目が冴えてしまってあまり眠れない。頭のどこから、アコースティックギターが聞こえる。曲は、ハッピーバースデーと星条旗。それが交互に、アメリカの胸に響く。 布団をかぶり直し、目を閉じた。夜は更け、マンハッタンの花火も、日米仏独対抗Wiiゲーム大会終わり、一日が過ぎて時刻は7月5日午前4時。パーティーに来た皆も、今は同じように、床についている。 昨日はナショナルホリデーだが今日は平日だ。明日は仕事に行かなくてはならない。それでも、アメリカは眠れず、ごそごそと起きだし、メガネをかけた。喉を潤すために、キッチンに向かう。 夏の早朝はまだ暗いが、これから外が明るくなる気配がした。電気をつけないまま、小腹が空いていたので、冷蔵庫から、蛍光ブルーのバースデーケーキの残りとペットボトルに入ったコーラ、それから菓子箱からハーシーズのチョコレートバーとポテトチップスを取り出して、リヴィングのソファに身を沈めた。 アメリカがペットボトルのキャップを開ける音しかしないほどに静かだが、頭の中で、やはりアコースティックギターが鳴っている。 パーティーグッズは、すっかり片づけてしまったが、部屋には2時間前まで皆で一緒に騒いでいたWiiがTVの前に転がっていて、それ以外に、テーブルの上に、カーペットに、それからソファにも沢山のプレゼントが置かれている。チョコを齧りながら、それらをいくつか座ったまま手繰り寄せた。フランスとロシアからの贈り物は、一緒にしてしまう。リトアニアの焼き菓子は、美味しくて皆とすべて、食べきってしまった。他のアメリカ大陸から送られてきた、それぞれの特産品。上司や仕事仲間からは、質のいいブランド品。その間に、カナダから送られてきた最高級のメープルシロップと、があった。彼は、今年はどうしても抜けられない仕事があるといってこられなかったが、変わりに昼間、携帯へ電話を寄こしてくれた。ビネガー味のチップスをコーラで流し、アメリカは、その時の会話を思い出す。 「ハロー、兄弟。ハッピーバースデー!後ろが騒がしいみたいだけど、楽しくやってる?」 「ハロー、兄弟。祝いの言葉を有難う。楽しいよ。でも君が来られなくて残念だ。来年は、都合さえ合えば是非来てくれよ」 「勿論、喜んで。プレゼントは無事に届いたかな?」 「ああ届いたよ。君の所のメープルシロップが一番、美味しいから嬉しいよ。朝と晩の分なんて気がきいてる。これでしばらく、朝はパンケーキに決まりだし、夜も美味しく過ごせそうだ。それから花火をありがとう。NYじゃ、州法のせいでこの時期も花火は売ってないからね。記念花火を見に行く前に、打ちあげさせてもらうとするよ」 「You're welcome. 君が毎日を楽しく過ごせるなら僕も嬉しいよ。こちらこそ、素敵な写真集に、アイスホッケーのスティックをありがとう。是非、君のチームとの試合で使わせて貰うよ。今年も負けないからね!」 「なんて言ったって、君のために選んだ本だからね。気に入ってくれると思ったよ。スティックは是非使ってくれ。でも、今度勝つのは俺のチームだから覚えておいてくれよ!」 「受けて立つよ」 「OK,じゃぁ、負けた方がクリスマスおごりでどうだい?」 「え」 「うん、それがいい、それがいいよ!!」 「アメリカ、僕まだ返事してないよ!」 「夏だけど今からクリスマスが楽しみだ!あ、所で俺も君の誕生日パーティーに行けなくって悪かったね」 「(どちらかって言うと、そうやって話し飛ばすほうがよっぽどアレだよ)」 「え、あれごめん何か言ったかい?回線が悪いのか聞こえ難かった」 「いいや何でもないよ、兄弟!お互い忙しいし、必ずしもパーティーに毎年いけるわけじゃないさ、仕方ないよ」 「ああ、でも都合がつくなら、本当に来年はぜひ来てくれよ。俺も出来るだけ行けるようにするから」 「ああ、僕もそうするよ。じゃぁね、アメリカ。ハッピーインデペンデンスデイ!主役があんまり長いこと電話してても不味いだろうから、そろそろ切るよ」 「ありがとう。日付が違うけど、君も独立おめでとう。俺達兄弟に神の祝福があらんことを」 「神の祝福があらんことを。せっかくの今日という日に、宇宙人が襲来しないことを祈ってる。じゃぁね、本当に切るよ。どうか良い日を」 そこまで思い出して、思い切り体重をソファにあずけると、ギシっと鳴った。半分、ふてくされながら、左足をソファに置いた体勢で、顔を覆うように頭をかきむしる。ハッピーね、とアメリカはつぶやいた。ああハッピーだよ。俺はとても幸せだ。 ポテトチップスはもう残り少ない。乾燥しているせいか、少し喉が痛むのを感じながら、アメリカは頭を掻き毟る手の指の隙間からテーブルの向こうにある、白い紙袋が見えた。 多分、カナダは知っていたのだ。 そう思うと、何か苦虫のような味が口の中に広がった。恐らく、彼はイギリスが来ることを知っていた。コーラをまた一口飲み下しながらうつむく。 イギリスとフランスは、毎回ではないけれど、時間が合えば、あと忘れてさえいなければ、カナダの、7月1日の独立記念日を祝うから、――だからきっと。顔から手を離し、薄暗がりに微かに光る蛍光ブルーのケーキを見つめる。まだ何か食べたくて、これに手をつけるまでにアイスでも食べよう、と思って祭りの後の疲労を感じながら、アメリカはまたフラフラと立ち上り、キッチンへ向かった。コーラをもう一本、買い置きしていた冷凍庫からLサイズのアイス。キッチン台の引き出しからスプーンを取ろうとして、その横にしまってあった誕生日用の残りの細い蝋燭が目に入った。アメリカは、2,3秒それを見つめて、スプーンと一緒にその蝋燭を2,3本取り出して、引き出しをしまった。それから隣の引き出しから、ジッポを取り出した。 どかっと、若い不良がよくやるように、両ひざを開けて座り、アイスと蝋燭をテーブルに放り投げる。いつ頃からこのジッポで煙草の火をつけなくなったのだろう、と考えてそれが案外最近だと気づいた。 手を伸ばして、ケーキに、蝋燭を立てる。それからアメリカは、右手にスプーン、左手にアイスをもって、両腕を膝にあずけ顔を伏せた。視線が床にぶつかる。それでも、アイスの蓋をあけて、一口一口、口に運ぶ。窓の外は、少しずつ、明るさを増していく。喉が痛い。アメリカはそう思ってコーラを飲んだ。痛い。背中の筋肉が痛い。眼鏡をはずして眉間を抑えた。熱い。アイスをおいて、アメリカは左手で顔を覆った。顔が熱い。ソファの上でバランスが取れずに、アイスが倒れ、白いしみを作る。だがしかし、アメリカそれを気にしなかった。アメリカは泣いていた。 どいつもこいつも、皆、大嘘つきだ。 顔を掌が濡れた。奥歯を噛みしめた。声が出なかった。代わりに、腹の、背の筋肉が痛かった。喉が、肺が、涙の染みる頬が痛かった。 俯いたまま、ポケットからジッポを取り出して、カチ、カチ、と鳴らした。ガスの臭いが微かに鼻をくすぐる。酷い耳鳴りがした。息をすることが出来なかった。 嘘つきだ。 ただ、そう思った。 ”Long, long――, long time ago” お伽話を語る低い声が聞こえてくる。それを聞きたくなかった。それよりも、火薬の匂いのする雨の日思い出そうとした。それから、その日に連なる自由への束縛を呪った。怒りを感じた。理不尽さと傲慢への怒りを感じた。 息を吸うと、ひくっ、と声がした。両手で顔を覆って天を仰ぐ。堪えられずに、目をつぶると、涙が頬を伝って、首へと流れ落ちるこそばゆさを感じた。しばらくそうして、少し収まるのを待った。右手の甲で涙を拭く。手と手の隙間からは、昨日を祝う沢山の贈り物と、ケーキが覗いた。灯りをつけていない部屋の中で、白い紙袋が、微かな光を反射している。アメリカは、しばらくそれを見つめた。涙が少し引く。溶けかけのアイスをテーブルに置き、少し咽そうになりながら、コーラを流し込んだ。重たい頭痛と全身の疲れを感じながら、彼は右手をのばし、その紙袋を引き寄せた。 指で、口を開いてのぞく。紙袋は二重になっていた。中に光沢生地の黒い紙袋が入っている。その中に、確かに、彼がアメリカのために選んでくれたものがそこにあった。 「誕生日だからな」 イギリスは、そう言った。 ほとんど衝動的に紙袋を抱いて、さめざめと泣いた。つぶされた紙袋がぐしゃっとなって皺がよるのも構わずに、若い、大きな背中を丸めて、しゃくりあげた。 美しい光景がフラッシュバックして蘇えった。春夏秋冬。彼が愛した植物たち。暖炉の火の音。祈りの時間。自分の手をひく、強い手。丸太小屋の土のにおい。緑の色。めまいのするような蒼。全ての優しき日々。 きっと、それは短かった。咳をするように体を震わせながら、アメリカは自分のそう言い聞かせていた。とめどなく、記憶が押し寄せる。全てはまるで嘘みたいに、清らかで、優しく美しかった。何度その過去を思い出しては、自分の中で殺しただろう。確かに、彼は優しかった。「お前はいい子だよ」と笑ってキスをくれた。頭をなでて、抱き上げてくれる温度。思い出したくはなかった。あまりに辛かった。 “Please never cry and smile all the time” 嘘つきだ。 アメリカはそう罵る。熱い。汗ではりついたT シャツが気持ち悪かった。大きな掌の隙間から、涙がいくつも落ちて、紙袋にポツポツと音をたてた。 “I’m waiting for you. I love your way” 二人で囲んだ食卓。来る度に、一緒にベッドで寝るのが楽しみだった。一緒にいれば温かったし、心細くもなかった。 “I love you too, my dear” 細い道に陽が当たる。眩しい背中。その後ろに隠れて歩いて行く自分。おもちゃの兵隊。洋服。くれたもの。ボロボロになったもの。 「ハッピーバースデー、アメリカ」 カナダは昨日そう言った。何がハッピーだ。アメリカは呪った。昔の自分たちの声と、パーティーでの祝いの言葉を交互に思い出す。誰もかれもが嘘つきだ。 “I stand by you” 眼尻がヒリヒリする。体中が痛くて重い。”Don’t tell lies, you are a liar!”と嗚咽の中で独り罵った。それでも走馬灯は止まない。 “I swear I will never leave you alone”(神に誓って、決して一人にしない) 紙袋を強く抱きしめると、皺がよってぐしゃっと鳴った。それにも構わず、アメリカはそのプレゼントに、額をこすりつけ声をあげて泣いた。静かな部屋に、泣き声だけが響く。嘘をついた。美しい日々、確かに嘘をついた。短い中で、日が落ちて夜が明けて行った。まるでめまいを覚えるような蒼い景色。 俺は、確かに嘘をついた。 “Long, long, ――long time ago” 昔の話だ。カナダもまだ小さくて、フランスには髭が生えてなかった。あの頃、自分くらいだった、イギリスを選んだのは何故だろう。なぞをかけても今はもう無意味だった。 声をあげて肩をふるわせた。しゃっくりのように止まらない。しかしそれは広い家の中で、誰に聞かれることはなかった。 涙をふけないまま、アメリカは顔をあげる。もう一度、紙袋中を覗いた。 ――本当にもらっていいの? 幼いころの自分の声が響いた。手造りの小さな兵隊たち。 本の十数時間前のことだ。思わずイギリスに、これくれるのかい、と聞いてしまった。それから、有難う以外に、何が言えただろう。 紙袋に口を寄せる。少しずつ、涙が引くのを感じながら、確かにあった日々を思って、アメリカは、微かに笑った。部屋にこだまする自分の声が小さくなり、頭に響く痛みだけが残っていく。 アメリカは濡れた手のひらで、髪をかきあげてから、片腕で紙袋を抱いたまま、ジッポでケーキにさした蝋燭に火をつけた。暗い部屋に3つ赤い灯が、灯る。それが、濡れた頬を乾かしていった。火が、火照った体をさらに熱くするのを感じながら、その灯りをじっと見つめた。白い紙袋がその橙を反射する。ケーキの隣にアイスはだいぶ溶けて、シェイクのようになっていた。食べるというより、それを一気にコーラと一緒に飲みこんだ。 火は暖かい。眼を閉じる。瞼の裏に、その灯火が見える。その灯りには、可愛い夢が映って、自分は屈託もなく笑っている。煙草を吸わなくなって久しい部屋で、煤のにおいがした。蝋燭の火を消せば、願いが叶うと言ったのは誰だろう。まだどこかで、アコースティックギターの、ハッピーバースデーが聞こえる。Happy birthday, Dear.祈った。目を開けて息を吹いて火を消す。それが、できる全てだった。今はもう、誰を責めることもできない。 蝋燭を抜く。部屋には朝になる前光が漏れるだけだった、がもう大分、明るかった。フォークを刺して、青く光るケーキを食べる。涙の塩味と、甘いバタークリームの味が、口に広がった。 食べ終わってから、はずしていたメガネをかける。抱えたままだった紙袋の皺を、大きな掌で、丁寧にのばし、それを、元の場所にそっと置いた。 流しに食器を持っていき、ついでに顔を洗う。汗をかいた体が気持ち悪かったが、歯磨きだけ済ませると、シャワーを浴びるのが面倒でそのまま再び寝室に戻った。部屋には白々と明るくなる光がさして、外では鳥が鳴いている。時計をみると、もう5時半だった。予定を考えると、あと1時間半し寝られなかったが、柔らかいベッドの中にもぐってすぐに目を瞑って眠った。 小さな夢から、醒めるように。 |