「神の祝福があらん事を。せっかくの今日という日に、宇宙人が襲来しないことを祈ってる。じゃぁね、本当に切るよ。どうか良い日を」
ピッ。携帯電話を切り、僕は笑顔を消して、それをテーブルの上においた。職場近くのレストランは、昼休みでとても混んでいて、がやがやと賑やかだ。その喧噪を聞きながら、僕は重たいため息をつく。7月4日。今日は、僕の”south of brother”、アメリカの独立記念日だった。彼の誕生日パーティには仕事で、どうしてもいけなかったので、今年は祝いの電話と贈り物ですませた。
あまり、世界的には知られていないけれど、3日前の7月1日は僕の独立記念日だった。一応、コモンウェルス(み)と(う)フランコシンフォ(ち)ニーの何カ国かが、祝いのパーティに来てくれた。年によっては、国の独立記念行事に参加することもあるけど、大概は、僕のうちで、パーティをして過ごす。今年は、残念ながらアメリカは来られなかった。
代わりに、彼も、誕生日プレゼントを贈ってくれた。アイスホッケーのスティックと、僕が好きなプレイメイトのヌード写真集。僕は、お返しに、彼が大好きと言ってくれたカナダの特産品、メープルシロップと、夜用のまぁ、そういうシロップを一緒に送った。
僕らは、人間でいうところの19歳らしいし、健全な男の子だからきっと、そんなものだ。喜んでくれていたようだから、それで良し、とする。電話越しで聞く限り、彼はとても元気そうだったし、楽しそうだった。
――多分、まだイギリスさんには会ってないんだな。
昼休みが終わるにはまだ時間がある。コーヒーと、ポテトキャセロールを口にしながら、僕は、自分たちの独立と、そのもと宗主国の彼について考える。それは、自分とそのルーツについて考えることでもあった。
カナダ。ロシアに次ぐ世界第2位の面積。雄大な自然は、僕の自慢だ。人口は3000万ちょっとで、実はポーランド君や、ウクライナさんの人口よりもすくない。G8では最下位。よく、トロントや、バンクーバーと間違えられるけれど、首都はオタワ。でも、オタワは、アメリカのワシントンD.Cと同じで、行政府のための街として作られたから、確かに、実際の経済や人の中心は、トロントとバンクーバーだ。僕は、トロントに住んでいる。前述したバンクーバーと共に、世界で最も住みやすい都市ランキングでは、毎年、上位にランクインしていし、物価はカナダの中では高い方だけれど、ビルの立ち並ぶ都市部から住宅街に行けば、ヴィクトリア朝・エドワード朝の建物がそのまま残るはとても美しい。
人から、ぼやけていると言われようとも、例え、育ててくれたフランスさんやイギリスさんですら、アメリカと見分けがつかなくて間違えられようとも、僕は僕の国を、僕自身をとても愛している。アメリカと似ているようで、似ていない。確かに、何が、カナダのアイデンティティかと聞かれると、確かに答えるのは難しいけど、とにかくアメリカとは違う。
例えば、これはよく知られているけれど、独立の経緯も全く異なっている。アメリカは、僕らアングロ・サクソン諸国の中で、唯一、戦争で宗主国から独立した。一方僕は、同じ大陸にありながら、まるでその逆で、むしろ、独立後の王党派のアメリカ人の受け入れ先だった。僕の建国記念日も「カナダデー」は1867年7月1日に、植民地だった3つの州が自治権を獲得したのに端を発する。逆を言えば、独立記念じゃない。確かに、政治的には独立したけれど、そのころ、まだ僕には外交権がなかった。その後、ウェストミンスター憲章以後、実質上は確かに独立していたし、国際連盟にも加盟していたけれど、今の楓の国旗ができたのは実は1967年で、憲法ができたのは1982年で最近も最近だ。本当にごく最近だ。うん、やっぱり僕たち兄弟は共通点も多いけれど、その実は全然似ていない。
「僕の」パーティでイギリスさんは、「おめでとう。大きくなったな。俺はお前がとても誇らしいよ。いつもアメリカと間違ってごめんなー」と、ちょっと、それは酷いということを言った。でも、イギリスさんは僕に対しては、基本的に優しいし、その言葉に、多分嘘はない。彼は、これから先、ワラント(王室御用達)の何年も使えそうな馬皮名刺入れと、ブックカバーをプレゼントしてくれた。フランスさんは、つまみを作ってくれて、それから「もっとお洒落に気を使え若人。お前に似合う色で選んだから」と言って見せた、淡いブルーとピンクの、ネクタイはとても綺麗だった。キューバさんも来てくれて、彼から貰った特産品のラム酒は本当に美味しかった。
『ハッピーカナダディ!』
そう言って、祝ってくれる彼らは、確かに僕の幸せを願ってくれた。
――うん、僕は僕で、まぁ悩みは沢山あるけれど、確かにハッピーだよ。
僕を、目立たないという奴もいるだろう。お人よし過ぎるという奴もいるだろう。けれども、僕はこの平和を誇りに思う。確かに、派手ではないかもしれないけれど、優しく、正しく、僕のこの国は愛されている。
そうだ。アメリカと見分けがつかないといわれるけれど、彼と違うことは、僕が一番よく知っていた。
“Are you happy?” と、僕は胸の内だけで、アメリカに問いかける。フランスさんとイギリスさんじゃないけれど、僕ほど彼の身近にいた奴は、他にいない。
どちらかが巧いことやっているのか、あるいはその両方なのか、僕は知らないけど、アメリカが僕の誕生日に来る時は、イギリスさんは来ない。フランスさんは何も言わなかったし、僕も今迄、何も言わなかった。彼らは勿論、それについて話すことはなかった。
イギリスさんが今年、ニューヨークに行くということは、パーティで偶然、二人になった時、「いつまで滞在なさるおつもりなんですか?」と聞いたその返事で知った。フランスさんにも話したかどうかは、僕は知らない。多分、フランスさんは知らなかったと思う。それでも、彼は、元々僕には話をするつもりだったらしく、「色々、迷惑かえちまって悪いな」と、軽く謝罪をした。僕は、いいえ、それに短く、答えた。
ミルクと砂糖の入ったコーヒーを一気に飲み干す。もう昼休みは10分しか残っていない。
よかったね、アメリカ。未来の未来は今にある。そう、心中でここにいない兄弟に向かってつぶやいた。
――クリスマスパーティ奢りだなんて絶対御免だから、今年もアイスホッケーは負けられない。夏の今から鍛えなくちゃ。
そんなことを考えながら、僕は、レストランを出た。
外は、昼の日差しがとても眩しかった。