖をついて俺から目線をそらした。 「お前と違って」 少し眉根を寄せると、イギリスは、どう説明したものかを思案したようだった。 「もう一度確認させてくれ。お前、あいつをどうしたいんだ?」 俺は、最初に話した通りの説明をした。イギリスは小さく溜息をついた。酒臭い息だった。 「じゃぁ無理だ、ドイツ。諦めろ」 「何故だ?これが」 「ホモだとか兄弟だとか、まぁもちろんそれもあるけどな。そうじゃなかったとしても、お前とあいつじゃ無理だ、絶対に」 イギリスは、言い聞かせるように俺の言葉を遮った。 「あいつは、お前とちがって真っすぐだからな。とにかく、どこまでいっても普通の奴だから」 俺は沈黙した。イギリスはまた煙草に火をつけると、気を取り直すようにニィと笑った。 「納得いかないなら、フランスにも聞くといい。多分、俺と同じこと言うぜ」 酒とたばこで血走った眼をして、奴はもう一度いった。 ――お前は重いんだよ。 聞けというので、俺はその忠告の通りに、隣人に話をもちかけた。想像通りというか、案の定、髭面の親父は一瞬だけ眼を見開くと、次の瞬間、病気にでもなったかのごとく大声で腹を抱えて笑いだした。 「笑うな!」 俺が、顔を赤らめて憤慨すると、奴は「いやぁ、悪い、悪い、でもなぁ、うひゃはやはやだはひゃひゃひゃ」と下品として形容しようのない笑い声を出しながら目尻にたまった涙を拭いた。 「――無理だよ。お前。諦めろ」 フランスはイギリスと同じことを言った。俺は沈黙する。その解答の糸を――意図を探る。 「お兄さんはね、ドイツ、お前よりもプロイセンとの付き合いが長いんだけどさ、はっきり言ってやる。お前、無理だよ」 「だから何故」 「あいつは真っすぐだから。多分、お前についていってなんかくれないぜ。まぁ、兄貴だから、お前を守ってやろうとはしてくれ。まず、何にせよ、お前単純に餓鬼なんだよ。せめてもうちょっと恋のスキルを上げなさい。女の子がだめっていうなら男の子でもイタリアでもいいよ。お前、そのままだったら重いだけじゃん」 「――イギリスは重くないのか?」 俺の一言に、フランスはまた眼を拡げて笑った。不快が、滓になってたまりそうな響きがした。 「重いよ。でも、あいつは自分をわかってるし、自分でそれを笑う事も出来る」 「俺は」 「甘いねクソガキ。他人をどうにかしたけりゃ、自分がどうにかしねぇとな。自分で自分を笑えるようになってから出直せ。まぁ、それでも無理だと思うけど」 「しかし」 ――欲しいんだ。 一言言うと、フランスは、目を閉じるように俯いて「イタリアにしとけばよかったのに。なにがなんでガサツ大王に惚れたんだか」と嘆いた。 「まぁ、だからこそなんだけどね。お前、あの喧嘩バカ一代の何が好きなわけ?」 「芯の強いところだとか、あれでいてまめなところだとか、それに」 「ストップ」 言ったフランスの表情がまるで優しいような気がした。 「うん、ありがとう。そうだね、そうだよな。諦めきれないっていうなら、お前、まず理屈を超えろ」 「理屈?しかし、理由こそが」 「理由を後からつけんなっつってんだ。ああでも可哀そう。あいつもドS弟の餌食か!まぁいいや。その不満顔は、上からの目線が気に食わないって奴だろ。しょうがねぇ、一つ説明してやる。お前のやろうとしていることは歪だよ。プロイセンは全然、本当、普通の気のいい奴だよ、それでも納得しなきゃ、アメリカんとこいってなんか聞いてみれば?年も近いだろ」 かくして俺は今、ピザをはさんでアメリカと向かい合いホットドッグをほおばっている。しかし、なぜアメリカのヴルストはこんなぐんにゃりした味なんだ? 「束縛ねぇ、まぁ気持ちはわかるけど」 くちびるの端ついたケチャップをぬぐいながら、アメリカは只管に高カロリー食をほおばっている。塩味以外のものが俺は食べたい。 「恋とか、愛とかに理屈をつけたいのもわかるよ。だってないと不安じゃないか。落ち着かないし、何より他人が自分の運命を握ってる感じがしちゃってイヤなんだよ」 俺は、初めて俺の主張を理解してくれる人間に出会ったにも関わらず、なぜかあまり嬉しくはなかった。アメリカは、のんびりとした様子で、「でもさ」と続けた。 「君が欲しい物って、束縛程度で手に入るものなのかな」 「え?」 「いやね、好きだから束縛したいとか、どこにも離したくないとか、今生きるのをやめたって離れずにいたいっていうのは、別に普通のことだと思うんだよ。イギリスやフランスが何をいってそう無理だとか何だとかいったのかは俺にはよくわかんないけどさ。君がほんとにほしいのって、それくらいじゃ手に入らないと思うんだよね」 「足りないと?」 「いや、なんていうかな。束縛したら喜んだり反発したりっていう人もいるけどさ、それこそどこぞのおっさん達みたいに。まぁ俺は御免だけどね。けど、君のお兄さんってなんか、そういう範疇に居ない気がする」 ハンバーガー星人が、ハンバーガー聖人に見えた。 胸騒ぎがする。 「束縛って、一歩間違えるとただ軽く相手を扱ってるだけのものじゃないか。あ、でもきのその、離したくないとか離れたくないっていうの悪くないと思うぞ」 まぁちょっと、いっしょの棺に入りたいって言うのはなかなかクレイジーだから避けるのをおすすめするけどね! 俺は重く、その愛は軽いらしい。なんのことがよくわからずに、頭の中で反芻する。縛りつけたい。いじめたい。殴り飛ばして、それから優しくしたい。 兄さん。 呼んだ。心の中で呼んだ。あの、赤みがかった眼を思い出して。 欲しいと言うのとは少し違う。離したくなくて、この足元に縛り付けたいんだ。 どこかの髭が言った。 「お前あいつの何が好きなんだ?」 どこかの元ヤンが言った。 「あいつはお前と違ってまっすぐだから」 どこかのバカが言った。 「束縛くらいで手に入るの?」 そうだ。 日を浴びて、俺は焼けそうになる。 無理だ。そうだ、無理なのだ。絶望的に。 兄さん、兄さん、兄さん! あの人は笑う。呵々大笑しながら、俺の前を歩く。そうだ、いつだって、俺の後ろをついてきてはくれはしないのだ。 掴みたい。手に。しかし、あの人は歪まない。俺がどれだけ歪んでも。振り返って、嬉しそうにこっちを見る。好き。押し倒して、その先。もっと。 土にかえるならその足の下に。あなたが虫になるなら標本にでもしよう。けれども、あながは、もし俺が土に帰るなら、正しく埋葬するだろう。もしも俺が虫になったら、きちんと嘆いて、死ぬまで世話をして葬式を出して喪にふすだろう。 全てを無視して、俺があなたを閉じ込めてるとする。けれど、兄さん、あなたは、真っすぐ歪まずにいて、俺の眼を見返すに違いない。なぜなら、あなた愛は正しく重いのではないから。それは、重みなのだ。自分を賭け金にできる重みで、その強さはどこまでもしなやかだ。 俺が幾重もの嫉妬の鎖を用意をしたところで、きっと傲慢に近いほどの軽やかさであっというまに俺の指の間をすり抜けてしまうだろう。どれ程その手を締め付け、足を縫い止めても、説明もかなわぬ程、暴力的に自由に呼吸をするのだろうから。 (兄さん) 気持ちよく、背筋をのけぞって笑う声が聞こえる。 「レッド・キャット?」 日本が、イギリスに聞き返すのが眼に映った。イギリスは、CDのジャケットらしきものを手にとって、日本に説明を求めている。 「殆どの日本語はやくせたんだ。ただ、このレッド・キャットは何かの比喩だと思うんだが、それが分からなくて」 日本は、水筒に入った茶をすすりながら、それをみて、ああと得心したように言った。 「ああ赤猫ですね。日本の警察の隠語で、放火魔のことを赤猫というんですよ」 「ああそうか、なるほど。やっとわかった。それなら意味が通じるな」 会議室の椅子はなかなかいいものを使っているようで、座り心地が良い。俺は、彼らのやりとりをどこか遠くに見えた。 「なぁおい、ヴェスト!なんでそんな辛気くさい顔してんだ。ビールのもうぜビール」 「……兄さんはなんでそんないつもエネルギッシュなんだ?」 「子供とは鍛え方が違うんだよ」 兄貴は大声を出す。いつもの如く爆笑する。赤い瞳は何時も笑っている。 赤猫の松明が火をつけて、消えた。 |